無二斎のなんでもあり

自分の体調とECOや省エネなど思いつくまま新しい時代を探るつもりで自分なりの考えをつづる。

電子黒板

2019-02-15 01:07:12 | Weblog
電子黒板にもさまざまあるがこれについても落合氏は「導入」する事で[IT革命は終わる」と記述している。電子黒板の設置がIT化の目的化してしまって全く意味不明の現象が出現している。ハードの進歩に「人」が全然ついて行っていない。ハードやソフトはそれなりに進化していてもそれを本来の意味で活用する動きが全くなされていない。私自身は既に現役を離れた身なのでその活用の実態について具体的な的な利用状況を知るすべはないが恐らくはパワーポイントの上にメモを上書きする程度のことしかできていないのではないかと想像している。またこれとはま反対の話を聞いたことがある。ある業界の工場の現場ではNECの98型の中古パソコンが人気があるという。8インチのシート型フロッピーデスクも健在だという。
数十年前に大規模なラインを構築し98シリーズでシステムを構築したため現在の新しいものに置き換えるには膨大な予算と時間がかかるためだましだまし運用しているとのことである。そのため98シリーズの部品や8インチのフロッピーは必需品だそうである。このようなハードとソフトのアンバランスは一企業の失敗と片付けていいのであろうか?失われた20年の間に数多くのミスマッチと言える状況が放置されたままとなりこれもまた目に見えない負債となって日本経済の重しになっていると考えられる。
私はこれも一つのテクノロジーデバイドと考えている。
要するに落合氏の「日本進化論」の中には一つの事例として取り上げられているだけのことだがそれはあくまでも氷山の一角でありポリテックの問題しかり、テクノロジーデバイドの問題しかり現在の日本の生産性の落ち込みは産業界を含めて国全体のテクノロジーに対しての軽視が招いたものであろう。
但し、それら投入すべき人材や資源はゲーム業界などの人畜無害?の分野を生み出し最近ではゲーマーと言う信じられない職業が成り立つまでに一つの成果を?あげている。
日本の生産性の落ち込みはある側面から容易に推測できたのである。

気になっていた人その2

2019-02-14 15:40:44 | Weblog
気になっていた人落合氏の続きである。BLOGなどと言うものは昼にあまり書いたことがない。昨日分を読み返してみると実に稚拙で恥ずかしくなるが思いつくままに書いている事がはっきりしすぎである。
もう少し何とかしたい。もっとも昼に書いても同じようなものかもしれないが新鮮ではある。さて日本進化論ではテクノロジーデバイドと言う記述が出てくるが私も以前から気にしていた。デジタルデプトとしてみたが意味は少し違う。テクノロジーデバイドというのは技術的な格差でありデプトはそれにより生じる負債のことである(損失)。テニスで言えばラケットとボールというハードが同じであってもプレーヤーによってそのゲームは大きく異なる。一方では観客という顧客を集め経済活動が発生しているのであるが素人のテニスではそうはならない。いやコート代など費用が発生している。一般の産業界いや政財界においても同じ様なことが大いにいえるのではないか?デジタルデバイドによる経済的な損失。私は以前からこのことが気になってしようがない。
国語と同じように情報処理についても子供の時からキーボードをマスターさせCPUと話をする(会話する)手段のレベルを一定以上につけておくべきであると考えている。CPUとの間のハードルをできるだけ下げておくことがこれからはますます必要になる。最近ではスマホが当たり前になり若い人は実に驚異的に操作しているがそれでよいのである。ゲームコントローラも同様である。少しでもテクノロジーにアタッチするハードルを各人が意識して下げることが必須項目となってくる。
落合氏が指摘しているように政治家がFAXで参加者を募り講演会と称して演説に回ることも必要ではある。しかしながらBLOGやホームページをもっともっと有効に使い自らの主義主張や政策を世界に公開し必要な資料(法令を含む)にはリンクを張りそれこそNET上でチャット形式で公開討論会を行えば世の中少しはましになるのではないだろうか?国会中継で答える立場にないとかコメントは控えるなどと無駄な時間を費やすこともなくなるのではと考えているのは私一人ではあるまい。
その上で該当演説や討論会などを顔を合わせての場を作ればより具体的で深堀出来る議論が尽くされるであろうし本来そうあるべきだと考える。この国の抱える課題は個々においてそれぞれがより複雑でより深刻になっているのだと考えている。
そのうちテレビでは今どのドメインで誰と誰が何について議論しているなどと言う画面が映されるだけになるかもしれない。いずれにせよ日本人(?だけではない)頑張れである。

