超久々の投稿です。
来る5月17日金曜日。尾道駅前のしまなみ交流館1Fギャラリーにて
コンサートをします。
御近くの方は勿論遠くの方もぜひ聴きに来てください。
宜しくお願い致します🤲
超久々の投稿です。
来る5月17日金曜日。尾道駅前のしまなみ交流館1Fギャラリーにて
コンサートをします。
御近くの方は勿論遠くの方もぜひ聴きに来てください。
宜しくお願い致します🤲
久々の投稿ではあるのだが、ここ丸2年以上続いているコロナ感染の為に三原市は重点地区。
本来なら1月9日から月末の31日までのお休みとなってたけど。
気が付けばそうした終わりの日が、31日から2月13日までと伸びる様子だったけど。
2月20日まで延長が本日1月25日に政府決定された。
飲食店だけが悪いんじゃないだろうに、どうも迷走しているせいふが見えるのは僕だけだろうか?
書き込みをパスワード忘れから何年も空いてしまった(汗)
昨年初めよりコロナと言う厄介な感染病で、ライブもままならない状況で(汗)
角松敏生や山下達郎、そして梶原順等々のライブを見に行く事が出来なかった😅
勿論、僕のするライブも全然できなくて、いつも楽しみにしてた二ヶ月に一度のすまいるハウスライブは勿論、7月の心の日にライブも中止に😅
辛うじて、すまいるさんも僕を二度ほど呼んで下さっただけで、他は全て中止😅
しかしこの状況下僕の性格のポジティブが、良い感じで過ごさせていただいている😃
昨年末の関西圏へのライブも中止で、状況的には厳しい中、でも元気みたいな😃
今年は2月から早めの年金支給があり、お陰で?新しくアコギを購入する計画😃
厳しい状況下でも楽しみを見つけている今日この頃です😆
僕のブログをご覧の皆様😃どうか元気を出していただいて😃
顔晴って行きましょう😆
また書き込みします😃
つい先日気が付いたのだが、今まで国道2号線と呼んでた道路がなんと185号線になっている。
新しく現在木原まで新倉町からついたバイパスが国道2号線として登録されてる様子
いったいこれはどうしてだと?調べたら市役所の方で公団と話し合って決めたそうだが、由緒ある旧の国道がこうも簡単に他の国道に改名されるとはいったいどうなっているんだ?と不審に思うばかりである。
街の発展に市長はじめ市役所職員さんや商工会議所職員さん等々色々と奮闘をされてるとは思うのだが、やってることがちぐはぐ過ぎて他都市から笑われるんじゃあ無いかと危惧する。
糸崎から木原に向けて旧の2号線に三原出身の竹内敏子?さんのカモメの水兵さんの歌が流れるようにハーモニーロードでも作ればいいのに!
多島美が美しいのだから利用しないては無い‼️もしも他にもと考えるなら呉線沿いの須波から貝野へ向けての国道にハーモニーロード着くって言うのはどんなんだろうか?
観光に力を入れてると言う割にはどこかの街の真似って言うか二番煎じ感は否めない。例えば山口県で成功しているとは言え駅前の図書館?何を思って三原市は作るのだろうか?
老人達が(僕も含めて)エアコンが効いた過ごすやすい部屋でお茶でも持ち込んで休憩する姿しか想像できないには僕だけなのだろうか?
年寄りに優しいにはいいけど、13年前に三町合併して人口も11万人近くまで行ったにもかかわらず、現在では9万人を切っている状況(汗)若者を集めたいなら思い切ってROUND1の様な娯楽施設でも投入した方がよかったのでは無いか?
