送電鉄塔の見える場所

稜線の向こうに消えてゆく鉄塔の列はどこへ続いているんだろう

鉄塔の年齢を知る

2011-02-13 21:43:32 | 戦前の幹線
まず2つほどおことわりを。
1つ目。今回の記事は昨年7月の「チッソ株式会社水力センター」「南熊本松橋線と南熊本人吉線」の続きです。これから遠くまで
行くことになりそうな、昔を巡る旅への準備でもあります。そういう流れでお読みください。
2つ目。これは九州電力限定の話です。九州地区内に鉄塔を持っているのは九州電力と電源開発とチッソです。でも電発の線路は
熊本県内を通ってないので見たことがありません。チッソのには年月表示がありません。九電のも県内のしか見てませんが規定や
慣例は全社共通でしょう。
ということで九州地区外にお住まいの方は「へぇ~」で流して下さい。九州で鉄塔を見ていこうと考えてらっしゃる方は要注意!

 

始まりは「南熊本人吉線 54 1925.2」の番号札に出会ったことだった。
最初思ったのは「南熊本と人吉って遠いじゃん!」直線距離で約50km。そりゃもっと長い電線路はいくつもある。でも熊本市近郊に
暮らす自分にとっては人吉って山の彼方のそのまた向こう。(人吉の皆さん、ごめんなさい m(_ _)m)
次に「1925年・・・大正14年。そんな古いもんが残ってるんだぁ。すごいなぁ・・・」
そのうちに疑問が湧いてくる。当時から110KV路線なんてあったんかな。あとから建て替えられたりしてない?だいたい番号札に
表示されてる運用開始年月って、鉄塔の?路線の?他の鉄塔の年月表示はどうなってたっけ。

       例1                 例2                  例3                   例4

     例1.  昨年建て替えられた鉄塔。現在の表示は建替年月。
     例2.  建てられてから11年後に路線が再編成されているが、表示は当初の建設年月のまま。
     例3.  これも既設鉄塔を使用して路線を再編成したもの。こっちは新路線の運用開始年月が表示されている。
          変更前の表示も路線開設年月。鉄塔本体は相当古そう。
     例4.  併架の上段が再編された路線。変更前の上の札の表示が判りづらいが「1997.10」
          この17号では変更後に上段の札だけ「併」の文字入りになったが、18号では上下とも「併」入り。

ばらばらだ。いったいどういう基準なんだろう。九電の社内規定なんて考えたって分かるわけないので質問のメールを送ってみた。
     「大正時代の年月表示のある鉄塔を見ました。当時から建て替えられてないものでしょうか?」
     「鉄塔建て替えや路線再編の際に表示年月が更新されますね。昔からそうだったのですか?」
     「基幹系統の送電電圧に110kVが使われ始めたのはいつからですか?」
得体の知れない自称マニアからのメールだ。待たされることも覚悟していたが翌日には返答があった。
「当社では1965年に標識に関する基準を制定しており、鉄塔の標示札には建設年月を記載することになっています。したがって
あなたが見た鉄塔は当時から建て替えられていません。基幹系統への110kVの採用がいつ始まったかについては資料が残って
いないので確認できませんが、当社が設立された1951年にはすでに採用されていました。現存する110kV鉄塔の最古のものは
1925年に建設されています。」要約するとこういうことだった。
                (ノ゜ο゜)ノ オオオオォォォォォォ- あれは九州最古の110kV鉄塔なのか!
なら大電力を送出していた発電所がやっぱりあったんだ。それはどこ?当然それも質問しましたとも!その顛末は次回にて!!