気になっていた人

2019-02-13 00:25:08 | Weblog
気になっていた人の著作を見つけた。
落合陽一氏である。僕自身の考えと似ている点があると思い購入してみた。
読んでみた。痛快である。出だしから議会政治の場所でパソコンを持ち込んでいないのが
日本だけであるという記事に大いに共感する。政治の世界にテクノロジーを持ち込む。
至極当たり前の事が日本という国では行われていない!互いの上げ足を取ることだけに時間を費やし
具体的問題の議論すら拒否しているようにしか見えない。最近の突き押し相撲のようにがっぷりと
四つに組もうとしない。
逆に相撲界が議会の真似をしているのではないかと思いたくなる。
話はポリテックであった。PoliticsとTechnologyを組み合わせた造語であると言う。
僕はこれは単にPoliticsとTechnologyだけではなく実社会とTchnologyであると考える。
今や日本では億を超えるPC(パーソナルコンピューター)が出回っていると思う。
正確な数を把握する気もないが官公庁や企業向けに膨大な端末機器が稼働している。
20年ほど前は割と気楽に使えたものが今やセキュリティの確率なしには使用できない状態に陥っている。ある意味予想されていたことではあるが現状の使いにくさと言ったら噴飯ものである。それはさておきこの膨大な数のPCが実はワープロ以上の使い方しかできていないのが
現実であるということだ。2年ほど前あるお役所の下部組織で仕事をさせてもらったことがあるが与えられたものはパッケージソフトで作られたシステムというお化けに使われることが
仕事になっている。お役所で決められた分類項目に従い情報を入力、整理するだけの仕事である。そのために数台の端末が用意されシステム以外の事は必要ないのである。
いや実際の仕事ではシステムでは作成できない情報を別途excelなどで整理して利用するのである。
お粗末なことにそこではexcelを普通に使うことすら出来ない。というか大半がその能力を持たないのである。お役所であるからもう少しましな使い方をしているかと思っていたらあら吃驚使えない人のほうが多いのである。経験者でも以前の部署でも同じであってそこにはそこ用にシステムが組まれていて自分でワードやexcelを使う必要など無いのだそうだ。
これは酷い負債である。Dijital debt(デジタルの負債)である。面白いことにできる人
(もっともそのような人はお役人にはなっていないかごく少数であろうが)は自分の文書を作成したとしてもお役所独特の様式というものに縛られて自分の発想は様式の枠外に書くしかなくなっているのである。膨大な損失である。
私がいた部署がたまたまそのような仕組みであったのかもしれないがすべての官庁、民間企業を考えるとき、このdijital debtは計算不可能なくらいのものになっており現在日本の負債の大半を占めているのではないかと思われる。
おそらく初期の段階でPCを各個人にマスターさせるには相当の費用と労力を必要としただろう。
そこでソフト屋さんの出番が来て法外な価格のSOFT費用をかけてシステムを開発していた。
日本のことであるからLAPTOPなど触ったことのない人が今後もAIを十分に理解せぬまま手前勝手なものに使うことになりここでもdebtが発生する。
負のスパイラルなどというものでは無い!!
全国民が(私を含め)もっとPCの活用を積極的に行い持てる資産(PC内にある)を活用して本来の
仕事をするべきである。幸いスマホの登場で個人の発信は極めてハードルが低くなった。
同様にPCについてもより安全で活用できる機械として見直すべきである。
振り返って考えてほしいのである貴方は今日自分の端末で何をしたか、何をさせられたのか?
それは現実な即した生のデーターをよりよく反映しているであろうか??
落合陽一さんに感化され取り合えず概要を記述した。本日はここまで

主題をどこに求めるか

2018-11-20 02:42:06 | Weblog
世界の知力が落ちている。もの事を深く考えることがなくなった。
これは昭和40年頃から所謂知識人の間で叫ばれていたことであった。
折しも高度成長の最中で庶民が豊かさを実感しだし物が溢れかえる少し前のことである。
経済は限りなく右肩上がりでインフラはどんどん整備され便利な生活を求めて
収入以上に物を買う問い購買意欲が庶民の間に定着しマイホームや車を所有することが
人生の大きな目標でありこれを達成することが人の価値を決定づけることとなってきた。
同時にバブルが始まりお金を借りることで、それを消費することで生きる意味を見出すことに
誰も迷いを感じなくなって行った。そのために企業活動はさらなる利益追求を行い、企業を大きくする
ことがもっとも正しいこととされ高給を得ることが絶対に正しいこととなっていった。
経済原則が前面に押し出されてきて富を得ることが美徳であり正しいこととされ
誰も疑いを挟まなくなった!
この時知力という言葉に代弁される思索であり考えること、生きる意味の本質、人間の本来あるべき姿は
変質してしまった。知恵を失ったのである。経済原則こそが人間の価値であり、人が生きる意味が
まったくもって薄っぺらなものに置き換わってしまったのである。
ある意味生きるために最も必要なものを人は忘れ去ってしまったのである。
先人に学び思索を重ねより深い生きるという意味を、心の豊かさという最も生きる中で必要とされる
暖かで大事なものが薄っぺらな紙幣や経済データに圧倒され見失われている。
もっとも、他方で科学の進歩で人間の学べる知識や利用できる仕組みや製品は誰でも手にすることが
可能となりつつある。今こそそれらを有効に活用し本当の知力を発揮する時代に来ている。