図書館も山口の成功例は、幼児図書等に特化した図書館であって、一般的な図書館を作ると先に述べたような結果は誰の目にも理解いただけよう。
世界中の建築雑誌は全部揃っている?とか又宇宙に関する書物が揃っているとか?又々、美術雑誌が揃っているとか?何かに特化した図書館であることを望む僕です。
一個人の意見は通らない三原市は市民からの声を吸い上げる機関はない!市長をはじめ他市の先輩?の言いなりの市政や方針は独裁への順列を辿っているばかりか、市民主導の街作りからは真逆な方向へ行っているのは、僕だけではなく口に出さない市民が多い事を利用しているその輩達は今からでも遅く無いと思うので、死んだ街からの再生事業に早く取り組んでいただきたいものである。
僕はバンドというかギターを弾くことを生業としている。
もう数年前だがこのブログでとある人の中傷コメントを沢山載せた。
その記事は後輩や当時僕だけが仲間?と言うか音楽仲間だと思っていた人達から注意を受けて全て削除した。
その後反省と申し訳無さから三原での音楽活動を自粛して縮小した音楽活動をしていた。
その時ある後輩から僕は「あんた」と呼ばれその後輩は(じゃあわしが仲に入って言ってやる)と言いお詫びをしている僕らの会話に入ってきた。
その後輩は仲裁をするのかと思いきや、あんた呼ばわりをして僕を断裁し始め、挙句の果てには「あんた音楽活動を自粛せえや」とまで言って言い足りていないこともあると捨て台詞の様に僕にメールで言ってきた。
勿論中傷は良く無いと思い自粛したつもりであったのだが、その後輩は言ったきりで、その後終止もつけず、後輩の知り合いに好い顔が出来たのか?どうかわからないが、僕との間には遺恨を残したままいまも顔を合わせても無視を続けている。
僕の方はノー天気と言えばノー天気な行動かもしれないが数年たった今都合良く動きそして周りを感化し始めている後輩を何気に見ているのだが・・・ここで取り上げてブログに書き込んでいる事を考えると、ふに落ちないところや、未だ自分の都合の良い事しかしていない後輩に少し腹が経っているのだ。
その後輩は今当時のグループからも敬遠されているにも関わらず、我が道を行っている。
我が道を行くのは僕には関係ない事でなん等思うはないのだが、コイツは少々無責任が過ぎやあしないか?自分さえ良ければ良いのか?などとつい考えてしまう小さな僕が居ることに僕も僕自身が嫌でありながら、後輩に今も振り回されているのかと?嘆きながらの投稿なのである(汗)
昨年は三原が。そして4、5年前には広島市内が土砂や雨風災害があった。
その後輩はチャリティーと称して復興ライブ等を主催して居たが、ある所では自分達に利益が無いと不平不満を漏らす始末(汗)
火をつけては消しもせずけしかけて燃やす割には、ほおっておくと言うか?放置?感知しない?と言う態度をとるのであるが、果たしてこれってなんなん?って僕は思うのである。
してる事には共感もする部分も有り、良い事だと僕自身行動に賛同する気持ちは少しは有るつもりだが、あんた呼ばわりをした事項に関してその後の一切の感知?終始をつけないのはどう言う事なのか?聞いて見たいと思う今日この頃なので有る。
考え方では有るが、自分の言った事は口から出た地点で自分のものではない?と言うか最後まで見届けて終始をつける必要はハナから無いと言う思考の持ち主なのか?色々と考えたくないのに思ってしまう悪い僕です。
誰しも基準と言うのは自分を基準に?又は世間の例を基準に?もしくは何かの経験値や書物の数値や記述事項等が基準か?分からないけれど。
僕が言いたいのは基準はあんた呼ばわりした後輩じゃあない!と言う事で有る。
自ずの口から発せられた言葉には歌を歌っているなら「言霊」とまでは言わないが、ちゃんと気持ちと意志とそして責任は持っていただきたいものだと思う僕です。
分かる方には分かると思うのですが、世間は表面の良いとこだけを見ているのか?深層真意な部分は?理解をして欲しいものだと(汗)
土地柄と言うか?ここら辺の気質なのか?悪かろうが安ければ良い的な?知りもしないで知ったかぶりをするのはどっちみち良くない事だと思いながら行動をしている状況は、僕には見て居て、痛く!辛い!感じがして仕方ないので有る。
誹謗中傷はよくない事だと120%理解はしているつもりの上でこうした書き込みをしているので、僕も書き込んだ事に対して責任は取るつもりで居ます。
面白おかしく騒ぎ立てる前に僕は僕で言いたくなったことをこのブログに書いては居るけれど、僕が中傷した方(前に)も本当は言われるようなことがあったのも事実で、今もその方の弁護は僕はしないししたくない!