今回は表示年月の話だ。規定は判った。しかしどうなのよ。現実に建設年月と違う標示がついているものがあるし。実例を挙げて
「あれはどうなんでしょう?これは何なんでしょう?」と重ねてやりとりしているうち、だんだん事情が見えてきた。
  ・鉄塔を建て替えたら表示を更新する、路線変更だけなら年月は更新しない。
  ・併架鉄塔だと親線路(電圧階級の高い方。同じ電圧なら運用開始の早い方。)の標示札に鉄塔建設年月、併架線路の札に
   路線運用開始年月を記載する。併架線路は「支持物を持たない線路」という扱いになるからだ。そして札の右肩に「併」の
   文字を入れて区別する。
原則はこうだ。しかし路線はけっこう頻繁に組み直される。そういう際に原則とはちょっと違う取り扱いが慣例として行われている
らしい。たぶん経費と手間を省くためだろう。別に鉄塔の機能に関わることではないし手順が決まっているなら誰も困らない。
たとえばこんな具合。親線路が廃止になったとする。併架だった方が新しい親になる。でもよっぽど傷んでないかぎり標示札は
変えない。おいおい、建設年月が見えなくなっちゃうよぉー。空いたところに新しい路線がやってくると今度はそっちが併架だから
「併」入りで運用開始年月の札が付く。両方が「併」の札だったりするのはこういうケース。
併架線路でなくても路線再編時に表示が更新されてしまうこともある。以前から建設年月が見えなくなっていたからそうしたのか
勢いでなってしまったのか分からないけど南熊本松橋線が誕生した時には併架部分も単独の部分も2つの分岐線も全部まとめて
「2010.6」に変更されてしまった。あれの場合は基準制定以前にも路線再編されてた可能性が高いからしょうがないかなぁ・・・

               
                  1972年開設の220kV線路と1942年開設の110kV線路との併架
 
こんなのも。既設線路のある場所に新設の電圧階級の高い線路を通す場合。当然鉄塔は建て替える。親になるのは新しい方だ。
この時に既存路線の表示札は旧鉄塔から外したものをそのまま使うことが多いそうだ。画像の例では作り直してあるようだけど。
でも鉄塔建設よりも古い年月が表示されてますね。前からの札を継続使用していたらどっちにも「併」は入らないところだった。
なんかもう何を信じたらいいのか分かんないです・・・(T△T)・・・

  
                         分岐箇所に建てられた引きおろし鉄塔

事態を打破してくれたのはこの分岐の鉄塔だった。2本先で農機具製造工場に入る。工場は1975年の竣工だ。出会った時点では
「表示年月=建設年月」を信じていたので元々の送電先はどこ!?もしや昔あった鉱山?と思って調べ回った。でもその鉱山は
大正期前半から操業を縮小している。九電も「鉱山に送電していた記録はないし1951年時点ではそんな分岐はなかった」と言う。
うーん、分からん。画像とにらめっこ。・・・ちょっと待て。この鉄塔って大正の香りがしないよね。なぜ?

 
              昔風の鉄塔                                  現在主流の鉄塔

古風な鉄塔と今風の鉄塔、どこが違うんだろう。まずは全体のシルエット。古い鉄塔では主柱は下の方だけが傾きを持っていて
腕金の取付部分では垂直に立っている。寸胴な印象だ。今のものは上半分も少し傾いているのでスリムに見える。
トラスの組み方も違う。等辺山形鋼鉄塔の場合、よく見かけるのは◇の窓を小さい三角形が囲んでいるのが特徴のブライヒ構造。
対して古い感じのは上から下まで×が並んでいる。ダブルワーレン構造っていうやつだ。
(鋼管鉄塔の場合は話が別です。さっきの220kV/110kVの2階建のは鋼管製ですからね。)
たしか鉄塔の歴史を解説してるサイトがあったな。それによると昭和初期までは上部が垂直な設計が主流だった。
腕金取付部分にもテーパー(傾き)のある鉄塔が初めて建てられたのは1937年。以降は大半がダブルテーパーの設計だという。
そしてブライヒ結構。ダブルテーパー鉄塔の開発者でもある堀貞治氏が1941年に考え出されたものなのだそうだ。
つまり弓削分岐線28号は1925年に建設されたものではありえない。農機具工場ができた時に建て替えたが標示は以前のものを
そのまま使ったと考えるべきだろう。

以上のことを踏まえて最初の画像をもう1度よく見ていただきたい。・・・ダブルテーパー&ブライヒ結構です。
ちょっとぉ!建て替えられてないって言ったのにぃー。

落ち着け、九電が嘘をついたわけじゃない。「大正時代の年月表示のある鉄塔」などと漠然とした問いだったから一般論の答えが
返ってきただけだ。「南熊本人吉線の54号と47号は建て替えされてない鉄塔ですか?」と問えば「54号は建て替えられています。
47号は当初のままです。」という答えだったかもしれない。でもそれだったら「ああそうでしたか」で終わってしまっていて鉄塔の
構造のことまでは考えなかっただろう。自分で鉄塔の建設年代を見分ける手がかりを得られたんだから良かったと思おう。

