たろすけ大分・雑感日記

いつ起きるのがわからないのが大災害。
できる限りの備えをして減災に努めたいと思っています・・。

中国の反戦デモに思うこと

2005年04月17日 | 一般ニュースから
連日、中国での反日デモの様子が報道されている。

『国を愛していれば罪は許される』とのかけ声とともに日本人や日本人の経営する店、日本大使館、領事館に非礼の限りを尽くし、それを見て見ぬふりをしているとしか見えない名ばかりの警備をしている中国の警察官の様子を見ていると情けなくなる。

それは個人だけの罪にとどまらず国をあげて反日運動をしているも同然であり、それを『日本側に責任がある…』と、開き直りとしかとれない発言を国家の要人が行っていることに対してである。こんなことを押し通していてはますます中国という国に対して日本国民だけでなく、世界中からその国に対する価値を低く見られてしまうだけだと思う。

しかし一方、日本国が戦時下において中国人民に対して行った暴虐の限りを尽くした蛮行に対して、人々の心の中における精算が未だに済んでいないということにも、戦争の傷の深さを感じてしまう。教科書問題にしても片や未だに敵国視する記述で教育し、片やくさい物にはフタ式で自らの歴史上の汚点に目をつぶる図式では、こうした対立はずっとくすぶり続けるのも無理はない気がする。

こと教科書問題に関して言えば同様の立場にあるドイツの先例に見習うことも考えていいのではなかろうか。ドイツはナチスの時代にポーランドに対して行った暴虐の事実を、共通の教科書を作ることによって過去の負の遺産を事実として共有することに努め、お互いの国民同士の理解を深めることにつとめているという。平静を装い無視するだけでなく、歴史上の事実を負の遺産を含めてすべての人々が知ることが必要だと思う。

一連の騒動を見ていると、まさに戦争とは人々の心に深い傷を刻みつけるだけでしかならない…と改めて思う。そんな戦争を自分の主義主張を通す手段に利用し、またそれに備えようとしている国々が存在することは、人間とはほんとうに懲りない生き物だと思う。人間には本来、自らを治める能力がない…と記述した次の言葉を思い出した。

 エホバよ、地の人の道はその人に属していないことをわたしはよく知っています。自分の歩みを導くことさえ、歩んでいるその人に属しているのではありません。 …エレミヤ10章23節 新世界訳聖書
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2 コメント

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通りすがりさん、こんばんは~ (たろすけ)
2005-04-18 21:32:32
教科書から遠ざかってずいぶんになりますから実際の教科書がどのような記述になっているかは、正直な話、報道を通してでしか知りません。ただ私の遠い記憶では日本が中国や韓国などに対して行った事柄については教科書以外でその一部を知ったにすぎませんでした。くさい物にはフタ式は確かに日本だけに限ったことではないでしょうね。



結局、戦争が生み出すものは国と国、あるいは人と人との間の憎しみだけのような気がします。戦争が存在する限り、こうした問題がなくなることはないでしょうね。

つたない私の書き込みに対しご意見をいただきありがとうございました。
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Unknown (通りすがり)
2005-04-17 17:38:17
教科書は歴史書ではないからどのようなバランスで書いてあってもいいと思うし、国定でない日本の場合その幅は広い。

そもそも日本の歴史教科書で臭いものにフタをするように負の歴史を記述してないというものはない。噂の新しい歴史教科書でもそれなりに記述はしてある。中国、韓国はそれこそ東南アジア諸国での自らの蛮行などこれっぽっちも書いていません。



ドイツ、ポーランドについては国境線が何度も変えられたり一緒の国であった期間も長く共通した歴史感をもつことはある意味可能でしょうが、日本と中国の場合どちらもずっと独立国で国境が交わることもずっと無かったので共通の歴史認識に立つことは難しいと思います。



こんな言葉を知っていますか?

「歴史は過去の教訓であり、争いを続けるための道具ではない。」

普通の国の教科書はこの言葉が生きていると思えます。この言葉の意味を理解しない、理解しようとしない国とは歴史の共通認識などできようはずもありません。
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