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氷川きよしについて ★ by とねりこ

☆束の間の子どもらの夢:「サーカスの唄」〜KIINA.の歌声でたどる昭和史②

※ 「サーカスの唄」〜昭和8年(1933年):KIINA.2010年

https://m.youtube.com/watch?v=yvWmw5L_TxA

 

中国大陸では絶えずどこかで戦闘が起こり、国内も景気は沈みこんだままでしたが、そんな重苦しい空気一色だったわけでもなかったようです。

昭和8年3月、東京・芝浦で開かれた「万国婦人子供博覧会」を記念して、ドイツのハーゲンベック・サーカスが来日し、半年かけて日本各地を巡業。「サーカスの唄」はその宣伝のために制作されたのだそうです。

動物を100頭以上も連れた大サーカス団に、当時の子どもたちはどんなにワクワクしたことでしょう。ちょうど9歳、10歳ぐらいだったとすると、ご存命なら100歳前後でしょうか?

 

それを考えた時、影絵作家の藤城清治さんが今年ちょうど100歳になられたというニュースを思い出しました。

藤城さんは東京・目黒のお生まれ。プロフィールやご著者のどこにも「ハーゲンベックサーカスを見た」という記述はありませんが、可能性はゼロではないでしょう。

藤城さんの影絵のメルヘンの世界と異国から来た大サーカス団のテントが私の中で重なりました。

 

「味わい尽くす♬」でも書いたように記憶していますが、私は「サーカスの唄」を歌うKIINA.の透明で真っ直ぐな歌声が大好きです。

サーカス団のような旅から旅の巡業生活には、現実には差別も辛いことも沢山あったでしょうけれど、西條八十さんの美しい詩と古賀政男さんの明るさの中に哀感を秘めたメロディーが、「サーカス」という言葉にどこか憧れを感じさせてくれるような気がするのです。

 

余談ですが、やはりサーカスをテーマにした歌に、さだまさしさんの「道化師のソネット」がありますね。モデルになったピエロの青年がいたのは木下大サーカスと並ぶキグレサーカスでしたが、キグレサーカスは2010年に廃業、解散したと聞きました。

私は木下大サーカスもキグレサーカスも実際に観る機会がありませんでしたが、それでも長く日本の子どもたちに夢を与えてくれたサーカス団のひとつが消えてしまったことをとても寂しく思ったものでした。

コメント一覧

みつこ
「サーカスの歌」を聴くと、昔娘を連れて行った木下サーカスを思い出します。体を張ったパフォーマーの演技と動物たちの演技に目が離せませんでした。地元に来てくれることはなかなか無いのですっかり遠い記憶になっています。藤城清治の影絵は「暮しの手帖」に毎号掲載されていて、精緻でカラフルな夢の世界に魅せられていました。地元の美術館で展覧が有り、藤城さんの制作の様子を映像で見ることが出来ました。カミソリの刃を持って紙を切っていく手は傷だらけで、その集中力になんて凄い人なのかと。もう100歳になられるのですね。まだ制作されているのかしら?
KIINA.の「ピエロ」が好きです。舞台でお客をいっぱい笑かして、化粧を落とす時の哀愁感がKIINA.自身の様で泣けてしまいます。
チャチャチャ
おはようございます。「サーカスの唄」
KIINA.の清んだ歌声でとても綺麗な曲になっていますね。ショウが目に浮かぶようです。KIINA.が歌唱すると素敵な曲になって大好きになりました。

昭和8年に大サーカス団が来られた時の曲なのですね。サーカスは派手な衣装や芸で魅了するショウ劇団てすがサーカスを歌った曲は淋しさを感じます。
子供のしつけとして夜口笛吹くとヘビが来るよ。みたいに悪い事をするとサーカスに売られるよって子供のころに言われていたような記憶があります。(昔の事ですが)

命をかけたショウは素晴らしいです。長崎にも何度か来られ、子供と一緒に見に行きました。
白虎が子供のお気に入りで行くたびに白虎に会いにいきます。

藤城さん100歳ですか。素敵な夢を感じさせる影絵、見るたびにため息がでる作品ですね。
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