古典は、眠くなるという人がいます。
しかし、宮城梓さんの古典は眠くなりません。
なぜでしょう?
そもそも、古典とは何か?
歴史学で使う「古典」とは、人間が戻るべき時代、人間が生き生きとしていた時代のこと。
ルネッサンスの理想の時代。
古典には、人間の生き生きとして情動が息づいているはず。だから今日まで生き延びてきたのでしょう。その生き生きとした情動があるから、眠くなるわけがない。
あずさぁの古典は、毎回、かなり情念のこもった登場人物(女性)がいる。きっとその彼女に感情移入して歌っているのではないか?(以前は、イケメンの若松さんをおっかける人だったが、今回は・・・みたいな)
しかし、古典は言葉が分からないと?
実は、そこがいい。ここは鶴瓶師匠のラジオで学びました。
多くを知らないほうがいいのだと。タモリさんの言葉だったかな。ここはもう一度聞き直したいところです。
例えば、英語の曲は、だいたい、曲名とサビのワンフレーズぐらいしか意味を知らない。
あとは歌手の表情とか音で判断している。あとあと、曲を正しく訳してみたらイメージと違ってましたという経験は誰でもあるでしょう?
むしろ、各自が各自のイメージで聞くのがいい!
たとえば、人の印象は見た目が9割で中身の理解での判断は数%と申します。音楽の場合は、音と表情が大きいのでは?
題名とちょっとした中身の解説で、あとは表情と音から各自がイメージして聞くことで、古典は世界が広がるのではないか?
そもそも、古典も最初に唄われたときは、古典ではなかったはず。そのときの庶民の歌だったのでしょう。庶民の歌は庶民に共感されたから歌い継がれた。
そうした曲を発掘して、命を蘇らせるのが唄者の役割なのでしょう。あずさぁはかなり丹念に中身を調べているようです(ラジオでいってました)
そして、同じような年齢層の主人公の情念が現代に蘇る。
だから、あずさぁの古典は眠くならない・・・どうでしょう?
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