「浪曲一代」、Kiinaの歌唱はこちら↓
https://m.youtube.com/watch?v=EmxRlARrK7Q
歌詞は歌ネットより。
https://www.uta-net.com/song/75163/
長良会長は松井先生に父東天晴さんの生涯をお話しされ、どうしても歌詞に盛りこんでほしいフレーズも指定されたのではないでしょうか。
一見唐突に思える冒頭の「那智の黒石〜」は、天晴さんの元の職業が那智石の運搬であったことで腑に落ちます。
会長は折りに触れ浅草への愛着を口にされていましたが、「長良じゅん」というお名前は、幼少期を過ごした岐阜への思いからつけられたのかもしれません。
あ!今急に思ったのですが。
長良会長には歳の離れた義理のお姉様がいらして(ご両親どちらの血縁かは分りません)、浅草から一緒に岐阜に引き取られました。
このお義姉様が、戦時中の食糧難の時にこっそり自分のご飯を分けてくれたり、お父様が亡くなられてひとり長野に引き取られる時にはおむすびを2個持たせてくれた、と「人生是浪花節」の中でお話しされていました。
「母の握った塩むすび」は、ひょっとすると天晴さんのお母様になぞらえて長良会長とお義姉様の実体験を歌詞に盛りこんだのかもしれません。お母様と離れて暮らした会長が唯一甘えられた存在だったそうです。
「浪曲一代」がリリースされた時、珍しく気合いを入れてカラオケ雑誌を3誌購入していました。
そのうちの1誌のインタビューでKiinaは、レコーディングに当たっては「何度も色々な直しを入れて、何度もレコーディングし直した。メジャー調だけでなくマイナー調のアレンジも試した」とお話ししています。
どんな曲調にするのが東天晴の生涯を語るのに最も相応しいか、こだわったのは、プロデューサーである長良会長だったのではないでしょうか。
最終的に、曲調は原点である「箱根八里の半次郎」に立ち帰ってカラッと明るいイメージに、そしてKiinaご自身も「クサく」歌うことを心がけたそうです。
女性浪曲師の皆さんの奮闘で、今また浪曲界は活況を見せ始めていますが、Kiinaが「浪曲一代」を発表した14年前は「底を打った」感がありました。
「浪曲とは何ぞや?」を勉強しようと、浅草木馬亭の定期公演にも行ってみましたが、元々決して広くないホールの3分の1ほども客席が埋まっていたでしょうか。「閑古鳥が鳴く」とはこのことか、と思いました。
そんな「前時代の遺物」のような浪曲を敢えて新曲のテーマにしたからでしょう。近田春夫さんが「考えるヒット」で取り上げてくださって、Kiinaを大絶賛されていましたね。
「二十一世紀の今日、耳にすることも少なくなった".浪曲"という世界をテーマに据え、"演歌アレンジ"を楽曲に施しながら、胸に迫るものには一切アナクロな気分がない」
「氷川きよしは我々がずーっと心に封印してきた何かを、一途な熱唱をもって解いたのかもしれない。氷川きよしほど自己陶酔とは無縁で、命をこめて一言一句言葉を伝えようとする歌手は、なかなかいないのではないか」
「『浪曲一代』を聴き何より思うのが、歌は<人>だということなのである」
本当にそのとおり!
ご指摘がいちいち的を射ていて、突っこめるところがひとつもありません。
Kiinaと他の歌手との根本的な違い(そこが私たちがKiinaを愛する理由ではあるのですが)を近田さんはよく分かってくださって、きちんと適切な言葉で解説してしてくださることに毎回感激していました。
「浪曲一代」も、Kiinaでなければありきたりな演歌の「一代記もの」になっていたと思います。