私のメモ帳

今のところ…何を書こうか決まっていない私のメモ帳。

富士登山

2011-07-17 19:54:24 | 日記
7月15日(金)富士登山をしました。
登山開始は20時30分。
天気は晴れ。

8合目で心配していた高山病にかかりました。吐き気はあるものの、発熱や嘔吐といった症状まではみられず、ゆっくり頂上をめざしました。

前回は、雲海からのご来光を拝みましたが、今回は天気に恵まれて地平線からの美しいご来光を見ることができました。



高山病にかかって吐き気と闘いながら頂上を目指すのは困難で…
たった五歩を歩いただけで心臓がバクバクと鼓動して、立っていることが苦痛で…
そんな身体状態で頂上を見上げて思うのは、『一体、あとどれくらい苦しまなきゃならないんだろう…。』という事。
だから、とても上を見上げるなんて出来なかった。

四歩先だけを見ながら「あとちょっと歩いてみよう。」と続けるので精一杯。
でも四歩歩くことだけを考えるから、日頃あれやこれやと悩んできたことなんて頭の片隅にも出て来なかった。

ある意味で、苦しいお蔭で、苦しくなかった。

人って、どっちにしろ日頃から悩んだり苦しんだりなのかもしれない。

考えて、悩んで、もっと苦しくなるなら…
そんな考える余裕がない方が、楽なのかもしれない。

でも、考えて、悩んで、苦しんで、それで更にまた考える事が人を琢磨して美しくするのかもしれない。

人事を尽くして天命を待つ

2011-01-15 13:19:24 | 日記
仕事では…ホントうまくいかないことが多い。

注意されてばかり。
注意されることが多すぎて直しきれず…。
「一つ一つ確実にしていこう」としても、やはり焦ってしまう。
焦った結果、全体の動きが見えなくなってしまうことも度々。
その内、どんどん自信を喪失し、自分で自分をかばいきれなくなる。
自分で自分に自信を持たせるために仕事以外の何かで「私はこれが出来る」というものを作り出そうと考えて…資格の勉強に手を出そうとしていた。

本末転倒するところだった。


先日、同僚が言っていた言葉が自分をたたき直してくれた。
「チャンスは逆境の中にある。」
チャンスは天からの恩寵のようなもの。
自分の度量や器にあったものが与えられる。
だから、多くのしがらみの中で自分を高める必要があるのかもしれない。
チャンスは自分から探すものじゃなくて掴むもの。
日々切磋琢磨しながら与えられた『環境』のなかでよい器をつくり、
降ってくるチャンスを自分の器でキャッチするものなのかもしれないなぁ。


『人事を尽くして天命を待つ』



ついついやるべきことから目を背けたくなってしまう自分に良薬です。

『チャンス』

2011-01-11 21:02:53 | 日記
チャンスって訪れてるけど。。。

どうやったらつかめるんだろう。。。


あれも、これもやりたいことが多くて。
何がチャンスで、何がチャンスじゃないのかわからなくなってしまう事が多い。

そんな時。隣の席の同僚が言った言葉。

「チャンスって逆境の中にあるんではないか。」
「それに気づきにくい事もおおいけど・・・。」


私って、今という現実が大変でほかに目を向けようと、
逃げる為のチャンスを探していたのかもしれない。


彼は立ち向かうためのチャンスをしっかり探してる。

私も。
立ち向かわなくちゃ。
逃げたらチャンスも逃げちゃうかもだから。

2011年『私のテーマ』

2011-01-08 01:24:02 | 日記
2011年が始まって・・・7日が過ぎた。

2011年のテーマ。
もう一度振り返ってみることにした。

 『自分は何者か?』

もうすぐ29になろうという私。

未だ、自分は何が好きなのか、何がやりたいのかわからない。

人生1度きりなどと言われる事もあるけれど…その一度きりをどう生きるべきかわからずに、こんなに時がたってしまった。

でも、振り返ってみると意外と面白い人生を歩んでいるよう。


自分で選んだわけではないけれど。
与えられた環境に反発せずにいただけ。

幼少の頃から宗教にハマる母に結構愛情をかけられて育てられたと思う。
厳格な父にも沢山遊んでもらった。
結構恵まれた幼少を過ごしたほうだと思う。

中学校の時は3年間もいじめられてた。
 
高校は同じ中学の人のいない学校へ入学したけど、登校拒否。


親に勧められ韓国に留学。


そのまま大学進学し神学をまなぶ。


そのまま韓国で就職をして仕事をする。
未来に夢を描く子供たちに携わる仕事。


28にもなったので帰国退職をし、今は近所で就職。


たまたま両親が介護施設を経営していた影響もあり、介護職に就く。

最近は、終末の準備をする方々に携わる仕事。

いろいろな事を考えさせられる。




人は、人生を自分で選んでいるのだろうか?

死ぬまでに、学ばなければならない事があり

そのための教材を『環境』という形で与えられているように思う。

数ある宗教の多くが、『死後』のための人生だと言う。

その『死後』というのが『後世』のことなのか、『あの世』のことなのか私にはわからない。

未来に向かい、希望や不安を抱えて前に進もうとする子供たちを見ながら私に与えられた役割は何で、何のために生きているのか考えるようになった。

終末を迎えようとする人たちを見て、『ゴール』は何処なのか考えるようになった。


後半とはいえ20代の若造が、ぼぉ~っと偉そうな事を考えているのもだと笑ってしまう。




『自分はなにものか』
このテーマの答えは出ないと思う。

ただ、ぼぉ~っと考えながら、何か面白いものを発見できるといいなぁ。
といった感じ。

時々、振り返りつつ。
2011年を楽しんでいこうとおもう。