「第二ボタン」についての薄い考察

2015-03-15 00:26:10 | 雑談
卒業式のシーズンですねえ。

卒業式で、「豊後梅」の苗木をもらったのは南校で間違いないですか?
最近記憶があやふやです。

実家に撮影に行ったら、もう散りかけていました。


去年までは結構大きかった卒業記念の豊後梅。
毎年大きな梅の実がなります。
だけど今年は大きくなりすぎるからと父がばっさり刈ったそうで(^^;
毎年みごとな花を咲かせるのに、撮影がおくれて残念!!


今日はFMラジオで卒業ソングの定番についてお話ししてました。
そしてNHKで卒業ソング特集を放映していました。

今日のラジオで言ってたんだけど、
「第二ボタン」!

そう、卒業の時、男子は好きな子に第二ボタンをあげるという・・
そんな風習、私たちのころにもあった??

う~~~ん。。

今日すっごく考えました。
・・・・・実は、そんな会話をした記憶がない

で、以下の仮説をたてました。

1.私がそういうことに無縁だったので、実は常識だったのに私だけが知らなかった。南校のみんな卒業シーズンには当然やってた。(ありそう。。)

2.一般的に行われている習慣だったが、中津が田舎だったから南校の生徒は知らなかった。

3.私たちのころにはそんな習慣はなかった。

もし、3だと、「卒業式で第二ボタンをもらう(あげる)」という習慣があったかどうかで、年代がわかるという・・w


(どうやって調べよう)と思って、注目したのが卒業ソング!

いろんな定番卒業ソングがあるけど、私たちの卒業前後の有名なものを集めてみました。

1975松任谷由美「卒業写真」
1979海援隊「贈る言葉」
1981年3月、中津南校第33回生卒業←
1982松田聖子「制服」・・「赤いスイートピー」B面
1983柏原芳恵「春なのに」
1985斉藤由紀「卒業」

そして、わかったこと。

「第二ボタン」の習慣が登場するのは、
1983柏原芳恵「春なのに」
1985斉藤由貴「卒業」
の、二つだけ!

【1983柏原芳恵「春なのに」】
  記念にーくーだーさい ボタンーをーひーとーつ
  青いー空にーすてーますー・・・
  春なのにーお別れーですかー
  春なのにー涙ーがこぼれます・・

【1985斉藤由貴「卒業」】
  制服の 胸のボタンをー
  下級生たちに ねだらーれー
  頭掻きながらにげるのね
  ほんとはうれしい くせーしーて uummm

松田聖子の名曲「制服」(これなんと、赤いスイートピーのB面だったとは)にさえ、ボタンは登場しませんでした。

となると、仮説3の信ぴょう性が増してきます。


しかし、もうちょっと調べてみたら、諸説あるようですが、
「学徒出陣の時、自分の心臓に一番近い第二ボタンをあげたのがはじまり」って書いてるのが多いみたい。で、「春なのに」のヒットで一気にひろがったって。

結論
「戦時中からあったけど、一般的になったのは柏原芳恵の歌がきっかけ」かなあ

となると、私たちのころは、第二ボタンをもらった(あげた)人はいない??
でも、戦時中の歴史に詳しい人は実行していたかもしれません。
いずれにせよ、詰襟の学生服だからこそできる風習ですよね。
ブレザーだったら、ボタン残り一個とかになりそうです(^^;



あ。
1983年に歌になったってことは、
すでに常識だったと・・??????
(問題解決していない)


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