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いまさらですが
まずは、被災した方々へ
お見舞い申し上げます。。おはようございます。
弱輩者ですが
ワタクシなりの考えがあって
あえて
話題として取上げなかった、
今回の 『熊本地震』 ですが
激しく同意した、ニュースネタが
ありましたので、、
以下、 ”パクリ” です。
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先日、熊本出身の知人が主催する食事会が、都内のとある熊本料理店で開催された。
会費は2000円。シンプルな郷土料理を少しばかり楽しみ、次々に現れる仲間のためにサッと店を出る。
気持ちばかりのハットチップを添えて――。
筆者はあいにく、この飾り気のないイベントに参加できなかったのだが、
終始和やかで愉しい時間を過ごしたとの声が届いた。
現実社会でつながる仲間内の、こうした気の利いたイベントには、
震災で必ず登場する「自粛」「不謹慎」というふたつのキーワードを掲げた
ツイッター自警団の影響力が及んでくることはない。
しかし、ツイッターにはタイムラインを監視しながら自警団的活動をするアカウントが数多くある。
■大活躍する「不謹慎自警団」
東日本大震災時、毎日閑散とした飲食店や物販店をみて「毎日、美味しく外食を食べるぞ!
閉じこもらずに、身近な行き付けのお店に行こうよ」と
ツイッターで声をかけたことがある。多
数の批判をいただいたが、はるか遠くロンドン在住のご婦人に「不謹慎」と言われたのには驚いた。
こうした「不謹慎自警団」は、熊本の震災でも(特にツイッターの中では)目立っている。
”ゲーム機を買った”とツイートすれば
「熊本の子ども達は遊びたくても遊べないのに、いいご身分ですね」と返し、
友人との会食写真を掲載すると
「熊本ではみんな食べたいものを食べずに我慢しているのに」と攻撃してくる。
言うまでもないことだが、被災していない地域の人間が、
いくら熊本を想いながら自粛をしたとしても、まったく何の貢献もしない。
それどころか、自粛ムードを拡げるのは日本全体の経済活動を萎縮させる行為といえる。
これは、復興を邪魔する雑音でしかない。
こうしたことを書くと、「当たり前のことを今さら記事にするのか」と感じるかもしれない。
まったくその通りだ。不謹慎だと指摘しまくり、自粛を促すことの無意味さは、
過去に何度も経験してきた。これについて、今さら語る必要などないと考えているほどだ。
しかし、それでも不謹慎自警団はなくならない。
むしろ、その"活動"はテレビや新聞、ウェブなどを通じた報道により増幅されるようにさえなっている。
■井上晴美さんを襲った不条理
熊本在住のタレントで今回の地震における被災者でもある井上晴美さんは、
被災地の情報を知ってもらおうと情報発信していた。
彼女自身、家を失い、夫や二人の子どもと避難生活を強いられる中、
現場の情報を発信しようと必死だったのだ。
ところが、そんな彼女に追い打ちをかけるように批判を浴びせる人物も少なくなかったようだ。
傷付く彼女はブログを通じた情報発信をやめると宣言した。
タレントの紗栄子さんは、ふたりの子どもが出した2000円に500万円を添え、
500万2千円を寄付したことを額面を示す写真付きで公表したところ、
やはりツイッター上で多くの罵詈雑言を受けることになった。
ブログで応援メッセージを発表した藤原紀香さんも同様である。
いったい彼女たちの何がいけなかったというのだろうか。
筆者には批判の理由がまったく想像できないし、批判に妥当性があるとも思えない。
あるいは、災害に乗じた売名行為に対して”不謹慎”と述べているのかもしれないが、
著名人が積極的に支援の姿勢を見せることで、支援の輪が拡がる可能性もあるはずだ。
匿名で被災地に乗り込み、顔を隠しながら炊き出しを行うなど、
身分を隠さなければ支援すべきではない、とでも言うのだろうか。
結局のところ、こうした不謹慎自警団は”タレントの影響力”の行使が気に入らないだけなのだろう。