間違ったことを言ったとは思って居ないので、今もその方は律する所もなくあのまま居られる姿を見ると、当時あんた呼ばわりした後輩を含めその周りにいた面々は多分にその方を擁護したつもりなのだろうが?青の方の家族の方には良くないことを当時したまま放置してきたのと同じ事だと認識をして欲しいと僕はおもう。
つらつらと列記しましたが、腹立たしく思って残っても良いと思って書き込みを残します。以上
先日僕の同級生の今プロ?と言いながらヒット曲もないままミュージシャンをしているとある子の話を聞いたのだが・・・(汗)
その彼は生まれ故郷で酷い事をして自分の生まれ故郷の地を踏めないような事をして出て行ったらしい。
話を聞けば聞くほど悪行ばかりが出てきて、まるで僕の知っている同級生の子と同じじゃないかと思った出来事があった。
まずそのプロとして活動をしている彼をA君としよう。A君は故郷を追い出されたのだがそれには理由があった。また故郷に堂々と帰れない事情があるのだという。
バンドとして複数で活動をしていたA君はほかのメンバーの楽器はもちろん機材等を数百万円で自分のものでもないのに売りとばした挙句その売上げ金のお金を持ち逃げしたのである。
売却したお金を持ち逃げして自分は都会へ出ていきソロで活動をしていく中で、うまくいかない彼がとった行動とは?
都会に出てきていた気の好い(善い)郷里の同級生を頼り仕事はもちろん、音楽のことも頼んで、その郷里の同級生たちは当時ちゃんとプロで売れていた同級生のB君を紹介したのだった。
B君はA君に仕事は勿論音楽の仕事も与えて、A君にすれば感謝しても足りないくらいお世話をかけてるにもかかわらず、紹介された仕事先を反故にしてB君の元からいなくなってしまったというのである。
その上?というか、B君の持ち曲を自分の曲だと演奏活動の中で歌い続けているという、それも今も(汗)
A君は演奏活動をするにあたり、地元には帰れないまま今もいて、気の好い同級生にを頼っては、CD(自主制作)を売りつけたり、コンサート動員を今も頼んでいるという話である。
ここからは僕の話。A君の話はあとでまた出てくるので。
僕は以前バンドを組んでいた。そしてそのバンドは今は空中分解の状況でそれぞれで活動をしている。それについては言うことはない。がー
ここから書くことを読んだ人たちは 物の善し悪しをきちんと自己判断をしていただきたいという(注意喚起)の意味でも書き留めておこうと思う。
僕は現在CDは二枚制作して販売をしている、売れた売れないはどうでもいいことだが昔マネージャーがいて事務所にも所属してプロとして活動をしていた。
今は音楽を続けて演奏していて、障害者施設や老人ホーム、幼稚園保育所そしていろんな施設等々を回って、生計は立てられないが充実した活動をしていると自分では思っている。
その二枚目のCDに「愛かぎ」という曲と「横顔」という曲があるのだがそれについて少し説明をしておく。先ずは「愛かぎ」から説明を。
この愛かぎの詩は当時組んでいたバンド仲間のCくん(わかる人にはわかると思うのだが)のその当時付き合ってた彼女の書いた詞である。
それをC君が僕の前に持ってきて、これに曲をつけたい!というので一緒に作ったのであるが、モデルの曲があってそれは僕の曲で「移り行く季節には」という曲のアンサーソングとして作ったと記憶している。
しかしそのC君の色んな僕への暴挙で腹を立ててる僕は二枚目のCDの中で作詞はその彼女の名前で、作曲はわざと僕の名前にしてC君に注意喚起をしたつもりである。
そしてもう一つの「横顔」であるが、この曲は先ほど述べたB君の曲を基に僕が編曲そして編詞をして作った曲である、よって二枚目のCDにはちゃんとC君の名前を載せている。
ここからが今日の本題である。
それはとある曲の事なのだが、注意喚起をしたにもかかわらずC君は気づいていないのか?厚かましいのか?一向に理解に苦しむ行動を今もとり続けていることに腹を立てて今から覚悟を決めて書くので心して読んでいただきたい。
まずTVにも出たのであるが、とある曲がある。仮にその曲名を「愛」としよう。正直に書くと「愛」という曲の詞は当時C君が付き合ってたMMさんという女性の書いた詞であると言う事!
