2日目の午前の演奏と夜の演奏の合間に除染作業が行われている地区へ
車を走らせました。
川俣町から浪江町の辺りでしょうか。
除染作業中という旗があちこちにたっています。
汚染された土なのでしょうか。ビニールシートがかぶされています。
そこには、この先帰還困難区域につき・・・ とのたて看板。
そこそこに黒いビニールの塊が置かれています。
のどかな田園風景です。
あの時のまま家も道もあり、花も咲き、木々は色付き・・・・
なのに人の気配はほとんどありません。
日中は帰還できるらしく 時折人影があるも生活感はありません。
こんなふうに言ったら津波の被害を受けた方達に申し訳ないけど、
いっそ津波で町がなくなればあきらめもつくのに、
目に見えない放射能がある以外はなんら変わらずにそこにあります。
部外者が見ても心痛む風景です。
町の方はどんな想いなのか・・・
途中 放射能の測定器が設置されていました。
0.189マイクロシーベルトは高いのか低いのか(勉強不足ですいません)
コスキンの会場は 0.08マイクロシーベルトでしたから 会場よりは高いですね。
そしてどんどん走ってとうとう通行不可のゲートまでたどりつきました。
係りの人が見えます。
このゲートの前でお弁当たべるぞ~ と意気込んでいたのに すごすごユーターン
パトカーやら役場の車とすれ違いました。
他県ナンバーの車ですから怪しまれていたのかも。
友人から聴いた話でチェルノブイリでは事故から27年も経つのにそこから70キロも離れた町でも
牛乳164ベクレル、ベリー253ベクレル 乾燥キノコ23,000ベクレルだそうです。
(ちなみに南相馬にある測定所で測定したキノコは
2012年・4,356ベクレル/㎏ 13年・3,007ベクレル/㎏ 14年・1,792Bベクレル/㎏
15年・1,317ベクレル/㎏だそうです。
ベクレルとシーベルトは単純に換算できないのでいけませんが、
日本政府は100ベクレル以下なら安心といっていることから考えても恐ろしい数値ですね。)
この除染した田畑で作った作物が安心して食べられるのはいつのことになるのでしょうか?
いっそ田畑全部に東京電力の損害賠償として太陽光発電を設置し その電力で町の電気を
全部まかなえないものでしょうか? 東京電力の電力なんていらんワイと言ってやりたいよねぇ~。
と車中で提案していたティエラでした。