コンビニでの会話。
レジで会計中の若い女性客。
同世代の男性店員、レジを打ち終わり、
店員は「レシートはご入用ですか?」
女性客「大丈夫でぇす」
???超違和感!、何が大丈夫なんだ?、レシートが無くても大丈夫?
レシートが必要かどうかを聞いているのに、その答えが大丈夫?
レジの店員「ありがとうございました」と、一件落着したみたい。
そぉーなんだ、成り立つんだ!
今度、使って見よう!「大丈夫でぇ〜す」って!
コンビニでの会話。
レジで会計中の若い女性客。
同世代の男性店員、レジを打ち終わり、
店員は「レシートはご入用ですか?」
女性客「大丈夫でぇす」
???超違和感!、何が大丈夫なんだ?、レシートが無くても大丈夫?
レシートが必要かどうかを聞いているのに、その答えが大丈夫?
レジの店員「ありがとうございました」と、一件落着したみたい。
そぉーなんだ、成り立つんだ!
今度、使って見よう!「大丈夫でぇ〜す」って!
親の思い込みに潰された、
自分の自信に潰された、
周囲の期待に潰された。
可哀そうなオトコ。
もう、つぶれているのに、まだ立ち直ろうとする、そして、また潰される。
もう、立ち上がるな、なにもするな、なにかしようとするな、
無になろう、期待も、希望も、思い込みも、みんな捨てて、無になろう。
部屋の隅でジッとして、頭のてっぺんに気持ちを集中させ、なにも考えず、動かず、耳もふさぎ、すべてから逃げて、ジッとして、なにも考えず、体に鳥肌が立つまで、ジッとして、なにもするな!
そうしていれば、いつかは思い込みも、自信も、期待も、そんなものはみんななくなり、素直な自分が見えるよ。
無理のない、ありのままの自分が見えるよ、それまでは、なにもするな、間違っても頑張るとか努力とか、そんなものは絶対にするな、他人にどう思われようが、どぉーでもいい!、
自分の姿さえ見えれば、こっちのもんだ!、それまでは、なにもするな!
自分は、こうやって、生きてきた、そして今があるんです。
今日は、悲しい想いがあった。
会社帰り、雨のあがった帰り道。
片側3車線の広い通りを渡る横断歩道、歩行者用信号が青になり、大勢の人々が駅のある方へ向かって歩き出す。
そんな帰宅を急ぐ人々の流れを妨げるように、大きなビニールの塊を、まるで運動会での大玉転がしがごとく押して歩く老人、多分、ホームレス??
片側3車線の広い通り、横断歩道を大玉を転がしながら横切る。
しかし、あと一車線を残したところで大玉が崩れ、とうとう老人は立ち往生となってしまった。
渡りきれなかった、、、まもなく車道側の信号が青になる。
生活の糧が車道に散らばり、老人は身動きできず、呆然と立ち尽くす。
車道側の信号が青になり、片側三車線のうちセンターライン側二車線の車は一斉に動き出す。
一番歩道に近い車線には、壊れた大玉に行く手を塞がれたタクシーら数台の車。
車が動き出したのをみて、あわてて壊れた大玉を引き集め歩道に運ぶ老人。
あたりには生ゴミの臭いが立ち込める、、、大丈夫か、、、、??
歩道側の車線の車は、先頭のタクシーを追い抜き、センターライン側の車線に移り交差点を抜けて行く。
最後まで塞がれた車線に残ったのはタクシー1台、タクシーをバックにプラごみを集める老人、生活の糧。
こんなシーン、ずーーーと立ち止まってみてしまいました。
老人に何があって、今、プラごみを集める人生になったのか?
とても悲しい、きっと、ほんの些細なきっかけから、こんな生活になってしまったのでしょうね?
日々の生き方を一つ間違えば、私も、私の家族も、明日は、あの老人の様になっているのかも知れない?
どうか、そんなことになって欲しくない。
残り、仕事をできるのも2年ちょっと、年金暮らしへの不安、明日は、あの老人の様になる??
そんな不安なシーンを見てしまいました。
でも、
でもね!、
でも、その次の瞬間、ものすごく、泣きたくなるような素晴らしいシーンを見ることになったんですよ!!!
