見出し画像

氷川きよしについて ★ by とねりこ

☆かえり船2014〜Kiinaの歌声を味尽くす♬319

アルバム6曲めは、田端義夫さんで1946年に発表された「かえり船」です。初カバーは2006年の「演歌名曲コレクション7〜あばよ・きよしのソーラン節〜」でした。

https://m.youtube.com/watch?v=0s4Ymo8JOpY

2014ver.の歌声はこちら

https://m.youtube.com/watch?v=664B7XV-IPw

 

このアルバムが出される半年前、「演歌名曲コレクション19〜満天の瞳〜」のリリース時の雑誌インタビューで、インタビュアーの「ご自身が『再収録してみたいな』と思う作品はありますか?」という質問に、Kiinaは「『かえり船』をぜひもう一度歌わせていただきたいです」と答えています。

「今振り返ると、どうしてあんなにキーを高く設定したんだろうと思って」

「今は、歌詞を、言葉を伝えることが一番大事だと思っています。詞を伝えるということは、イコール心を伝えるということ。歌の主人公の心もそうですけれど、それを歌う僕の心も、聴いてくださる皆さんに届けたい」。

 

このインタビューの時に、既に「次のアルバムは歌い直しで」という企画が持ち上がっていたのかどうかわかりませんが、Kiinaの中では確実に歌の表現方法に対する考え方が変化していたんですね。「心を伝えるのに、必要以上にこぶしを回したり、無理して声を張り上げたりすることは要らない」と。

 

この歌の「かえり船」とは、敗戦後に戦地から日本に戻る兵士たちを乗せた復員船のことだと言われています。先日観てきたばかりの「ゴジラ」の冒頭にも、主人公が復員船で日本に帰還するシーンがありました。

以前にも書きましたが、母の上の兄に当たる人は、フィリピンで戦死したそうです。伯父と旧制中学の同期生で、同じように卒業後に鉱山会社に就職した父は中国戦線に召集されて、弾を一発も撃たずに復員、再就職して母と結婚し、子どもが生まれ孫が生まれ、生きているうちには見せてあげられなかったけれど、ひ孫へと脈々と命を繋ぐことが出来ました。

生きてさえ還れたら、こんなごく当たり前の命の継承は伯父にも与えられた権利だったはず。

 

2014ver.の「かえり船」のKiinaの歌声を聴いていると、「あぁ、この人たちは生きて還れてよかったなぁ」としみじみ思い、逢うことの叶わなかった私の伯父さんもこの船に乗せてあげたかったと思うのです。

コメント一覧

藪つばき
こんにちはー。明日から日本海側は
大雪になるという予報ですね。外には出れないので家の中にこもりブログを見ていると、昨日のコメントにまた新たなコメントがあったので読ませていただきました。
みつこさんのお父さまや、サファイアさんの義母の方のお兄さまなど、戦争によって運命を大きく変えられた方々のお話しは、こんなにも身近に沢山あるんだなと改めて驚かされます。私の父も海軍の兵士でしたが、病気によって故郷に返されてしまい、幸いな事に戻ってから病気は回復しその後結婚をして、私が生まれたのだそうです。
そのまま海軍にいたら私もみつこさんと同じくこの世に生まれては来なかったことになります。そのことを思うと自分の命というものがいつにも増して尊いもののように思えてきて、もっと大事にしなければならないなという思いにさせられます。
サファイアさんのお言葉の通り「戦争」というものは二度とやってはいけない!と私も強く同感しました。
サファイア
こんにちは。コメント読むと、皆さんの上の代の方々が、戦争のために色々翻弄されたのがわかります。
船は関係ないのですが、私の義母の兄は、広島の原爆は直接浴びませんでしたが、それから間もなく広島を通ったら、誰かに「ちょっと(広島で)片付けのバイトをしてくれ」と言われて、したそうです。 が、それから実家(岡山)に帰ったら、熱が出て、下がらなくなって、1年後に亡くなりました。 断ってすぐに帰ってたら、こんなに早く亡くなってなかったかも知れません(勿論義母の兄は、こんな事になるとは思わずにバイトしたのでしょうが…)。

全く、戦争は人を不幸にするだけで、誰も幸せになりません。 日本では(勿論他の国もですが)、もう二度と「戦争」というものはやってはいけません!
みつこ
私の父は満州に行っていましたが、北方への転戦が命じられた時、足のおできが悪化して歩けなくなり、部隊から外されて、ちょうど国内に飛ぶ上官の飛行機に乗せてもらい帰国したそうです。その後は高知の海岸で塹壕掘りばかりしていたと聞きました。北方転戦に行っていたら生きては帰れなかったと思います。そうすれば母との結婚も無かったわけで、私も誕生して無かったです。帰って来れなかった人、わずかな幸運で帰れた人、たくさんの方々が運命に翻弄された戦争は二度とあってはなりませんね。「かえりぶね」に乗っていた人々の喜びと悲しみとkiinaは心を込めて歌っていますね。聴くほどにじーんと胸が熱くなります。
藪つばき
おはようございますー。今、2009のクリコンのDVDを見ています。オープニングの蝶の姿も華麗で美しく、今は場面が変わって紺の着流し姿で、花の渡り鳥、越後の雪次郎と歌って下さっています。西寄りさんの名口上も入っていて、もう最高です。
これから年末に向けて忙しくなるかも知れないですが、あい間をみては、クリコンシリーズ順々に見ていこうかなと思います。

今日は「かえり船」でしたね。
敗戦後、日本に戻る兵士たちを乗せた復員船のことだということですが、そんなことをちゃんとわかった上で聴いたことはなかったので、今回は改めてそのことを頭に置いて聴いてみました。あれだけヒットしたということは、やはりこの歌に共感する人たちがその当時数え切れないほど多くいたということでしょうね。
とねりこさんの叔父さんという方も、この船に乗って無事日本に帰ってこられていたら…と思うと本当に切なくなりました。
チャチャチャ
おはようございます。とねりこさんの「かえり船」をもう一度歌わせて頂きたいです。と とねりこさんのkiinaのコメントを読んでから曲を聴いてみました。キーを高くして歌い直されているようですね。高音部分が響いてきますね。前曲より心の入れ方が奥深く聴いていると悲しく感じます。体験談とか聞かれたのでしょうか。帰り船に乗っている人の気持ちが入っているように感じられます。帰って来られなかったひとも不幸、帰って来ても待っている人が亡くなられていたらそれも不幸。長崎見たいに帰ってきたら街はなく焼け野はら、戦争に関連した曲はどれも悲しいです。
せり
こんにちは。「かえり船」kiinaも歌いなおしたいという思いがあったんですね。スッと胸に沁みる歌唱だと思います。kiinaの心の中で変化もあったかもしれません。小節や声を張り上げるばかりでなく心で歌うことが大切なんだと。終戦当時、親の世代は身内や親族に戦死された方々がおられましたね。うちも長男が戦死したため次男の父が家を継ぎました。そういう時代でした。kiinaの歌を聴きながら思いを馳せます。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る