歌手のオリビア・ニュートン・ジョンさんが亡くなられましたね。
日本の歌謡曲も外国のポップスも隔てなく楽しんで聴いていた世代にとって、オリビアの曲はとても身近なところにありました。
ところで、今朝の徳光さんの「とくモリ歌謡サタデー」を聴いていたら、徳光さんがオリビアと湯川れい子先生のあるエピソードを紹介してくださいました。
1978年、来日を予定していたオリビアが日本のイルカ追い込み漁の映像にショックを受け、「野蛮な行為」と公演をキャンセルしてしまった。
かねてからオリビアと親交のあった湯川先生があるリスナーから「日本の文化を説明した方がいい」とアドバイスを受け、丁寧な英文の手紙をオリビアに送ったところ、理解をしてくれて来日公演を開催してくれたそうです。
10日のスポーツ報知に記事が掲載されていました。
その後の欧米の動物愛護団体によるヒステリックな捕鯨反対派運動を思うと、日本の食文化に根づいた漁法の歴史を丁寧に説明してくださった湯川先生も、謙虚な姿勢でそれを受け入れたオリビアも、本当に素晴らしいと思いました。
お互いに誠意を持って話し合う中にこそ、相手を理解する心が生まれるのだということを、このエピソードが伝えてくれているような気がします。
これが今の時代だったらどうでしょうか。
オリビアが公演キャンセルを発表した時点でネットで大変な騒ぎになり、湯川先生がどんなに説明されても取り返しがつかなかったかもしれません。
確かにTwitterは便利なツールです。今思ったことを即座に全世界に向けて発信出来ます。
でも、呟いている皆さんはいったん足を止めてよくよく考えてからポチッとしているでしょうか。
一度発信してしまった呟きは、仮に後で誤りに気がついても完全に回収することは不可能です。言葉の暴力は発射されたら元には戻せません。
Kiiちゃんがインスタで訴えたかったことも、そこにあるのだと思います。
掲示板もブログも、もはやひと時代前のツールもしれません。
Kiiちゃんを応援するなら、もっと素早く広く拡散出来る方法があります。
でも、私は発信する前に一度、ではなく何度でも立ち止まって考えたい。「間違っていないか、誰かを傷つけないか」。
思ったことをすぐに口にすると結構危険な私には、ブログが相手に気持ちを伝えるお手紙なのだと思っています。
それにしても。
湯川先生はこれまでの音楽活動の中で、どれだけ日本と外国の文化の架け橋になってこられたのだろうと、報知の記事は大きくありませんでしたが、あの時先生がオリビアに向けて働きかけてくださったことは、とても大きな意味を持っていたと改めて思います。