そこには嫉妬心しか存在しない。
ツイッターのつぶやきは、相手に届くほど魅力を持たない声までが、
拡声器のように大きくなって届いてしまうことがある。
グチや他人の悪口ばかり書いている人の言葉は、現実社会では無視される。
しかし、短く切り取られた1つのツイートに分解されたとき、タイミングや周囲の状況などによって、
必要以上に刺さる言葉として相手に届いてしまうことがある。
「発言力を行使するためのハードル」が極めて低くなっていると見なすこともできるだろう。
ソーシャル時代のコミュニケーションにおける、こうした変化は決して悪い側面ばかりではない。
従来は拾われてこなかった声が、拾われやすくなっている面もあるからだ。
しかし、何を言われようとくじけてはならない。世の中のために役立つのであれば、自信を持って行動すべきだ。
■企業からの寄付金も偽善なのか
たとえば、各種ポイントサービスの義援金・支援金への交換サービスは、
見る角度によっては偽善と捉えられなくもない。
なぜなら、各種ポイントの義援金・支援金交換サービスには、
サービス提供側にも大きな利点があるからだ。
ポイントサービスは、発行している企業のバランスシートに負債として計上される。
現金預かりと計上すると、税制上の問題があるからだ。
単純化して説明すると、負債として計上している金額と
ほぼ同額を引当金として損益計算書に損金計上している。
つまり、たまったポイントを寄付金にするということは、
寄付する金額分の引当金を損金計上できるだけでなく、税控除にも利用できるわけだ。
簡単に言えば、顧客からの借金をなかったことにした上で、
同額を自分名義で寄付して税控除の対象にもなる。
では、これは偽善であり、自粛すべきスタンドプレーなのだろうか。
寄付する顧客側も企業側も、どちらにとっても利がある上、
被災地支援にお金が届くのであれば、批判される筋のものではない。
そもそも、ツイッターは災害の中で伸びてきた側面がある。
ツイッターのアカウント取得者は、5年前の東日本大震災時に大きく伸びたからだ。
多様な情報を取り込み、自らも何らかの情報を発信したいと考える人が増えたからだろう。
世の中は多様だ。数多くの視点や考え方がある。
常識とは、そうした多様性の中にあって、自然に淘汰・選別されて
残った行動規範のことを言うのかもしれない。
■あなたも意図せず他人を攻撃しているかもしれない
逆説的ではあるが、インターネットを中心にSNSを通じて生まれるコミュニティの中では、
あらゆる多様な意見が直接的に交換されることで、
本来は淘汰される声までもが強く届いてしまうのは宿命なのかもしれない。
このようなとき、気をつけるべきことは、発言や情報の背景をきちんと把握することだ。
現実社会においては、言葉の断片だけが評価されることはほとんどない。
その言葉が使われた時と場所、発言者の背景や考え方、これまでの行動などの
”コンテキスト”を把握した上で言葉を解している。
ツイッターのようなシンプルで短い言葉の交換は、
利点となる場合もある反面、その言葉の裏側にあるはずのコンテキストを失わせてしまう。
情報の断片だけでは誤解を生むのは当然だ。
また、誤解をしている人間の発言が、新たなる誤解を生み出すことは想像に難くない。
不謹慎自警団は、こうした相互理解不足の連鎖がもたらすものだと筆者は思う。
問題は”不謹慎”や”自粛”だけではない。
発言の背景を知らず、想像力だけで物ごとを捉え、
必要のない怒りや使命感を感じてしまうこともあるかもしれない。
そんなとき、自分自身が何らかのネット自警団員にならないようにしたいものだ。
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日常生活を変わらず送ること。
意見は述べても、個人を批判しない。
これは ”被災時” に限ったことじゃない。
果たして
ワタクシは出来ているんだろうか
と、改めて自分に問う。
なんちゃって、、、さようなら。。。
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