C君が書いたものではないと言う事。そしてその詞に付けた曲のことなのだが、今知られている世間ではC君が作ったと言う事になっているのだが、実は・・・先ほどの気の好い同級生とB君が作った曲であると言う事を正直に言っておく。
僕がなぜ今になってこうした事実を公表しようと思ったのかという理由を言っておく。
C君が持っている今もC君が弾いているギターは実はずうっと前にはC君が乱雑に扱って壊れていたのである。
当時修理をするお金もない状況にいたため僕がC君に頼まれてC君がクレジットが通らないために僕が代わって修理代金のクレジットを僕の名前で組んで支払ったのである。
勿論当時(11年前)C君はちゃんと支払うことを約束してくれたのだが、修理が上がって彼の手元にギターが戻った時に僕にC君がこう言い放ったのである
「大作?お前はワシから利息を取るんか?」そして「なんで利息を支払わんといけんのなあお前に」と怒り始めたのである。
僕は組めなかったクレジットを代わりに組んでそしてクレジット会社に利息を支払って支払いを完了したにもかかわらず、何を勘違いしたのか?僕が利息を取っているとC君は言ってのけたのである(汗)
そして今現在の話であるが一昨年の一月からC君の入金は一切ない、というよりも未だ修理代の元金にも達していなのであるが、昨年より僕は一切C君には関わり合いたくないので連絡もしていない。
当然というか?利息は?前記で述べたように元金にも満たないうえに、払う気なんてあの言いぐさではまず無いだろうと推測することができるので黙っている。
他人の作った曲や歌詞を、自分のモノだと言う様な神経は僕には持ち合わせは一切ない!だがC君には早く気付いて直して堂々と歌ってほしいと願うばかりである!
前記で述べたA君も地元の気の好い同級生に言い放った言葉と、C君が僕に言い放った言葉と同じ言葉があったので記述しておく。それは・・・
「お前、ワシを殺すんか!?」「それを言われたらワシの立場はないじゃろうが!?」「お前ワシを脅すんか!?」 この三語は全く同じ言葉だったことを記しておく。
さて 読まれた方々はいったいどうして?と思われるだろうか?それとも僕に言った大作が悪い!といわれるのだろうか?または知らなくても良かった事だから聞きたくないのにしゃべるな!と僕を責めるだろうか?
何事も正直が善いとは言うものの、言わなくて心に留めておくことも必要だと言う事は重々承知しているつもりである、御年62歳近くになるのだからその位の判断はつくつもりである。
しかし、もう許せないと!堪忍袋の緒が切れた!ケンカを売ったと思われてもいい!許さないこの先一生!そしてそれを知らずに踊らされている人々が気の毒でならない(汗)
僕の勝手な判断だろうが・・・よーーーく考えて本人たちには行動をしていただきたい!絶対に好い事にはならない!真実が語られることを祈り!また堂々といてほしいと願うばかりである。
今月は(9月)色々とイベントが多く
一つは済んだけれど後二つ残って居る。
15日は明神町の敬老会で午前11時から1時間パフォーマンスをさせて頂く。
27日は港町のサンサン保育園で園児に向けたライブを40分、午前10時半からさせて頂く。
29日は頼兼町の公民館にて午前11時から敬老会で1時間させて頂く。
そして10月は今決まって居るのだけだが、
18日広島高陽町のK‘westさんで入場料は1ドリンク以上注文で30分、午後7時から出演させて頂く。
そして20日は愛媛県八幡浜市の八幡浜商店街にて午後2時以降出演させて頂く。
そして16日の水曜日は恒例の笠岡のすまいるハウスさんで午前10:30から皆んなと楽しむコンサートをさせて頂く。
以上覚書として