このような事情を頭に入れていただいたところで次回は元・南熊本人吉線の正体について。以前に立てた推測は間違ってました。
南熊本人吉線ですらなかった時代があったんです。そしてもっとずっと長い路線だったんです。
と、ここまできて突如浮上する「110kV路線の九州初登場は1931年だったかも」疑惑。ガ━━ΣΣ(゜Д゜;)━━ン!!
どっちにしたって九州最古であることに変わりはないんですけどね、ホントにもう何を信じていいのかワカラナイ・・・_| ̄|○


この記事を作成するに当たっては長島洋雄氏のサイト「架空送電線」の記述を参考にさせていただきました。
また、お忙しいなか不躾けなメールにも丁寧に応対して下さった九州電力株式会社工務部送電グループのご担当者様に、改めて深く御礼申し上げます。

   追記:あまりにも文章が読みづらい&説明が不親切&レイアウトが変だったので若干改稿しました。
       構成が悪いのと話がくどいのは直ってません。ごめんなさい。                    (2011-03-05)

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8 コメント

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はじめまして! (nogu-dai)
2011-03-07 15:08:58
素晴らしい情報量ですね。私は、送電関係の会社で働いて1年になるものです。どうやってこれだけの知識を習得されたのですか?私は1年になりますが、とてもこれだけの知識はもちあわせていません。とても勉強になります。これからも宜しくお願いします。
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こちらこそ宜しくお願いします (たぬ猫)
2011-03-08 04:48:35
コメントありがとうございます。プロの方ですか!うわぁ、なんか恥ずかしい^^;
知識があるなんてとんでもないです。私も送電線に興味を持ち始めてからまだ1年半にしかなりません。先輩マニアの皆様や専門家の方々、関係企業・団体のサイトを見て回って勉強しています。九州電力や電気に詳しい方に直接メールで教えていただいたりもしてます。でもまだまだです。
毎回長々と書き連ねていますけど内容の正確さは保証できません。間違いと判ってあとから訂正なんてことも何度あったことか・・・。まだおかしな記述があるかもしれません。気付かれましたらご指摘下さい。また、そちらにも質問させていただくことがあるかもしれません。その時にはどうか相手してやって下さいませ。
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ありがとうございます。 (nogu-dai)
2011-03-08 11:26:54
プロだなんて…確かにこの仕事で給料を頂いているのでプロなんでしょうが、たぬ猫さんの知識量が私を上回っています。師匠と呼ばせて下さい。宜しくお願いします。
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九州電力人吉電力所・変電所の送電線路について (菖蒲和弘)
2011-05-14 20:45:29
たぬ猫さま

九州電力株式会社人吉電力所・変電所の送電鉄塔を調べてみました。鉄塔所在地には柵が設けられ、立入禁止箇所が多く、双眼鏡で表示札を確認いたしました。
全体的に昭和後期~平成初期のものが多く、古いものはないようです。勿論、建替えも考慮すべきですが・・・。
①「人吉木上線1、1940、6」〈昭和15年〉
②「人吉大霧線1-2、1960、2」〈昭和35年〉 
③「人吉幹線173、1969、7」〈昭和44年〉
④「大平人吉線64、1973、6」〈昭和48〉 
⑤「人吉八代線3、1975、6」〈昭和50年〉
⑥「人吉新水俣新線3、1975、6」〈昭和50年 〉
⑦「鹿児島幹線3、1980、12」〈昭和55年〉
⑧「大淀人吉線245、1985、7」〈昭和60年〉
 「大淀人吉線246、1991、6」〈平成3年〉
⑨「人吉大口線4、1991、6」〈平成3年〉
⑩「人吉川内線4、1991、6」〈平成3年〉

