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フロリダ半島日記ーヒスパニック票とオバマ大統領候補

2012-09-09 17:01:08 | 日記
ノースカロライナ州で行われていた民主党全国大会が終わりました。
6日夜、オバマ大統領は民主党からの大統領指名を受け入れました。これによって共和党の大会で指名を受諾したロムニー氏との対決となります。両者は11月6日における米大統領選に向かうわけです。大会が終わりオバマ大統領が急遽やってきたのがフロリダです。今日はヒスパニックや黒人(アフリカン。アメリカン)が多く住むオーランドの近く、明日は大西洋岸沿いのビーチの町で集会を持ちます。大統領選も今やヒスパニック票を無視できなくなってきました。ヒスパニックというのは中南米のスペイン語圏の国々から移民してきた人々とその子孫のことです。メキシコやプエルトリコやキューバなどからの移民者です。ラティーノというと中南米(ラテンアメリカ)全域からの移民者です。フランス語圏のハイチやポルトガル語圏のブラジルなどもここに入ります。
少しヒスパニックの移民以前の歴史を説明します。16世紀、スペイン人の入植と共にフロリダにもともと住んでいた多くのインディアンが疾病などで激減したのです。18世紀にフロリダ以外に住んでいたインディアンが移り住み、少なくなったフロリダのインディアンと合流、更に逃亡奴隷たちが加わって“セミノール”といわれるようになります。アメリカ軍とセミノール。インディアンとの戦争は第三次まで続き、<インディアンのベトナム戦争>とも言われて湿地帯と泥沼での戦いでした(1817-58年)。敗戦後のインディアンは州外に移住させられ、フロリダには数百人が滞在を許可されただけでした。そして南北戦争が起こります(1861-65年)。南北戦争以前は奴隷制が合法化していて黒人がフロリダ州の44パーセントの人口を持っていました。フロリダは南軍に属して南北戦争に敗北したのです。しかし1900年ごろ黒人は相変わらず44パーセントの人口を占めていました。本来、南北戦争で奴隷解放がなされたはずでした。しかし白人からのリンチや差別などで、数万人の黒人たちがフロリダから逃れていったのです。その後、フロリダが避寒地、観光地として繁栄していくにつれて、多くの白人たちの移住が始まります。1959年のキューバ革命によって多くのキューバ人がフロリダの南部特にマイアミに逃げてきます。マイアミはその後、中南米やカリブ海との経済産業の中継地として発展します。そして中南米からヒスパニックやラティーノの人々が移住してきて大都市となっていくのです。興味深いことは(これはフロリダだけではなく全米において)ヒスパニックも黒人もアジア系もみな最近までマイノリティーだったわけです。アメリカ合衆国の主流はアングロ。サクソンの新教(プロテスタント)です。イギリス系がアメリカに最初に移住してきて“定住者”(settlers)となりました。もちろんアメリカン。インディアンはすでに数万年に渡ってこの大陸に住んできました。インディアンから見れば全く不法侵入者たちです。ただイギリス人から始まっての移民者たちはアメリカ社会や国家を近代法や普遍的な理念で創建し、更に今まで歴史上なかった移民による多元社会、人種のルツボを実験してきたことは否定できないのです。しかし、アメリカの移民の歴史は葛藤そのものでした。まず黒人がアメリカ社会からのけ者のようにされてきたように、ヒスパニックも差別と偏見で見られてきたのです。その理由はカトリックが多いこと。不法移民の数が多いことなどです。1950年代から60年代における公民権運動ではヒスパニック系は黒人を支援したのです。しかし80年代以降、急増するヒスパニックの移民によって、多くの黒人たちの単純労働やマイノリティー支援金がヒスパニック系に奪われるようになったのです。そして段々、政治的にもヒスパニックと黒人との関係はうまくいかなくなっていくのです。今回の大統領選挙もこれら急増するヒスパニックを充分考慮し配慮し優遇しなければならなくなってきたのです。オバマ大統領は今年6月15日、若者を中心とした不法移民の一部合法化を大統領令という形で発表したのです。これには多くのアメリカ人がショックを受けたのです。ヒスパニック系の親たちが不法に移民していても、その子供たちには優秀な若者が多く、彼らはアメリカで教育を受けて英語も堪能でアメリカ生活にほとんど同化している場合が多いのです。しかし親が不法滞在ということで親と共にアメリカから追放されケースが多くありました。そこでオバマ大統領の寛大さをアピールし、それがヒスパニックの世論にも影響を与えるわけです。思い返せば2000年11月7日の大統領選挙の大接戦のことです。民主党クリントン大統領のときの副大統領ゴア氏と共和党の(元大統領ブッシュの息子)ジョージ。W。ブッシュ氏との選挙戦です。その結果は選挙の鍵を握るたった一つの州フロリダで行われたのです。それも数百票をめぐってのものでした。あの時、民主党は敗北したのです。オバマ大統領はあの悪夢を再現したくはないのです。その鍵はヒスパニック票にあるのです。


