※伊豆の佐太郎〜1953年(昭和28年):KIINA.2000年
https://m.youtube.com/watch?v=acKyKZmdkBw
※白鷺三味線〜1954年(昭和29年):KIINA.2010年
https://m.youtube.com/watch?v=x8ypHw5uBm0
「伊豆の佐太郎」は1953年新東宝公開の同タイトル映画、「白鷺三味線」は1955年松竹公開の「八州遊侠伝 白鷺三味線」の主題歌で、共に高田浩吉さんが主演も歌唱も務められました。
時代劇映画、いわゆるチャンバラ映画は日本の敗戦後GHQの検閲によって制作を厳しく制限(チャンバラ禁止令)されていましたが、1950年の朝鮮戦争勃発でGHQは方針を大きく転換、さらに1951年に占領が解かれ自由に映画制作が出来るようになると、それまでの鬱憤を晴らすかのように各社が一斉に制作を始めました。
高田浩吉さんは「歌う映画スター」として主に松竹で活躍されましたが、各映画会社の中で京都太秦に広大な撮影所を構え時代劇映画を量産して最も隆盛を極めたのは東映でした。
この頃に庶民が最も気楽に楽しめたのは映画でした。その中心になったのはやはり時代劇だったのでしょう。1955年〜1960年には年間で170本もの時代劇映画が制作されたそうです。
「伊豆の佐太郎」も「白鷺三味線」も、そんな時代劇映画隆盛の華やかな雰囲気が歌からも伝わってくるような気がします。
やがて時代劇映画は急速に衰退していきます。時代劇そのものもスクリーンからブラウン管へ。高度経済成長期、娯楽の主役が映画からテレビに取って代わられたのでした。
時が移り、テレビからも時代劇そのものがパッタリと姿を消しつつある中で、東映京都撮影所の関係者は何とか時代劇の火を消すまいと奮闘を続けてこられました。
長くなるので端折りますが、そうした逆境の中での「SHOGUN 将軍」の各賞受賞の快挙と「侍タイムスリッパー」のロングヒット。衣装さんや結髪さん、斬られ役専門の役者さんたち…時代劇の伝統と技術をキッチリと伝承してこられた方々がいたからこその結果だと思います。
「侍タイ」の中で主役のおふたりがしみじみと言葉を交わします。
「やがては時代劇も忘れ去られる日が来るだろう」「だが、今日がその日ではない」
だから、今日を精いっぱい生きなくては。この映画を4回観て、そういうことを言っているのかなと受け止めました。
KIINA.は今まで演じてきた劇場公演での時代劇について、「悪い人だから斬ってもいいというのは違うのでは。悪い人にも生きてきた歴史があって、どうして悪くなったのか理由があるはず」とお話ししていましたね。
そんな、斬られる人の人生も伝わってくるようなKIINA.の立ち回りも観てみたい気がします。
もう一度劇場公演で時代劇やってくれないかなぁ╰(*´︶`*)╯
「味わい尽くす♬」での私の感想はこちら。
それにしても、デビューしたてでこの「伊豆の佐太郎」の上手さと言ったら!
KIINA.の才能には25年間驚かされっぱなしです。
https://blog.goo.ne.jp/tazutazu3232/e/b95b27a2409aa056df9c700a7e32c0fc
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