毎日

2018-04-27 23:19:53 | Weblog
どうもブログというのは毎日書くほうが良い?(アクセスを確保できる?)
らしい・・・・
別にいいねが欲しい訳でもないが自分なりに発信したいことをその時々で
書いておきたいだけである。しかしアクセス数が出る以上一つの目標みたいになってしまう!
てなわけで特に書くこともないのだがPCを立ち上げkey boardを叩いてみる。
何も出てこない。
そうだ、プチお知らせで昔から空の写真が好きで10年くらい前は良く
シャッターが1秒ぐらいかかるデジカメで空の写真を撮っていた。
FILEが見つかったので一日一枚づつあげてみようと思っている!!
まずは何が写っているか良く解らないもの一枚!
そのうちお勧めを上げていこうと思う。
明日から連休の方も多いと思う。素敵なGW(古いのかな?)を!!
無理に書くのは結構しんどい。


思い付き

2018-04-24 23:19:44 | Weblog
先ほど飲み屋の帰りに思いついてしまったので忘れないうちに書いておこうと思います。
今の憲法が出来た時にもっとも重きをおかれたのは何だったのかと言う事です。
平和憲法、交戦権を持たないと言う事も大事でしょうが実は
『象徴天皇』『主権在民』が一番の意図だったのではないでしょうか?
平和をうたわない憲法は無いと思いますし至極当然のことであると思います!!
それよりも先の大戦の教訓として日本人が学んだことが、多くのアジア人を犠牲にして
ようやく気付いたことが国民主権であり自分たち自身が『平和』を希求し誰におもねることなく
一人一人が自立することの大事さだったのではないでしょうか?
それを見失った今『忖度』が横行し果ては官僚による『文書の改ざん』が情けないことに
公然と言われているのではないでしょうか?
このページはエネルギーについてを主題としていますが元はあの戦争がいつの間にか始められ
その理由の一つがボルネオ・スマトラの石油を求めてのことであったと言う事です。
むやみやたらに戦争をしていた訳ではないのです!ABCD包囲網という戦術に囲い込まれ
エネルギーを求めて必死だったのです。他の理由も勿論多々あったのでしょう。
しかしながらもっとも確かなことは昔から資源に乏しい日本という国が資源を、エネルギーを求めて
やむを得ず始めてしまったことだと私は解釈しています。
主旨がズレてしまいましたが、元に戻ってだからこそ今主権在民と言う事を
思い出すいい機会だはないかと思います。5月3日をまもなく迎えますが
そんな視点からも皆さん現状を考えてみましょう!!!酔っ払いがまた偉そうに言ってしまいました。
おやすみなさい!

お気に入りの喫茶店

2018-04-21 07:06:26 | Weblog
一息入れて、喫茶店のお話。
ちょっと遠いのだけれども倉式コーヒーと言うのがある。
お店構えがちょっとお洒落で駐車場もついている!何よりしっかり分煙されているので喫煙しながら
珈琲を満喫できるのだ!それもしっかりとした珈琲を!!!
これがまた尋常ではない私好みの濃さで香りもしっかりとあり(当たり前だが)
スタバ、ドトールにはない(失礼)豊かな気分を味合わせてくれるのである。
店の作りがしっかりしており道路沿いにもかかわらず騒音や香りを邪魔するものもない。
天井が高くスペース的にも非常にゆったりとしているので落ち着く!!
関東に続々とOPENしているようである。
尤も行ってみないと同じような店構えかどうかは分からないがお勧めであるのは間違いない。


