※弁天小僧〜1955年(昭和30年):KIINA.2015年
https://m.youtube.com/watch?v=Mk4Rdzit9jQ
オリジナルを歌唱された三浦洸一さんは、吉田正さんの門下生〜吉田学校の最上級生と言われていたそうです。
ご存じの方も多いと思いますが、吉田正さんは満洲で兵役に就き、敗戦後ソ連軍に捕らえられてシベリアに3年間抑留され、そこで作った歌が国内で評判になっていることを復員後に初めて知ったのが「異国の丘」だったそうですね。
朝鮮戦争をきっかけに経済が回復した日本は、昭和29年から「神武景気」と名付けられるほどの好景気に沸きました。昭和31年の経済白書には「もはや戦後ではない」という有名な言葉が残されています。
そうした新しい時代に吉田さんが「これぞ吉田メロディー」と作り出されたのが、都会派歌謡でありムード歌謡でした。
実は吉田さんは「異国の丘」のヒットのあと、なかなか独自のカラーを生み出すことが出来ずにいました。
あまりにも古賀政男さんの存在が大きく、何を作ってもどこかで聴いたことのある曲、全て古賀さんの亜流になってしまう。そんな吉田さんが悩み、もがいた末に編み出したのがスローなブルース調で都会の雰囲気を出すメロディー、鶴田浩二さんの「好きだった」(昭和31年)やフランク永井さんの「有楽町で逢いましょう」(昭和32年)でした。
ということを近現代史研究家の刑部芳則さんが「昭和歌謡史」(中公新書)という本で解説されています。
そういえばKIINA.の「昭和歌謡史」には収録されませんでしたが、やはり吉田さん作曲、三浦洸一さん歌唱の「落葉しぐれ」(昭和28年)や鶴田浩二さん歌唱の「街のサンドイッチマン」(昭和28年)には、確かに後年の吉田メロディーの特徴はあまり感じられません。
この「弁天小僧」もまた、まだ吉田さんがご自身の路線を確立する以前の作品だったのでしょうね。
それはそれとして、私は大好きな作品なのですが╰(*´︶`*)╯♡
「味わい尽くす♬368」での感想です。
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