哲学を学んで ~自由ってなんだ?~
去年、私は哲学を大学の講義で学んだ。
歴史とか、人物とかは頭には入ってないんだけど、「なぜ?何?」から始まっていくものは面白かった。
コロナで自粛という日々が続いていますが、あるひとりの男子大学生の話を読んで(聞いて)くだされば幸いです。
自由というのはある意味「罰」であるということ
自由というのは、選択を迫られているのであって、「選択をしない」ということも選択をすることになっていくのである。
緊急事態宣言が出され、大学の開始時期が伸び、更にバイト先は休業となり、「自由」になった。たしかに、私は自由を手に入れた。
しかし、自由であっても「する」ことが見つからない、選択肢が消えていく。しかし、選択をしなければならない=何かをしなければならない(なにもしないということも選択をするということ)
ゲームをしても飽きてしまう、絵を描いても飽きてしまう、パズルをやっても飽きる。なにもしていない時間も飽きてしまう。
この連鎖が「自由」という「罰」へどんどん入っていくことになる。
私がたどり着いた先は、「虚無感」だった。選択肢が消えていっても、選択しなくてはならないということが消えていかない。このことは、やるせなさを生んでいく。
まわりはきっと「贅沢だ」と言うかもしれない。その通りである、贅沢である。
しかし、人と会話をしないということ、選択肢が消えていくということは、なんとも心が貧しくなっていくのである。
隔離されていく、狭くなっていくということは罰であるのではないか。
はやく、学校に行きたい。
バイト先に行きたい。
そう思えることがいかに恵まれているか、ということもまた噛み締めなくてはならない。
全てが自由な世界を私は望まない。