小沢幹事長を取り巻くカネにまつわる疑惑が昨年からくすぶり続けている・・。
そんな中、鳩山総理大臣の小沢氏に対する異例の発言が様々な波紋を広げている。
今回、政治資金規制法違反で、元秘書らが東京地検特捜部に逮捕されたことに
小沢氏が反発して“検察当局と断固戦っていく”との決意を述べたことに対し
“どうぞ戦ってください”・・と述べた異例・・というか異様とも聞こえる発言だ。
最初に聞いた時に耳を疑った。
一国の首相ともあろう人が、自分の部下を信じていることを示すために
自分のおかれた立場を考えずに、検察庁を“悪”と決めつけた発言をしたことにである。
そう思ったのは、どうやらたろすけだけではなかったようだ。
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志を共にする政治家としての仲間を信じ切ることは立派なことには違いない。
しかし一方、政治家は政治資金の扱いにおいて国民の前に一点の曇りも無いように
部下を管理するのが党首たる鳩山氏の務めであり義務ではないだろうか?
まるで悪いのは国民だと言わんばかりの“誤解”・・だと一方的に主張する小沢氏。
“ミスはあったかもしれないが故意に法律を犯してはいない”などという姑息な発言、
民主党への政権交代を国民が支持したではないか・・などという発言に至っては
大量得票を得た政党の有権者を無視した奢り以外のなにものでもない。
大量得票を得ることが出来たのは、自民党の行う官僚政治に辟易した国民が、
“有権者に聞こえのいい裏付けなしの公約”に対して藁をもすがる思いで希望を託し
一票を投じたからに他ならない。・・と、たろすけは思っている。
しかしいざ政権を執るとその約束をナンダカンダと言い分けしながらウヤムヤにし
公約を実行するだけの裏付けがなかったことが露呈されつつあるのが実態ではないか。
同じようにこれから先、その発言の影響の大きさに言い訳や修正じみた発言でお茶を濁すだろう
・・と思っていたが案の定、17日午後になって鳩山首相は、その発言の波紋に恐れをなしたのか
“検察批判ではない・・小沢氏の発言を了とする意味で申し上げた。
検察庁を批判するとか捜査に余談を与えるものでは一切ない”・・と弁明し、
“幹事長の続投を認めたという意味で申し上げたわけだから、不適切だとは思っていない”
・・とまで言い切った。一体、誰がその弁明を真に受けるだろうか。
そんな詭弁で国民を納得させることが出来ると、総理が本当に思っているのなら
これほど国民をバカにした話しはない。
検察庁の任意出頭要請に応じず、疑問を抱く国民に対する説明責任でもお茶を濁し、
己の潔白だけを主張し、“誤解だ”とするだけの小沢氏の発言を鵜呑みにするのは
信用というより盲信であり、政治家としてあまりにも浅はかではないだろうか。
実際、政治家の“潔白宣言”ほど信用できないものはない。
かの田中角栄が総理大臣だった時、ローキード事件で疑惑の目が集中したとき
マスコミを集めて行った鼻息荒い“潔白宣言”の3ヶ月後に電撃逮捕があったことが
1月18日付けの大分合同新聞に掲載の立花隆氏の特別寄稿で明らかにされている。
小沢氏を信じ切り検察庁を敵にまわす援護発言をした総理は、小沢氏が転んだら
鳩山内閣・・ひいては日本国の中枢政治組織が命運を共にすることを意味し、
その影響の大きさを考えると極めて軽率で無責任な発言、自殺行為に匹敵する
愚かな発言と言わざるを得ない。
“故意に法律を犯してはいない・・”と明言する小沢氏のこと、法律に違反するような
明確な証拠を残しているはずもないだろうが、“敵”に回した相手は東京地検特捜部である。
やましいことが本当にないのなら自信をもって進んで参考人聴取に応じるように
小沢氏に進言するのが、鳩山総理大臣の“党首”たる職責ではないだろうか。
それが不審を募らせている国民を納得させる早道であり最良の選択肢だと思うのだが・・。
●参考:関連する主な日記です
◎民主党・小沢幹事長の元秘書逮捕 2010年01月15日
◎民主党圧勝について雑感 2009年08月31日
◎結局、誰がやっても同じ・・ 2007年08月02日
◎正直者がバカを見る 2007年07月15日
◎過半数取れば国会はいらない 2007年07月01日
◎19時のニュースを聞いて感じたこと 2006年06月20日
◎民主党、形だけの謝罪会見に思う 2006年02月28日
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要は小沢氏が潔白であるならば全てを明らかにすれば良いだけのハナシ。
変に隠し立てをしているとしか受け取れない姿勢がさらなる疑惑を抱かせているということでは?
新たにわかった事実も取り入れて編集し直しました。
なにをそんなにもったいぶる必要があるのだろうか?
たろすけには単なる証拠隠しのための時間稼ぎにしか思えない。