敦賀に行ってきました。
ここは「山車会館」
この日は無料で見学ができる日でした。
敦賀の山車の起源はさだかでないが、京都の祇園祭りの影響をうけて 室町末期には成立したと思われる。このことは、天正三年(一五七五 ) 織田信長の祭礼見物の伝説、寛永一九年(一六四二)小浜藩初代藩主酒 井忠勝や寛文三年(一六六三) 二代藩主酒井忠直の山車観覧の記録から かがわれる。江戸時代にあっては、敦賀三六町のうちの一二町が東・西組六町ずつ に分かれ、隔年ごとに山車を曳き出していた。すなわち、八月三日には 富裕な商人たちを中心とした小山車が、四日には六町からそれぞれ一基 ずつの大山車と商人たちの小山車が、少ない年で三〇基、多い年には五〇 基ほど曳き出され賑わった。明治六年(一八七三)に個人の山車を廃止するとともに、町で曳き出 大山車を小山車に変更した。さらに東西組を統合し、原則的に各町 からき出す山車の全一二基を巡行するとした。また、明治五年一二月 には暦が太陽暦に改正されたため、祭礼日も一か月遅れの九月三日四 に執行されることとなった。昭和二〇年七月一二日の戦災で山車の大部分が焼失したが、現在、六 基がようやく復元し、昔の姿をしのぶことができるようになった。 なお、当館での山車の名称は、江戸時代のものを使用している。
親切な受付のお姉さんがわざわざ私たちのために映画を準備してくれた。
もうすぐ行われる気比神社の祭りに使う山車の人形の着せ替えをしてました。
本物の甲冑だそうです。