アルバムカバー曲4曲めは、塩まさるさん「九段の母」です。Kiinaの歌唱はこちら↓
https://m.youtube.com/watch?v=OBsz1Be0d6Y
歌詞は歌ネットより。
https://www.uta-net.com/song/113862/
12年前にこのアルバムがリリースされて、Kiinaの「九段の母」を聴いた時、上野駅の駅頭で途方に暮れる年老いた母親の姿が目に浮かびました。そこからどういうルートで靖国神社までたどり着いたんだろうと。
上野駅に着いたのだから、このお母さんは東北地方から夜行列車に乗って来たか、あるいは北関東や信州あたりからなら始発列車に乗りこんだか。
地下鉄はもちろん無いし、山手線で神田から総武線で飯田橋?
違いますね。それは現代人の感覚で、このお母さんは歌詞の通り、道々人に尋ねながら九段坂まで歩いて行ったのでしょう。
そして、この時代の東京の人は靖国神社までの道を尋ねられることに慣れていたのでしょう。杖をつきながら行く後ろ姿をどんな思いで見送ったのでしょうか。
この歌のミソというか、キーポイントは「金鵄勲章」にあると思います。敗戦と同時に廃止になった、特別に戦功のあった軍人に授与される勲章でした。
その当時、金鵄勲章を貰うような兵士を出したことは、その家だけでなく村全体の名誉とされたそうです。
戦死した息子は、年がいってから授かった一人息子だったのでしょうか。子沢山のなかでも殊更可愛がって育てた末っ子だったのでしょうか。或いはもう妻も子どももいて、一家の大黒柱になっていたのかもしれません。
普通の農家であれば、息子が戦死したからと言ってわざわざ靖国神社まで参拝に行く余裕はありません。ひょっとしたら、「金鵄勲章を見せて来なさい」と、村長さんあたりが音頭を取って東京まで行く旅費をみんなで工面してくれたのかも知れません。
Kiinaの「九段の母」を聴くたびに、この年老いたお母さんの家から靖国神社にたどり着くまでの物語をあれこれと想像してしまうのでした。
塩まさるさんがこの曲を発表されたのは昭和14年。日中戦争のさなかです。もちろん反戦歌などであるはずがありません。制作した側には「これが軍人の母親のあるべき姿」という意図があったことでしょう。
でも、大事な大事な息子の命と引き換えに小さな勲章を貰って「果報が身にあまる」と本心から思えるでしょうか?「こんな立派なお社に祀られて、ありがたい」と本心から嬉しく思うでしょうか?
世界中のどこに、そんな母親がいるでしょう。
この曲を聴いた人は、息子を亡くした悲しみを押し殺してそう歌う(しかなかった)母親の健気さに心打たれたのではないでしょうか。
Kiinaはこの「九段の母」のみ、自分から「歌いたい」と申し出て収録したそうです。
「戦争を知らない僕たちは、こういう歌を歌い継いでいかなければいけない。この時代に生きていた方々の大変さを、決して忘れてはいけない」とインタビューでお話ししています。
二葉百合子さんを始め多くの方がカバーされています。サブスクで何人もの方の歌を聴きましたが、Kiinaほど「こう歌おう、ああ歌おう」という欲を捨て去って、このお母さんの心情そのものだけを歌声に乗せている歌手はいないと思いました。男性歌手が女性を歌っているのではなく、「九段の母」その人が、靖国神社の前で背中を丸めてお念仏を唱えている、その姿が鮮やかに浮かんでくるのです。
皆さんが書いていらっしゃるように、Kiinaは歌の主人公になり切ってしまうんですよね。
前にも書いたことがありますが、母は6人兄妹の末っ子で、わたしの伯父に当たる長兄が南方で戦死して靖国神社に祀られています。母は祖父と一緒に秋田駅まで伯父の入隊を見送りに行ったそうですが、その時「もう帰って来ないと思った」と、のちに祖父が語っていたと私に話してくれました。
何も世の母親だけが息子を戦争で亡くして泣くのではなくて、男手ひとつで子ども6人を育てた挙げ句に大事な長男を戦争に取られて、祖父だってやはり悔しく悲しかっただろうと思うのです。