久しぶりの好天気に恵まれた。しばらく体調温存乗車拒否が続いていたが、体がなまってしまい、軟弱な体質になってしまった。こんなことではいけないと思っていたやさき、うっとおしい梅雨空が一休みしてくれた。この時とばかり前々から行ってみようと思っていた「丸木美術館」に出かけてみた。ネット等で道順は熟知していたので、さほど不安もなく、まずまず快調に進んだ。おまけに昨年より、ポケットナビの強い味方がある。これはなかなかの優れもので、カーナビ以上に小回りが利き、きめ細かい指示をしてくれる頼もしい相棒だ。ナビが示してくれた通り、片道40km弱を2時間足らずで到着することができた。初めて訪ねた丸木美術館は以前遠くで眺めていた印象よりずっと閑静な環境に立地していた。入り口付近の、入り組んだ道路状態から受ける殺風景なイメージとは逆に、館周辺の環境は静寂そのものであり、しばし日常の喧騒さを忘れさせてくれる。特に館の南側にはすぐ近くに川辺の自然が広がっており、館から望む風景は自然味満点で、ゆったりとできる。駐車場入り口に、「自然豊かなこの地でゆっくりお楽しみください」との案内看板がる。まさにその通りの場所である。丸木美術館については前々から、存在は知っていたし、どのような作品が展示されているかについても、頭のなかでは理解していた。しかし、「頭」で考えたことと、実際に見学して感じたこととは別物で、シンクロするとは限らない。作品を目にする前は「身構えていた」ように思った。正直言って自分は美術作品に「音痴?」でどれだけ感じ取れるか不安だったのだが、静かな会場でじっくり作品群と対面していると、次第に製作者の思いのようなものが伝わってきたように感じた。原爆だけではない「人間が人間に犯した罪の深さ、人間という動物の傲慢さ、」丸木夫妻が一生かけて闘ってきた生の声がこの会場には今も生きているのではないだろうか。作品の対象になった人々の魂が作品を通して伝わってくる。丸木夫妻は自分の作品と自らの生き様を完全に同期させ、信念を貫いた。原発事故を予測し、数十年以上も前にすでに告発していた。現在の反原発運動の原点を実践していた。しかも、主体的に自分達自らが行動を起こした。「原発の電気はいらない」「原発以外の電気だけ電気料を支払う」誠に率直で正直な発言だ。その気のない人が聞けば「空言」だというかもしれないが、原発の犯罪性に気づいた人間なら、心から主張したい要求なのだ。しかも、丸木夫妻は東電の不遜な供給停止という暴力的手段に屈服せず、自家発電で対抗し館の運営を続けたのだ。本物だ。一部では取り上げられたもの、今になるまで認知することのできなかった自分を恥じたい気がする。清志郎もそうだけど、やはり「芸術家」は「直観」が鋭いのかもしれない。数時間の見学ではあったが、丸木夫妻の成し遂げた業績に深く感動したcycling day となった。