多摩爺の「時のつれづれ(弥生の56)」
記憶に刻まれた二つの3.11(東日本大震災とパンデミック宣言)
大地震と想定外の大津波に多くの方々が被災し、原発事故まで引き起こした東日本大震災から、
早いもので・・・ 14年の歳月が流れた。
ワイドショーで確認しながらではあったが、地震が発生した14時46分を待って、
自宅のリビングで黙祷を捧げ、亡くなられた方々のご冥福とともに、復興を祈念させていただいた。
あの日の私は、前年の3月末で勤めていた会社を、役職定年ということで退職し、
池袋にあるグループ会社(コールセンター)でお世話になっていて、
地震発生した14時46分は、ちょうど席を立ったばかりで、
大きな揺れにふらつきながら、慌ててテレビを付けたことを思い出す。
長く続いた激しい揺れに・・・ 「キャー怖い!」との声を発した女性オペレータが、
「外に避難しましょう。」と言ってきたが、
いま外に出たら、外壁などの落下物が危ないので、ビル内に居た方が安全だと、
自信はなかったが咄嗟に判断し、いまにも泣きだしそうな彼女たちを必至になだめていた。
一番辛かったのは、津波で家屋が押し流される状況が映し出されたとき、
1人のオペレーターが「ここ、私の実家なんです。」と呟き、泣き出してしまったことだった。
そのとき、彼女にかけてあげる言葉を持ち合わせてなかったことが、
いま思いだしても悔やまれるし・・・ 頼りない上司で申し訳なかったと反省している。
刻々と画面に映し出される被災地の状況と、首都圏の交通機関の状況を確認しながら、
帰宅が可能な社員には早退を促し、帰宅が困難な社員に応接室と休憩室で休ませる手配を整え、
私がビルを出て帰途についたのは、18時を少し過ぎていたと思う。
とりあえずJR池袋駅に行ったが電車は動いていなかったため、
明治通り、目白通りを経由してJR中野駅まで歩き、電車が動くのを待とうと思っていたら、
なんと改札が封鎖されていて、中に入ることが出来ず、
途方にくれながら、すでに日が暮れた目白通りを北多摩方面にトボトボと歩き出していた。
目白通りを経て青梅街道にでると、車は渋滞してるし、歩いて帰宅を急ぐ多くの方々が目に入った。
寒さはさほど感じなかったが、東伏見辺りで青梅街道から五日市街道に入ったときには、
歩き始めてからすでに・・・ 6時間が経とうとしていた。
五日市街道と伏見通りが交わる交差点で信号待ちしているときだった。
目の前でタクシーが1台止ったので、慌てて声をかけたら乗せてくれるというので、
これはホントにラッキーだったと思う。
時刻は深夜で、仕事を終えて車庫に戻ろうとしていた運転手さんには申し訳なかったが、
そのまま歩いていたら、すでヘトヘトだったこともあり、まだ2時間ぐらいはかかると思われたが、
おかげさまで、日付が変わった0時30分ごろに帰宅できたときは、
ホントに嬉しくて・・・ 生涯忘れ得ぬ思い出になっている。
あのとき、車道の信号が青だったら、タクシーは私の目の前を通り過ぎていただろう。
あのとき、歩道の信号が青だったら、私はタクシーが来る前に横断歩道を渡っていただろう。
車道の信号が、タイミング良く青から黄色になり、
安全運転のタクシードライバーが止ってくれたのは・・・ ホントにラッキーだった。
今年は戦後80年であり、健在な語り部さんたちが、当時の模様を語ってくれているが、
102年が経過した関東大震災の語り部さんたちは、すでに多くの方々が鬼籍に入り、
当時の状況を生の声で聞くことは・・・ ほとんどなくなってしまった。
いずれは関東大震災のように、語り部のいない日がやってくると思うが、
その日が来るまでは、「災害は忘れた頃にやってくる。」と、語り継いでくれた先人たちの戒めを、
いまさらだが、継承せねばと肝に命じたい。
多くの被害が生じた災害などについては、けっして風化させてはならないと思うし、
大津波があった、原発事故もあった、計画停電もあったと、
我々は後生に向けて、語り継がなくちゃならない使命があると思っている。
閑話休題
私の個人的な「3.11」などは・・・ 語るほどでもないが、
もう一つ、絶対に忘れてはならない「3.11」があることも、併せて記しておきたい。
2020年3月11日、新型コロナウイルス感染症の拡大を踏まえ、
世界保健機関(WHO)の事務局長が会見し、
パンデミック(世界的な大流行)状況にあると表明した日も・・・ 「3.11」だった。
これを受け、国内では緊急事態宣言が発せられるなど、
その後・・・ 約3年超に渡る、
緊張の日々が続いていたこともまた・・・ 辛い辛い思いでとなった。
いまだに解決してないのは、そもそも新型コロナウイルスは、
いったいどこから・・・ やって来たのだろうか?
起源はどこにあるんだろうか?
中国の武漢ウイルス研究所から流出したという説と、
野生のコウモリ由来のウイルスが、獣への感染を経て人間に飛び火したとの二説が尤もらしいが、
そのいずれにも中国が関係していたにも拘わらず、
初期段階の調査を中国政府が拒んだことから、その起源については未だに明らかになっていない。
にも拘らず・・・ 先月、その武漢ウイルス研究所で、新型コロナウイルスと同じ受容体を持つ、
新しいコロナウイルスが、野生のコウモリから検出されたと、
学術誌で発表されていたというんだから・・・ これには驚きを隠せなかった。
論文によれば「現時点で人間への感染は確認されていない。」として、平静を呼びかけているが、
同研究所は、COVID19の起源ではないかとの疑惑が、未だに払拭されておらず、
我慢することなく正直に物申せば「偉そうにどの口が言う。」であるとともに、
目眩を起こしてしまいそうなぐらい・・・ 心配が尽きない。
さらにもう一つ気になるのは、トランプ政権の厚生長官がワクチンの懐疑派であるとともに、
そもそも感染症については、陰謀説を唱えている人物だから、
いざとなったとき、迅速な対応が取れるのか・・・ こちらもまた心配が尽きない。
そこら辺りに屯する、しょうもない爺さんが気を揉んでも・・・ せんないだけだが、
女房が2年超もコロナ鬱を患い、同苦の日々を過ごしただけに、
ただ、ただ、ただひたすらに、大事に至らぬことを願いたいと思う。
いま振り返れば、自ら直接体感した「3.11」があるとともに、
恐れおののき、細心の注意を払いながら間接的に感じた・・・ もう一つの「3.11」があり、
爺さんの記憶に刻み込まれた、二つの「3.11」は、
この世に生がある限り・・・ 2人の孫に語り継いでいこうと思う。