多摩爺の「時のつれづれ(弥生の34)」
正義が力か、力が正義か?
先日(19日)、「狂ったキツネを捕まえろ!」との表題で投稿した際、
フォロワーさんから「大事なこと(アメリカがICCに加盟してないこと)が抜けてるよ。」と、
極めて的を射た・・・ コメントを頂戴していた。
そのことについては、気づいてはいたものの、
そこに触れると、論点がぼやけてしまうことから、記すことを躊躇し略したが、
とっても大事なことなので・・・ 個人的な思いを以下に纏めてみた。
民主主義の国家と、覇権主義や共産主義の国家との違いは・・・ いったいなんだろう。
統治機構や、法律のあり方など、さまざまな違いがあるので、能書きを垂れるつもりはないが、
ひと言でいうなら、民主主義の国家は「正義(民意)が力」という思考だが、
覇権主義や共産主義の国家は・・・ 「力(武力)が正義」という思考ではなかろうか?
国際社会において起こった紛争を処理する、国連の安全保障理事会で、
その対応策に拒否権を持ち、無条件でボツにする権利を持つ常任理事国という立場ながら、
ウクライナに侵略戦争を仕掛けてしまったロシアのトップに、
つい先日、国際刑事裁判所(ICC)が、戦争犯罪の容疑があるということで逮捕状をだした。
極めて真っ当であり、痛快な判断だと思うが、ICCには世界の123か国が加盟しているものの、
大変残念だが・・・ この組織には、国連安保理の常任理事国のうち、
アメリカ、中国、ロシアの3か国が加盟してないこともあって、
ICCが下した判断の有効性について・・・ 疑問視する声もあるようだ。
なぜ、アメリカは加盟してないのか?
その詳細は、知る由もないが、
なんとなく思うに・・・ そこには、民主主義の弱点が垣間見えてくる。
思い起こせば・・・ かつてのアメリカは、世界の警察を自負してきた時代があり、
民主主義の根幹にある、議会で多数決を経て、議会の承認の下で世界各地の争い事に兵を送り、
結果的に戦争犯罪を犯してしまう可能性があって・・・ その責任を追及されると、
莫大な賠償金が発生することから、加盟しようにも加盟出来ないのだと思うが、如何なものだろうか?
ベトナム戦争で使用した枯れ葉剤しかり、
先の大戦でこの国(広島・長崎)に投下した原子爆弾しかり、東京大空襲しかりである。
これらはいずれも、民間人を狙った無差別の大量殺人であり、
どこの誰に聞いたって・・・ 戦争犯罪であることに疑いを持つ者はいないだろう。
アメリカがICCに加盟しない判断を・・・ ご都合主義と捉える方々もいるだろうし、
一方では、どこかの大国が、汚れ役を引き受けなければ、
治まるものが治まらないのでは・・・ と捉える方々もいるだろう。
どちらの考え方に理があるのか、私がどうのこうの言っても仕方がないが、
ただ悲しいかな・・・ 国際刑事裁判所の設立は2003年であって、
遡ってその責任を問うことはできないものの、
こういった事例が、議論にすらならないことは残念だと思うし、悔しさがないわけでもない。
戦争における、戦略や戦術に従って使用する武器・兵器の詳細まで、
議会の承認を得ているかどうかまでは知らないが、
その使用の可否については、あらかたトップに一任されているのではなかろうか?
トップに全責任があるのか、それとも一任した国民一人一人に責任があるのか、
たぶん、トップが全責任を負うんだと思うものの、
世界の警察のトップが・・・ 結果責任を問われるとしたら、
怖ろしくて、怖ろしくて、とてもじゃないがICCに加盟するには至らないだろう。
力が正義の、覇権主義や共産主義国家なら、トップの鶴の一声で全てが動くが、
正義が力の、民主主義国家では、権限はトップにあっても、
それを実施するに必要な予算は・・・ 議会の承認が必要となるのは常識である。
そう捉えれば、あくまでも推測の域を出ないが・・・ 国連安保理における拒否権は、
表向きは、我が儘をゴリ押しするために発動されてるように見えるが、
一方では「赤信号、みんなで渡れば怖くない。」的な思考の下に、
責任を回避するために、巧みに練られた手段だと思うが・・・ 如何なものだろうか?
問題にしなきゃならないのは、正義(民意)と、力(武力)の主従関係をどちらに置くかである。
本来なら、国連安保理の常任理事国が持っている拒否権は、
正義(民意)のために、力(武力)を行使するか否かだと・・・ 誰もが思っていたが、
その常任理事国が屁理屈をつけて、力を正義の前に置き変えて、侵略戦争を始めたのである。
国連は・・・ いま一度、
正義(民意)と、力(武力)の主従関係をハッキリさせるべきではなかろうか?
正義があってこその、力なのか?
いやいや、力こそが正義なのか?
国連改革は、そこの議論から始めなきゃ・・・ 前には進まないだろう。
力んで綴った割には、雑な文章になってしまい大変恥ずかしいが、
あくまでも個人的な思いであって、
このことについて議論するつもりはないので・・・ ご理解いただければありがたい。
追伸
昨日は28年前に、地下鉄サリン事件が起こった日だった。
WBCの話題の方が、そりゃぁ楽しいに決まってるが、
メディアの取扱いが・・・ あまりにも雑だったことが気になってしまった。
良いんだろうか?
こういった扱いで、ホントに良いんだろうか?
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