⑧の「大淀人吉線」が、大正14年2月の「南熊本人吉線」110Kvに該当するのでしょう。八代~大淀川第1発電所間の送電鉄塔建設は、昭和5年~6年までが考えられています。藍田村大字七地では、昭和5年に鉄塔建設で神社が移転しています。ひょっとしたら、この頃、鉄塔建設されたのかも知れません。
もう少し、史資料・聞き取り調査を行いたいと考えています。
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ブログ訪問ありがとうございます (菖蒲和弘)
2011-05-16 18:52:28
たぬ猫さま

ブログ「菖蒲和弘が、歩いて、見て、聞いて、調べたこと」にご訪問頂き、ありがとうございます。また、うれしいコメントまで頂戴し、お礼申し上げます。

「南熊本人吉線」の存在を知り、球磨郡の電気史を解明できないかと、ただただ、がむしゃりに調査してきました。しかし、分からないことが多すぎます。
 時間をつくって、熊本県立図書館の蔵書調査をしなくてはいけませんが、これからは田植え準備で、それどころではありません。7月過ぎから調査再開したいと考えています。
 それにしても、私の調査手法は史資料を中心にした歴史です。電気的な記述となればいま一つです。
 今後は、もっと電気全般を含めた歴史解明ができればと願っています。色々とご教示のほど、お願いします。
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九州電力人吉電力所・変電所の送電線路について(2) (菖蒲和弘 )
2011-05-17 01:16:49
たぬ猫さま

5月14日付けのコメント、「九州電力人吉電力所・変電所の送電線路について」の中で、一つ脱落していました。

⑪「市房第一人吉線126、1960、2」〈昭和35年〉

①「人吉木上線1、1940、6」〈昭和15年〉の送電鉄塔は、昭和5年12月4日設立、昭和5年12月許可、昭和5年12月開業した「九州電力株式会社」のものと思われます。
標示札の上部に「九電」とありますが。鉄塔基礎部は小石混じりのコンクリートです。鉄塔構造物には、何十かの塗装痕跡が窺えます。こちらも、そう遠くないうちに建て替えがあるでしょう。
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鉄塔の見方 (たぬ猫)
2011-05-17 06:49:57
菖蒲和弘さま

調査がずいぶん進まれましたね。人吉変電所周辺の鉄塔の建設時期は私も気になっていました。
菖蒲さまは九州電力サイト熊本支店ページにある供給設備図はご覧になられましたでしょうか?あれを念頭において鉄塔を見ると、線路の全体像が分かりやすいです。
鉄塔を見る際に確認するポイントは、電圧・起点・終点・運用開始年月です。電圧は鉄塔の形、そのほかは番号表示札で判断します。
現在の人吉変電所につながっている鉄塔では、頭部が逆三角形のが220kV、頭部がとがっていて腕金と電線の間の碍子が8~10個のが110kV、碍子が5~6個のが66kVです。
起点と終点は路線名で分かります。「人吉木上線」ならば人吉変電所から木上変電所に向けて送電している線、「市房第一人吉線」なら市房第一発電所から人吉変電所に送電している線です。
「幹線」と付くのは500kVか220kVの基幹路線です。人吉変電所には500kVはつながっていません。220kV路線は3本連系されてます。一ツ瀬発電所から来る線と、南九州変電所から来る線と、大平発電所につながっている線です。順に人吉幹線、鹿児島幹線、大平人吉線でしょう。

それから、別便で1932年の送電系統に関する資料を1件お送りしようと思ってます。たぶん明日になりますけど、どうぞお受け取りください。
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鉄塔の見方、参考になりました (菖蒲和弘)
2011-05-17 23:51:55
たぬ猫さま

鉄塔の見方、大変勉強になりました。ありがとうございます。やはり確認ポイントを押えて、送電鉄塔を見ると、色々なことが分かりますね。
今まで、番号表示札が中心だっただけに、これからはポイントを押えて調査したいと思います。
また、デジカメで撮影した写真も、一定していなかったので、写真カードを作成。再度、送電鉄塔のポイントを押えて、撮影したいと思います。
例えば、鉄塔基礎のコンクリート部分や構造物など、周辺の景観も含めて・・・。
いずれにしましても、7月から、再確認・再写真撮影しなければと考えています。
九州電力に照会している件(5件)、なかなか返事がありません。史資料費がないのかも知れません。
「1932年の送電系統に関する資料」があるとのこと、楽しみにしています。
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