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時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

正義が力か、力が正義か?

2023年03月21日 | 時のつれづれ・弥生 

多摩爺の「時のつれづれ(弥生の34)」
正義が力か、力が正義か?

先日(19日)、「狂ったキツネを捕まえろ!」との表題で投稿した際、
フォロワーさんから「大事なこと(アメリカがICCに加盟してないこと)が抜けてるよ。」と、
極めて的を射た・・・ コメントを頂戴していた。

そのことについては、気づいてはいたものの、
そこに触れると、論点がぼやけてしまうことから、記すことを躊躇し略したが、
とっても大事なことなので・・・ 個人的な思いを以下に纏めてみた。

民主主義の国家と、覇権主義や共産主義の国家との違いは・・・ いったいなんだろう。
統治機構や、法律のあり方など、さまざまな違いがあるので
、能書きを垂れるつもりはないが、
ひと言でいうなら、民主主義の国家は「正義(民意)が力」という思考だが、
覇権主義や共産主義の国家は・・・ 「力(武力)が正義」という思考ではなかろうか?

国際社会において起こった紛争を処理する、国連の安全保障理事会で、
その対応策に拒否権を持ち、無条件でボツにする権利を持つ常任理事国という立場ながら、
ウクライナに侵略戦争を仕掛けてしまったロシアのトップに、
つい先日、国際刑事裁判所(ICC)が、戦争犯罪の容疑があるということで逮捕状をだした。

極めて真っ当であり、痛快な判断だと思うが、ICCには世界の123か国が加盟しているものの、
大変残念だが・・・ この組織には、国連安保理の常任理事国のうち、
アメリカ、中国、ロシアの3か国が加盟してないこともあって、
ICCが下した判断の有効性について・・・ 疑問視する声もあるようだ。

なぜ、アメリカは加盟してないのか?
その詳細は、知る由もないが、
なんとなく思うに・・・ そこには、民主主義の弱点が垣間見えてくる。

思い起こせば・・・ かつてのアメリカは、世界の警察を自負してきた時代があり、
民主主義の根幹にある、議会で多数決を経て、議会の承認の下で世界各地の争い事に兵を送り、
結果的に戦争犯罪を犯してしまう可能性があって・・・ その責任を追及されると、
莫大な賠償金が発生することから、加盟しようにも加盟出来ないのだと思うが、如何なものだろうか?

ベトナム戦争で使用した枯れ葉剤しかり、
先の大戦でこの国(広島・長崎)に投下した原子爆弾しかり、東京大空襲しかりである。
これらはいずれも、民間人を狙った無差別の大量殺人であり、
どこの誰に聞いたって・・・ 戦争犯罪であることに疑いを持つ者はいないだろう。

アメリカがICCに加盟しない判断を・・・ ご都合主義と捉える方々もいるだろうし、
一方では、どこかの大国が、汚れ役を引き受けなければ、
治まるものが治まらないのでは・・・ と捉える方々もいるだろう。

どちらの考え方に理があるのか、私がどうのこうの言っても仕方がないが、
ただ悲しいかな・・・ 国際刑事裁判所の設立は2003年であって、
遡ってその責任を問うことはできないものの、
こういった事例が、議論にすらならないことは残念だと思うし、悔しさがないわけでもない。

戦争における、戦略や戦術に従って使用する武器・兵器の詳細まで、
議会の承認を得ているかどうかまでは知らないが、
その使用の可否については、あらかたトップに一任されているのではなかろうか?

トップに全責任があるのか、それとも一任した国民一人一人に責任があるのか、
たぶん、トップが全責任を負うんだと思うものの、
世界の警察のトップが・・・ 結果責任を問われるとしたら、
怖ろしくて、怖ろしくて、とてもじゃないがICCに加盟するには至らないだろう。

力が正義の、覇権主義や共産主義国家なら、トップの鶴の一声で全てが動くが、
正義が力の、民主主義国家では、権限はトップにあっても、
それを実施するに必要な予算は・・・ 議会の承認が必要となるのは常識である。

そう捉えれば、あくまでも推測の域を出ないが・・・ 国連安保理における拒否権は、
表向きは、我が儘をゴリ押しするために発動されてるように見えるが、
一方では「赤信号、みんなで渡れば怖くない。」的な思考の下に、
責任を回避するために、巧みに練られた手段だと思うが・・・ 如何なものだろうか?

問題にしなきゃならないのは、正義(民意)と、力(武力)の主従関係をどちらに置くかである。
本来なら、国連安保理の常任理事国が持っている拒否権は、
正義(民意)のために、力(武力)を行使するか否かだと・・・ 誰もが思っていたが、
その常任理事国が屁理屈をつけて、力を正義の前に置き変えて、侵略戦争を始めたのである。

国連は・・・ いま一度、
正義(民意)と、力(武力)の主従関係をハッキリさせるべきではなかろうか?

正義があってこその、力なのか?
いやいや、力こそが正義なのか?
国連改革は、そこの議論から始めなきゃ・・・ 前には進まないだろう。

力んで綴った割には、雑な文章になってしまい大変恥ずかしいが、
あくまでも個人的な思いであって、
このことについて議論するつもりはないので・・・ ご理解いただければありがたい。

追伸
昨日は28年前に、地下鉄サリン事件が起こった日だった。
WBCの話題の方が、そりゃぁ楽しいに決まってるが、
メディアの取扱いが・・・ あまりにも雑だったことが気になってしまった。

良いんだろうか?
こういった扱いで、ホントに良いんだろうか?


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