こんばんは~!
ちょっと集めた惑●●関連データと資料が膨大過ぎてどう纏めておこうか今思案中です。
なので今日は私の考え方を書いてみる。
まず、私は元々『陰謀論』という言い方が好きではない。
前から思っていたが、陰謀論って言う人は何を根拠に何時もそう言うのだろうかと疑問に思っていた。
その『陰謀論』というものについて、一通り話を聞いてみたのか?
その人が述べる根拠や資料に目を通して見たのか?
自分で反証してみたか?深くまで調べたか?自分の考えを構築できるだけの資料や知識を集め、考察したのか?ある程度、それについての真実を追求しきったのか?
ひょっとしてテレビや新聞だけしか調べてない、聞いてなかったりしないだろうか?それは追求したとは言わないだろうと思う。
寧ろ怠慢ではないのか。
そこまでしないのに、根拠も聞かず調べもせずに『陰謀論』と決めつけるのはいささか乱暴だと私は何時も思っていた。そう言うのを「偏見」というのではないだろうか。
もうそこがね・・・特にテレビ。一方的に決めつける、それが暴挙過ぎてそもそも可笑しいと思ったんですよ。
今回は特に異様だ。
昔、プレステ1のソフトでスターオーシャン2というソフトがあったんですが、そこで確かマスコミのチサトさんが「歴史の記述とかで、どこもかしこも一つの論調しかないのはおかしい。普通は色々な見方があるものだ」・・・みたいな事を言っていた気がするんですよね。
今、それはとても重要な事の様な気がしているんですよね。
だから私はいつもどんなに世間で『陰謀論』と言われていようと、一通りは記事読んだり話聞くし、どのくらい信ぴょう性があるのかも必ず調べる事にしている。そうするとその中から結構、後に真実だった事がいつもある。
ADEに関してもそういう経緯で調べたが、これも陰謀論でもなんでもなかった訳だ。
寧ろ『陰謀論』という言葉が、人々の考える力を奪った結果が今の惨事なのではないだろうか。
最初から『陰謀論』で片付けさえしなければ、もっと対策の取りようもあったかもしれない。
偏見の言葉は人を惑わし、結局事実を見えなくさせるのではないだろうか。
今回、それが証明されてしまったと思う。
どんな論にも皆主張にはそれぞれ一定の根拠がある。それを議論し、情報をだしあったりして、真実とはそうやって各々が死力をつくして議論し合い、その果てに辿り着くものではないのだろうか。
特に今回は普通ならば本来は治験に何年もかける代物。なので本来ならば余計に慎重に公平な調査や議論をしなければいけないのではなかったのか。
同じ「真実を追求する」という目標に向かって、共に協力するのが本来の国家の在り方ではないのだろうか。
それなのに、今回の政府とマスコミの態度はあまりにも一方的過ぎるから可笑しいと思う。
人々は普段遺伝子組み換え食品やらを気にしたり、他の医薬品やワ●●ンなら人が死んだら話題になったりするのに、今回の“報告された死者達”の事は何故か話題に出さずに皆アレを打つ。
それと前から思っていたが皆新型感染症を怖がるが、その死者や重傷者を見て怯えて可哀想とか言っていたりするが・・・惑●●でも重傷者はいるし死者も出ているのに、その人達は可哀想じゃないんでしょうか?
死んでしまったり苦しんでるのは同じなのに、悲しみや心配の大きさに差がでるんですかね?
何故、テレビ・・・マスコミはその声をもっと聞いてくれないのでしょう。
それらを全て置き去りにして、打ってしまう人々はなんなんでしょう。
皆何か、大切なものを置き去りにしていませんか・・・
私はその事がずっと引っかかっていたし、ずっと悲しいです。
でも一方で、今回こんな事態を招いたのは日本国民全員の責任だと私は思います。私も含めてね。
今まで私達は、自分で考える能力を失いつつあったのにそれすら気付かなかった。本来なら政治の話も本当はもっと議論を交わすべきだったのではないだろうか。自分の国の事なのに・・・。
テレビや新聞だけをうのみにする人も増えてしまった。
現にADEに関してはネットではもうとっくに言われていたのだから。
そしてその事に気付けなかった、止められなかった私達も纏めて同罪です。これは日本人皆の責任だと思います。
私達は今回の事で、とても反省するべきだと私は思います。
同調圧力を安易に許す社会にしたのも良くなかったし、こういう話をあまり本格的に議論して来なかったのも・・・そういう社会にしたのは日本人の私達です。
それが今回の件で唯一、良かったと思えることかなと私は思います。
今までの行いがこういう結果を招くのだと「気付けた事」が・・・。
ところで、話は変わりますが
私、最初にこの件を調べ始めた時は何度も絶望しました。両親は打つというし、本当に絶望して泣きました。知り始めて1カ月位地獄でした。
でもその時、いつも何度も自分自身に繰り返し言い聞かせた言葉があります。
鬼滅の刃の煉獄さんの言葉です。
【胸を張って生きろ
己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと、心を燃やせ。
己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと、心を燃やせ。
歯を喰いしばって前を向け。
君が足を止めて蹲っても、時間の流れは止まってくれない。
共に寄り添って悲しんではくれない】
君が足を止めて蹲っても、時間の流れは止まってくれない。
共に寄り添って悲しんではくれない】
この言葉で逃げても現実など変わらないんだと。時間も待ってはくれないと、何度もそう思い直しました。だから今まで何とか挫けずに調べてこれました。
まあ、でも今は、覚悟をもって調べつつ生きてます。悔いが無いように、いつ何が起きても後悔しない人生であるように。
だから最近は、意外と以前絶望してた頃よりは病んでません。寧ろ覚悟決まったからすっきりというか。さっぱりしたというか。
何にしても悔いが残らない生き方にしたいです。