昨日、5月3日は長良会長のご命日でしたね。
ご存命でいらしたら、きっとKiinaが自分の意思で自分の進みたい歌の道をめざすことを理解し背中を押してくださっていたと思います。
今は空の上から、きっと。
サファイアさんがコメント欄で疑問に思われたことについて、私なりの見解を述べさせていただきますね。
当事者ではありませんので、あくまでも経験からくる推論ですが、そんなに大きくは外れていないと思います。
※ 「龍翔鳳舞」がクリコンのセットリストに入っていなかったのは?
「龍翔鳳舞」は弦哲也先生の作曲です。20周年の記念曲としてKiinaが直接弦先生にお願いしたと聞きました。
演歌の世界は昔から、そして今でも師匠と弟子の関係性が強い特殊な世界です。
Kiinaは水森先生がオーディション番組でスカウトし、ゼロから演歌のテクニックを叩きこんだ一番の出世頭です。
水森かおりさんは、Kiinaと同じ長良プロダクションですが、弦先生が同じ北区にお住まいでかおりさんのお父様と飲み友達でいらしたことから、かおりさんを引き受けられました。
同じように、北島三郎さんは船村徹さんと、大江裕さんは北島さんと師弟関係にあります。
五木ひろしさんが、歌手としての実力がありながら長い間陽の当たる場所へ出て来られなかったのは、最初についた作曲家の上原げんとさんがデビュー直後に急死され後ろ盾を失ってしまったからです。
水森先生と弦先生が仲が良いとか悪いとか、そういったことではなく、漠然と「氷川きよしは水森先生の領域」という暗黙の了解が業界にはあるのではないでしょうか。
20周年記念コンサートのタイトルとオープニングを飾るのに相応しい壮大な曲〜これぞ正統派の演歌の王道!と誰もが納得する曲をKiinaは弦先生に作っていただきたいと思い、弦先生はKiinaの意を汲んで20周年のお祝いとして「龍翔鳳舞」を作ってくださったのでしょう。もちろん水森先生もご了解の上で。
アルバム制作に当たっても、もう「演歌名曲コレクション」シリーズにはピリオドを打つ、という意思表示もこめて「龍翔鳳舞」としたのだと思います。
「龍翔鳳舞」は、あくまでも20周年を記念する曲という位置にあるのだと思います。
※ 「大丈夫」の2番が入っていないDVDが多いのは、何か事情が?
この曲に限って、ご心配されているような事情はないと思います。
戦前からの流行歌を沢山聴いてみて、歌詞の作り方に一定のセオリーがあることに気がつきました。
特に股旅ものに多いのですが、1番で「自分はこういう者だ」と自己紹介し、2番で色恋物を語り(多くは、恋を諦める)、3番でこれからの生き方を語る。
「箱根八里の半次郎」「大井追っかけ音次郎」「三味線旅がらす」「ちょいときまぐれ渡り鳥」「男の絶唱」、そして「大丈夫」もこのパターンです。
演歌の作詞の先生は、こうしたセオリーをよく心得ていらっしゃるのでしょう。
2番というのは、プログラム構成で尺を縮める必要が出た時に、一番省かれやすいポジションなのだと思いますし、おそらく省かれてもストーリーに影響が出ないような歌詞をここに持ってくることが多いのだと思います。
「大丈夫」には、サファイアさんがご心配されるような"大人の事情"はほぼ皆無だと思います(^_^)