フロリダ半島日記―世界一のスポーツドリンク誕生

2012-09-06 22:23:32 | 日記
先日、この日記にテールゲート。パーティーについて書きました。またフロリダ大学のスポーツチームの“ゲーターズ”についても触れました。さて1965年ごろ、フロリダ大学のアメリカンフットボールのチームには問題が起こっていました。フロリダ半島は夏には熱帯のような気候になります。ある選手が一つの試合中に体重が9キロも減ったというのです。そして一度もトイレに行かなかったというのです。これはフロリダの猛烈な暑さの中で水分がすべて汗となって出てしまったようなのです。Ray Gravesコーチは、この選手を含む他の選手のために何か適当な飲料水が開発できないかと考えていました。そこで同大学の医学。生理学のロバート。ケード(Robert Cade)博士に相談を持ちかけました。ケード博士は他の数人の教授、研究者と共にチームを結成してスポーツ飲料水を完成させたのです。最初の飲料水の成分は、水、ナトリウム、砂糖、カリウム、リン酸塩でした。しかしこれでは味が問題だということで、(噂によると)ケード博士の夫人がレモンジュースを加えたらどうかと助言したというのです。ちなみにこの飲料水の名前は“ゲーターレード”と付けました。ゲーターとはチームの名前から取りました。Gatorとはフロリダに生息しているアリゲーター(ワニのことで、他にワニにはクロコダイルというのがフロリダの南端にいます)。エード(ade)とはジュースを薄め甘味料を加えたレモネードのような飲料水のことです。そして、10人の選手がこの飲み物を試飲して試合に臨みました。1965年のことです。このテストは成功し次々と選手たちはすばらしい実績を上げていきました。そしてフットボールだけではなく様々なスポーツ界で飲まれるようになったのです。“ゲーターズ”のチームに負けると、相手の監督や選手たちは、“われわれは“ゲーターレード”を飲んでいないからだ。”とつぶやくようになりました。1968年、ケード博士はストークリー。ヴァンキャンプ(Stokely-Van Camp, Inc.)社と契約し製造権が委譲されます。商業化されたのです。そして“ゲーターレード”は1983年、クエーカーオーツカンパニー(Quaker Oats Company)から販売されます。この会社は、グラノーラやシリアル食品で人気があります。しかしクエーカー社は2000年にペプシコ(PepsiCo)によって買収されました。ペプシコの傘下で“ゲーターレード”は2010年のスポーツドリンクの世界シェア1位となりました。アメリカ合衆国内では、スポーツドリンクの75パーセントのシェアを占めるにいたります。またアメリカ合衆国以外の世界70カ国で販売されるようになり、各国の国民性に合わせた“ゲーターレード”が製造されるようになっています。例えば、コロンビアではブルーベリーの味、ブラジルではパイナップルの味、ロシアでは虹のイメージ、オーストラリアでは南極の氷と渓流のイメージで販売されています。有名選手も随分宣伝に加わっています。まず1970年代はエルビス。プレスリーも盛んに飲んでいたといわれていて、1988年ごろは、マイケル。ジョーダンが<シトラス。クーラー>の味を宣伝、2008年ごろはタイガー。ウッズによる宣伝が行われました。
日本では1970年に大正製薬、1980年に雪印食品、現在はサントリーが販売しています。ただ、初期のころ“ゲーターレード”の製法の権利をめぐって、ケード博士とストークリー。ヴァンキャンプ(Stokely-Van Camp, Inc.)社とフロリダ大学の間で訴訟裁判が行われていました。
しかし1973年に和解にいたり現在フロリダ大学は1億5千万ドル以上のロイヤリティーを受け取っているようです。