もともとこのブログを始めたのはエネルギ問題について・・・

2018-04-21 05:20:00 | Weblog
もともとこのブログを始めたのはエネルギ問題について調べて考えて提言したいと考えたからだが、
昨今のドタバタで話題が完全にそれてしまった!
そもそも綴りたかったのは、エネルギ問題とは過去の戦争の歴史であり戦いの歴史だということである。
食糧問題もエネルギ問題の一部として捉えることができる。逆の言い方をすればエネルギーがふんだん
に有れば食料の生産は可能である。近い将来人類は恒久の平和を勝ち取り種として満ち足りた
エネルギーで万人それぞれが飢えることなく個々にその能力を発揮できる世界が来ると
私は信じている。
夢のような話と笑う人がいるであろう。でも考えてみて欲しい、昔から衣食住というように
十分なエネルギーさえあれば人類が会得した技術でそれらの項目は満たされるのだ!知恵さえあれば
今の時代は十分に良き時代であり、既にある程度十分なエネルギーを産み出せている。
尤もここで、エネルギーコストと言う現実をしっかりと認識してないと論点はそれてしまう。1W当たりの
コストは電気代に良く例えられるがまだまだこれを低くすることは可能だと思われる。現在おそらく世界中で
エネルギーコストは平等なのである。富める者も貧しいものも平等にそれを要求される。
経済学者でこのような論点を持った人はいないのであろうか?数字だけを見て人を見ない経済が
あるのだろうか?
日本でも一応の料金体系はありエネルギを利用している量により負担は調整されているように見える。
本当にそうであろうか??もっともっと考える余地があるのではないかと思う。電力各社や石油業界、
ガス業界などの大手、いや中小のガス会社を含め真剣に検討して欲しい。
具体的に言うと例えば生活保護受給家庭や低所得者についてはガスを使えば儲かる仕組みを
組み込むのである。エネルギーを使えば使うほど儲かる仕組みである。貧しい家庭、子供たちに
それを適用するのである。
今、世界的に見て日本は幸福度がかなり低いとされ、特に福祉や教育の点で欧州諸国に
比べて大幅に劣っているとされている。おそらく現実であろう。森かけ問題は教育の場で行われている。
情けない事ではある。また論点がズレてしまった!!!!
前述のようにエネルギー(もちろん大量に廃棄されている残飯を含み)は満ち足りているのである。
配分の仕方が間違っているのである。経済の問題というより社会の仕組みつまりは政治の、行政の問題
であろう。
それを良しとしているのは現実を見ない富裕層といわれる一部の人々である。残念ながら彼らに出来る事が
有ることを彼らは気づこうとしない!!現在も貧困は存在し飢えている(ひもじい思いをしている)子供たちが
居るのが現実だ!言葉でいうと「知足下行」となるのか??
あるのに足らない世界?
取敢えずは自分の思いの一つである。
これが解決すれば人類はもう一つ上のステージに進めるのではと思う。おそらくは欧州が先にそこに到達しそう
ではあるが。エストニアなんぞは完全にコストフリーの経済になろうとしているようである。ニッポン頑張れである!!
2018.4.21am7:00




政治のことはあんまり・・・・

2018-04-16 01:31:53 | Weblog
ブログで政治のことを取り上げているものは極めて少ないと思うのだがここへ来て内閣支持率が26%とか不支持が50%越えとかの話が出てくると
ちょっと待ってという感じになる。森かけ問題や日報の話は昨年から延々と国会で審議されてきたのではないか?今ですか?という感じは否めない。
誰かが言っていたがこの一年間ほど国民は嘘を聞かされてきたわけで尚且つ捻じ曲げられた行政による不当な事業が横行していることが分かったのである。
確か今年の一月ごろは内閣支持率は50%ほどだったと思うが20%以上の人がNOと言い出したのだ!!この間首相と夫人は外遊し各地で国賓としてもてなしを受け日本の代表として交流し支援の申し出をしたり、日本製品の売り込みを率先して行っている!!先方では随分と期待していると思うが大丈夫であろうか???先方の国にはどのように映っているのだろう?心配ではある。なんか退陣の日程が検討されているとの情報も出てきているようであるが米朝の歴史的な会談を前に日本は実にお粗末な国の姿を晒すことになってしまった。情けないことである。これだけ行政が停滞し官僚が一部の政治家の思惑だけで
行政を執行しているとなるとオリンピックの開催も間に合わなくなるのではと余計な心配をしてしまう。オリンピックの各競技場の計画にも特定の政治家の意図が反映されているのではと勘繰りたくなる。税金を泥棒に預けているような気にさえなる。もちろんすべての政治家や官僚がそうではないだろう!!一部の勘違いしている人達の話であると考えたいがどこまでどうなのですか???だれか実態を調べてください。

街の様子

2018-04-12 23:59:21 | Weblog
今日は久しぶりに繫華街に出た。といっても地下鉄の乗換駅とそれにつながる地下の商店街であるが・・・
その様変わりに仰天、絶句!なんと通路を歩いているのは、自分たちのグループ以外日本人と思しき人間が皆無!!
聞こえてくる言葉も何語かも判断がつかない!!えらいこっちゃ!
喫茶店に入るとそこだけはなんとか日本人が多数派でほっと一息。以前からそのような状況は見ていたがもう少し日本人がいたような
気がしていたがそんなものではない!
観光客の面々は殆どがスマホを片手に歩いたり立ち止まったり。大型のキャリーバッグを引きずりながら
急にユーターンしてみたり!
オリンピックの時東京はもっと凄い事になるのでしょうな???
インフォーメーションセンターを作って誘導するなり何らかの策が急務と思った次第です!