(3) 目覚めよ日本人 vol.54「ムー民がいない。このままじゃ地球は重いエネルギーだらけに…。」 - YouTube
参考にしてみてください。
おみくじ文章です。↓
老子の言葉 第三十章
(独自の超訳)
人道的な良心をもって君主(王様)をサポートしている真に優れた官僚(政治家)は、
軍隊をもって社会を制圧しようとはしません。
もしそんな支配を民衆にすれば、必ず国家に跳ね返るものです。
国家に軍師が居れば、その国の農地は紛争のために荒れ果てることに成ります。
だから大きな戦争の後は、必ず凶作となり国家が飢えることに成ります。
もし善い優れた官僚が国家にいれば、戦争をしなくても目的を果たすことが出来ます。戦わずして勝つのです。
そして勝利しても誇らず、勝利しても自慢せず、勝利しても驕らずに、やむを得ず実行しただけだと言います。
そして勝利しても、相手に更なる強制的な支配をしようとはしません。
コノ世の物事は、強制することは必ずダメに成って行きます。
このことを「不自然な道」と言います。
不自然な道は、早く終わりを告げるものなのです。
原文
「以道佐人主者。不以兵強天下。其事好還。
師之所処。荊蕀生焉。大軍之後。必有凶年。
善者果而已。不敢以取強。
果而勿衿。果而勿伐。果而勿驕。果而不得已。果而勿強。
物壮則老。是謂不道。不道早已。」
(感想)
二千五百年前と、今の国際社会はまったく同じレベルですね。
現代の国連を見ましても、核兵器や強大な軍事力を持つ大国同士においては、「話し合い」「暗黙の妥協」という、戦わずしての交渉が出来ているレベルです。
今の人類は、武器を背景に持たなければ、「戦わずして勝つ」ということが調整できないレベルに過ぎません。
何時になれば、武器を持たなくても冷静な話し合いが出来る人間の意識に成るのでしょうか?
この章で老子が述べていることは、今の官僚や政治家があるべき理想の姿でしょう。
考えて見ますと、これは家庭問題でも言えることなのです。
家族の中でも力の強い者が、他の家族を暴力と恐怖で縛る事件が社会で多発しています。
もし家庭でも、力の強い者が2名いますと、国家と同じように冷戦状態に成るのでしょう。でも、たまに衝突して事件に成っています。
つまり、先ほどの「何時になれば武器なしでの世界平和が来るのか?」という問い掛けの答えは、私達の家庭に有るのではないでしょうか。
人間の家庭内から理不尽な暴力が消えた時に、世界平和が自然と到来するのです。人類のサガを表す縮図が、家庭なのです。
1つ1つの家庭や個人の意識が、国家や地球の状態に反映すると感じます。
家族や他の人間を傷付ける・搾取する・利用する、という意識が個人個人から消えれば、国家全体でも消えていくのです。
だから、家族を放置したままで「戦争反対」「世界平和」などのプラカードを持って「外」にいる間は、いつまで経っても戦争は無くなりません。家族を放置しても平気である人類の意識レベルだからです。
家族のことが心配になり、自然と家庭に戻り始める時節が、本当に平和が到来するサインです。
これは、家族を放置して外で信仰している間は、自分の心に存在する本当の正神には気付けないことと同じなのです。
日本が今でも存在出来る理由は、運でしかありません。たまたま幸運が継続しているだけなのです。
いつでも簡単に運勢は変わります。
まだ運を継続させるモノが、日本にナントカ残存してくれているお蔭なのです。
その正体は、先祖や自然・大地に「感謝する気持ち」と、御祭りの風習が残存するからです。
しかし私は、兵器でも「運」には勝てないと思っています。
「たまたま、そう成る」「そう成って行く」とは、本当に凄い力なのです。人知を超越しています。
老子は、このようなことを「自然に任せる」と言っています。
ただし、自然に「本当に」任せるためには、今日の章でも老子は
「勝利しても誇らず、勝利しても自慢せず、勝利しても驕らずに、やむを得ず実行しただけだと言います。
そして勝利しても、相手に更なる強制的な支配をしようとはしません」
と言っています。つまり、自分がするべき努力の実行と、自戒が大切なのです。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
これを忘れないようにしたいものです・・( ´艸`)