「MUSIC ROW」というWEBをご覧下さい。
Countryの情報がいっぱいです。
その中に、Countryの名ギタリスト・瀬谷福太郎さんの「カントリー四方山話」が載っています。
"(8) ムーン・マリカンとの思い出"に、僕の東京時代のBandのリーダー黛 登さんとベースギターの宮治英輔さん(後にリードギター)が登場しています。
(1),(2)に"チェト・アトキンスとの思い出"がありますが、その中のTVショウの写真に宮治英輔さんの姿があります。
1965年、東京厚生年金会館で、チェト・アトキンスのステージでベースギターを弾いていたのが宮治英輔さんです。
その時に、宮治さんのベースギターにチェト・アトキンスがサインをしてくれているのですが、その大事な貴重なベースギターを、僕がお借りしていて、何と!!何と!!留守中にドロボウに入られて盗まれてしまいました。
当時、僕はベースギターを担当していました。
宮治さんには取り返しのつかないことをしてしまったのですが、僕のカントリー人生は宮治英輔さんなくしてありえなかったのです。
今も大変良くしていただいており、楽しいお付き合いをさせていただいています。
Countryの情報がいっぱいです。
その中に、Countryの名ギタリスト・瀬谷福太郎さんの「カントリー四方山話」が載っています。
"(8) ムーン・マリカンとの思い出"に、僕の東京時代のBandのリーダー黛 登さんとベースギターの宮治英輔さん(後にリードギター)が登場しています。
(1),(2)に"チェト・アトキンスとの思い出"がありますが、その中のTVショウの写真に宮治英輔さんの姿があります。
1965年、東京厚生年金会館で、チェト・アトキンスのステージでベースギターを弾いていたのが宮治英輔さんです。
その時に、宮治さんのベースギターにチェト・アトキンスがサインをしてくれているのですが、その大事な貴重なベースギターを、僕がお借りしていて、何と!!何と!!留守中にドロボウに入られて盗まれてしまいました。
当時、僕はベースギターを担当していました。
宮治さんには取り返しのつかないことをしてしまったのですが、僕のカントリー人生は宮治英輔さんなくしてありえなかったのです。
今も大変良くしていただいており、楽しいお付き合いをさせていただいています。
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