フロリダ半島日記―世界一のスポーツドリンク誕生

2012-09-06 22:03:44 | 日記
先日、この日記にテールゲート。パーティーとフロリダ大学のスポーツチーム
“ゲーターズ”について書きました。1965年ごろフロリダ大学のアメリカンフットボールのチームには問題が起こっていました。フロリダ半島は夏には熱帯のような気候になります。ある選手が一つの試合中に体重が9キロも減ったというのです。そして一度もトイレに行かなかったというのです。これはフロリダの猛烈な暑さの中で水分がすべて汗となって出てしまったようなのです。Ray Gravesコーチはこの選手を含む他の選手のために何か適当な飲料水が開発できないかと考えていました。そこで同大学の医学。生理学のロバート。ケード(Robert Cade)博士に相談を持ちかけました。ケード博士は他の数人の教授と共にチームを結成してスポーツ飲料水を完成させたのです。最初の飲料水の成分は、水、ナトリウム、砂糖、カリウム、リン酸塩でした。しかしこれでは味が問題だということで、(噂によると)ケード博士の夫人がレモンジュースを加えたらどうかと助言したというのです。ちなみにこの飲料水の名前は“ゲーターレード”と付けました。ゲーターとはチームの名前です。Gatorとはフロリダに生息しているアリゲーターのことです。エード'adeとはジュースを薄め甘味料を加えたレモネードのような飲料水のことです。そして、10人の選手がこの飲み物を試飲して試合に臨みました。1965年のことです。このテストは成功し次々と選手たちはすばらしい実績を上げていきました。そしてフットボールだけではなく様々なスポーツで飲まれるようになったのです。“ゲーターズ”のチームに負けると相手の監督や選手たちは、“われわれは“ゲーターレード”を飲んでいないからだ。”とつぶやくようになりました。1968年、ケード博士はストークリー。ヴァンキャンプ(Stokely-Van Camp, Inc.)社と契約し製造権が委譲されます。そして“ゲーターレード”は1983年、クエーカーオーツカンパニー(Quaker Oats Company)から販売されます。この会社は、グラノーラやシリアル食品で人気があります。しかしクエーカー社は2000年にペプシコ(PepsiCo)によって買われました。現在“ゲーターレード”は2010年のスポーツドリンクの世界シェア1位となりました。アメリカ合衆国内では、スポーツドリンクの75パーセントのシェアを占めるにいたります。またアメリカ合衆国以外の世界70カ国で販売されるようになり、各国の国民性に合わせた“ゲーターレード”が製造されるようになっています。例えば、コロンビアではブルーベリーの味、ブラジルではパイナップルの味、ロシアでは虹のイメージ、オーストラリアでは南極の氷と渓流のイメージで販売されています。有名選手も随分宣伝に加わっています。まずマイケル。ジョーダンやタイガー。ウッズ、そしてエルビス。プレスリーも盛んに飲んでいたという。
日本では1970年に大正製薬、1980年に雪印食品、現在はサントリーが販売しています。ただ、初期のころ“ゲーターレード”の製法の権利をめぐって、ケード博士とストークリー。ヴァンキャンプ(Stokely-Van Camp, Inc.)社とフロリダ大学の間で訴訟裁判が行われていました。
しかし1973年に和解にいたり現在フロリダ大学は1億5千万ドル以上のロイヤリティーを受け取っているようです。