一番歩道よりの車線の先頭に止まっていたタクシー、なんと、ハザードを点滅させて、横断歩道の前、すなわち老人の前に止まったままになっているんですよ。
最初、客待ちかとおもったけど、タクシーに近寄る若いにーちゃんの乗車を拒否し、そのまま老人の前にハザードを点滅させながら停車し続けているんです!
そう、そのタクシーのドライバーさんは、車道で大玉の残骸をかき集める老人を守っていました。
もし、このタクシーが停車していなければ、歩道側の車線を走ってきた車と老人は、とても危険な状況になる事は、私でもわかりました。
ゴミの悪臭立ち込めた横断歩道で崩れたプラごみをかき集める老人と、それを守るタクシードライバー。
それまで自分の事が不安だっただけに、おもわず泣き顔になってしまった、そんな帰り道でした。
最近、また、心療内科へと通う様になった。
数年前にも、約2年ほど通ったが、当時と同じような症状なので、前回にお世話になり勝手のわかっている心療内科へと、通うこととした。
当時は50代だったし、仕事もまだまだ続けなければならないし、治療も真面目にやったよ。
でもね、今回は、治療するのも必要かと思うけど、あまり身が入らない。
なぜか?って??
今の症状は、普段の生活には支障はないの。
仕事の時に、ちょっぴり周りの人、同僚たちに迷惑をかけてしまうぐらいかな。
今は、周囲の人々が許してくれている、で、もし、許されない程度までに病状が悪化したら、会社、辞めればよい、そんな風に思っているの。
治療するには、少なからずとも自分の生活の時間を治療に使う事になる。
自分の時間を治療に費やす事がもったいない、そして、治療して完治しても、そもそも仕事は、あと2年ちょっとしかできない、定年、すごろくで言えば、あがり!
その2年のために、自分の時間を費やして、治療するなら、その2年に、周囲の人には迷惑をかけるかも知れないけど、自分の時間を自分の好きな事に使って過ごしていきたい!
もう、あと2年ちょっとしかないのです。
体力的にもできる事がどんどん減ってきている事がわかる。仕事なんかやっている場合じゃない!とも、最近、思う。
65歳で年金暮らしになり、体力、財力、思考や認知力が低下してても、楽しい老後は過ごせるのだろうか?
そもそも楽しい老後って、なに???
・・・・この話の前提として、仕事が忙しい、通勤も含めて忙しいことが原因で、今の症状は発症している事。
通勤時間、一日4時間の電車通勤がなくなれば、心の病気もおとなしくなると思っているからです。。。。
中学生のころ、荒井由実さんとして聞き始めました。
当時は7つ歳上の同じ市内のお姉さまって感じもしました。
きっかけは「ひこうき雲」
たまたま部活の先輩宅で、オープンリールデッキのお披露目に呼ばれ、そこで流れた曲が「ひこうき雲」
オープンデッキの音質より、ユーミンの歌詞に衝撃!
それ以来、発売されるLPは必ず買いに行った。
でもね、40代のころだろうか、なぜかユーミンの声が嫌になって、LPを捨てたの。
古臭い、とか、20代、30代の自分の生きざまとオーバーラップするユーミンの曲が、なぜか嫌になった。
そしてLPをすて、それからしばらく、ユーミンを聞かなくなった。
。。。40代も後半になって・・・
海が、、、海がユーミンを思い出させてくれた。
九十九里の遠浅の海を見ていたとき、ふと浮かんだ曲が「潮風にちぎれて」
楽しかったこと、悲しかったこと、たくさんの思い出が出来てしまった九十九里の海、でも、思い返せば、私、この九十九里の海は、昔から好きだった、だからこの海に来て、そしてたくさんの思い出が出来た、そんなのがきっかけで、またユーミンを聞き始めた。
それから、たくさんのことが起きた。
起きたというより、甦えったと言うほうが正しいかな?
昨日、NHKの番組にユーミンが出ていた。
デビュー以来のエピソードが紹介された。
番組を観てて、自分の青春時代から今に至るまでを語られている様な、そんな風にも感じた。
そして、後悔、当時のLPを捨ててしまったこと、それが悲しい。