フロリダ半島日記ーワゴン車の扉を開くテールゲート。パーティー

2012-09-03 18:53:49 | 日記
今日はレイバー。デーの祭日です。レイバー。デーとは日本の勤労感謝の日によく似た祭日です。この日を前後してアメリカン。プロフットボールNFL(National Football League) のシーズンが開始され、大学のカレッジフットボールも開幕します。アメリカン。フットボールの人気は野球やバスケットボールをはるかに越えています。スポーツ好きのアメリカ人の楽しみの一つがテールゲート。パーティー(tailgate party)です。このパーティーはアメリカン。フットボールの試合の前(または後)で駐車場や試合会場の空き地などでパーティーをすることです。ワゴン車やトラックの後部の扉を開けて、飲み物や軽い食事を並べるのです。テールゲート(tailgate)とはステーションワゴンやトラックの後尾扉のことです。アメリカではこのテールゲート(tailgate)の他の意味としてよく使うのが“前の車の後ろにぴったりとつけて運転すること(されること)”です。さて、最近、テールゲート。パーティー(tailgate party)大好き人間の男性の小型飛行機が墜落しました。この人はマイアミ在住の人で大変なアメリカン。フットボールのファンでした。特にフロリダ大学のゲーターズのファンでした。多分、フロリダ大学の卒業生でしょう。このゲーターズのチームが試合をする所とマイアミの自宅を頻繁に往復していたそうです。一人の女の子を友人宅に預けて、夫人と2人の息子を飛行機に乗せていたそうです。フットボールとこのテールゲート。パーティー(tailgate party)がそれほどまでに好きであったようです。
 まずテールゲート。パーティー(tailgate party)に向いている自動車のランキングの上位2つを紹介します。これは“Moter trend”という自動車関係では人気の雑誌が紹介したものです。まずトヨタのToyota 4Runner日本ではハイラックスサーフ(Hilux Surf)として販売されていました。この自動車はまるでテールゲート。パーティー(tailgate party)用に製造されたかのようなのです。パーティー。モードのボタンを押すと後部の扉が開き、スピーカーが現れ、あの低音の“ボン。ボン”という音が出てきます。次にHonda Ridgelineホンダのリッジラインは中型スポーツユーティリティー。トラックです。面白いのは、この自動車を選んだ雑誌記者の意見です。最初、このホンダの中型トラックについて感想を求められた時、編集長もこの記者も“普通の中型トラックだ”と思ったそうです。しかし後部の扉を開いてみて感動したらしいのです。そこには見事にクーラー(アイスボックス。冷却箱)を備えることができるスペースがあったということです。冷えたビールやコーラをたっぷりと準備できるというわけです。このように、日本車はアメリカのスポーツやパーティー好きのお国柄として実に珍重されているのです。しかし、Toyota 4Runnerなどは2009年に日本市場から離脱、Honda Ridgelineは日本市場では正規販売はされていないそうです。                            
 テールゲート。パーティー(tailgate party)でよく食べられているものは以下です。
メキシコのコーンチップスやサルサ。ポテトチップス。ハムやチーズのサンドイッチ。スパイスを入れたバーベキュー。チキン。ウイング(鶏の翼)
肉などをグリル、焼き網で焼いたものーハンバーガー。ステーキ。ホットドッグ。マグロのステーキ。ピザ。デヴィルド。エッグ(ゆで卵を縦に切り、黄身をマヨネーズ。香辛料と混ぜ合わせて白身に詰めた料理)。ビールとかソーダ
焼きえび。カバブ(肉と野菜の串焼き料理) 。
もちろん寒い季節の場合は、チリコンカーン(chili con carne)通称チリ(インゲン豆などを柔らかくなるまで煮て、ひき肉、たまねぎ、トマト、チリパウダーなど加えて煮たもの)。チャウダー。コーヒーやホットチョコレート

フロリダ半島日記ーディズニーなどで働く人々

2012-09-03 12:05:51 | 日記
昨日は知人たちとのパーティーに参加。様々な話に花が咲きました。一人のアメリカ人婦人が話を始めました。この女性は、長年、ディズニー。ワールドで働いているのです。仕事の内容を語りだしたとき、“I was on stage”という言葉が出ました。すると最近ニューヨークからやってきた中年の男性が“on stage。。。”と聞き返しました。このon stageの意味は、舞台の上で、という日本語になります。つまりこの中年の男性は、この婦人がディズニーで何かの劇場に出て芝居でもしていると思ったのです。ところが、このon stageというのはディズニーで働く人々特有の表現なのです。ディズニーでは、そこで働く人々は皆、cast member つまり俳優のような役を持ったメンバーなのです。この婦人はディズニーの店でみやげ物を売ったりレジ係でお金を受け取ったりしているのです。しかし、ディズニーでは、単にworkとか laborという労働をするとは言わずにon stageという劇場の何らかの役を演じているというイメージなのです。またトイレに行くことは反対に舞台から降りるのでback stage と言います。つまり、舞台裏、楽屋に行くことです。誰かがディズニーで働きたいと思って人事管理部を訪れる場合、ビルのオフィスには普通の英語のHuman resources(人事管理部)という標識ががどこにもないので迷うことがあります。それはディズニーでは普通の会社用語は使わないのです。人事管理部はCasting centerというのです。役の割り振りのためのセンターと言うことです。  
 ディズニーの創設者であるウォルト。ディズニーはもともと映画監督でした。そして“地上で一番幸せな場所”を作ろうとしたのです。映画はいくら楽しい映像を映してもどうしても観客との間に距離ができるのです。それに対してお芝居は映画に比べてみて、観客は臨在感を持つことができます。その映画とお芝居を統合したのがオーランドの<ディズニー。ワールド>であり、カリフォルニアの<ディズニー。ランド>なのです。映画のスクリーンから飛び出たようなディズニーの舞台の上で人間が様々な役を演じるというイメージです。だからそこで働く人々は、売店の売り子であろうと掃除のおじさんであろうとオン。ステージon stageとして舞台の上で役を演じているのです。この場合重要なことは、お客さん自身に“自分はVIP、重要なお客である”と感じさせることです。座っているお客や普通に歩いて見物しているお客をスクリーンの中に引き入れるのです。そして人の心にある“スター性、スターへの願望”をかなえてあげることなのです。だからディズニーには凝りに凝ったしゃれた内容がちりばめられているのです。例えば人々の胸のなかには“古きよきアメリカ”に対する郷愁が眠っています。しかし現実の故郷に帰郷しても実感がわかないことが多いのです。そのことを映画製作者であったウォルト。ディズニーはよく知っていて、そこで“縮尺”を使うのです。つまり古い町並みの時計屋、お菓子屋、写真館などを実際より縮小して作るのです。そうすれば、見る人が町のすべてを自分の視界におさめることができて、やすらかな安心感を覚えることができるようになるのです。私たちは縮尺模型やスケールモデルなどのミニチュアの風景などからもそれとよく似た感覚を持ちます。
又ある時、ウォルト。ディズニーは、ディズニーで働く一人の青年が目に留まりました。青年は仕事に行く準備をしているようでした。普段着から西部劇に出てくる服装に着替えているのです。ところが着替えている場所が“未来館”の前という関係のない場所の前でした。それでは見物の人々が違和感を覚えると感じたのです。それは例えば宇宙博物館のような建物の前で、ちょんまげを結ったサムライのような姿になるようなものでしょう。
そこで、地下道、地下室の建設に取り掛かったのです。つまり、仕事に出る人たちの着替え室などを地上の観光客に見えない場所に作ったのです。地下の道路には理容室や喫茶店や食堂や休憩室まで出来ました。例えば外国の要人や政府などの要人が来訪した時は、地下道や地下室に一旦、身を引くこともできるわけです。フロリダのオーランドにはディズニーのようなテーマパーク(Theme Park)が数十箇所あるのです。従来のパークつまり遊園地とディズニーのようなテーマパークとは随分違った性格を持っています。テーマパークとは、特定のテーマ(文化、物語、映画、時代)に沿って建物、庭園、登場人物、販売商品、制服などが全体的に演出された遊園地です。
しかし働く人々は、そう簡単ではありません。人気のテーマパークの一つにシーワールド(SeaWorld)があります。これは、大きな水族館です。Dolphin Coveが特に人気のアトラクションです。イルカと身近に接することができます。そこで働いている知人の娘さんは一日中、イルカの泳いでいるプールの上の岩に、いろいろな服装で座っているだけです。疲れて伸ばした足がプールの表面に触れると、イルカたちは食事の合図と思って皆、その足に集まってきたというのです。ある時、ある黒人の知人の娘さんがオーストリアの民族衣装をつけて歩いていて、ディズニーまで乗せていってほしいといってきたこともありました。自動車が故障したとかです。仕方なくディズニーまでドライブしました。多分すぐ地下室の控え室に行ったことでしょう。今夜、ユニバーサル・スタジオ (Universal Studios)のそばをドライブしていると花火が上がって辺りが明るくなりました。実はここは毎夜花火をあげるのです。現在の人気はハリー・ポッターのアトラクションです。しかし華やかな舞台の裏では地味で根気の要る仕事をする普通の人々や毎夜、必死に花火をあげる労働者もいるのです。