以前と言っても随分前にライブやコンサートをするにあたっての自分自身のモチベーションや趣について書いたことがある。
中々理解はしていただけないだろうが、僕が思うことだけで良いのだろうが、お客様から金品をいただくと言うのを前提に言わせてもらうとする。
バンドもしくは個人の中での意識が低いと思うバンドにはチャージ代を払ってまで見たくないという事である。
自分たちが山下達郎や角松敏生のコンサートを見に行くときに抱く期待感とは程遠い状況でも演奏は聞くに耐えられない。
ましてやMCの中で想い出作り何ぞとのたまう輩のバンドには一切払う気持ちはない。お店の経営上お店が演者にギャラっぽいものを支払う場合もそうした輩バンドには支払わなくて良いと思うし、演奏する?じゃなくその場を与えて居るのだから、あなた達は支払いなさいと言うスタンスも良いのではと思う。
バンドを育てる意味ではある程度場所提供側と演者との間に通じた思いがあるべきで、只々想い出作りをして居る下手な上達もないバンドにお金を出す必要は店側としても無くて良いと考える。
演者はお金をいただくためのスキルアップは必要で、演じることが当たり前では無く、自分自身の渾身のパフォーマンスをし、お客様もそれに感銘ないしあれって思わすぐらいのテクニックを出して演じれば良いと思う。
それによって対価が入ると言うスタンスで居るのが良いと思う。
ただの想い出作りならお金をとるな‼️お前達が喜ぶ演奏や歌を聴きに行ってやってるんだ‼️こっちは‼️と思うのだが僕だけが思うのだろうか。
梅雨も明けてすごく暑くなった。
自宅では呆けの進んだ母親の介護に毎日悪戦苦闘している。
実は6年前までDAISAと言うバンドを組んでいた。今は活動を一人でしている。
その DAISAのベースを手伝ってくれてた奥広慎二君が闘病の末に亡くなった。
第6回南紀親父バンドコンテストの際には車まで出してくれて一緒に和歌山へ行った。
その後お父さんの方が亡くなられて、奥広君と奥さんと子供さんで暮らしていた。
約6年前からバンドの活動を一人でしていた為彼とは活動をしていなかって、少し疎遠になっていた。
そして今朝知り合いから亡くなったと訃報を聞いたのである。病名はガン
少し前から闘病をしていたと言うのだがそれも知らない僕は訃報を聞くまで一切分からなかった。
今のおでん屋を始めて約7年、その間彼はお店には4度来店してくれた。
あんなに元気だったのに知らなくて申し訳ないと思っている。
ゆっくり空の上から見てて下さいね。
奥広慎二君、有難う御座いました。
昨晩訃報が入ってきた。学生時代に僕達にマネージャーが付いて、地方に巡業?と言うか、色んなところへ車で有働をかけていた頃の話である。
ライトエースと言うオレンジ色に近い車で、当時学生の僕達には重宝以上と言うか、素晴らしく機能的な車を運転する本人さんとマネージャー達だった。
本人さんと言うのは、当時両親は鶴橋高架下でお店をされていた。そして自宅は大阪の箕面市に住んでられた、松野浩二氏だった。
特に岐阜にライブへ行った時の思い出はそりゃあもう思い出と楽しさの詰まりに詰まったライブ旅行だったことには間違いはない。
その松野さんが今を遡ること15年前くらいまで、どこでどうされてたのか連絡がつかなかった時間をそれぞれが過ごしていた。
ある日僕が大阪でライブをするにあたり、旧友を含め連絡を取っていた時に偶然松野さんの妹さんに連絡が繋がったのだった。
又その時松野浩二氏は胃を切除され闘病をされている時で、僕は大阪の森ノ宮駅近くの病院へお見舞いに行ったのであった。
それ以降交友が復活していた矢先の話で、流石に昨晩の落胆と言えば言い様のない焦燥感にかられたのだった。
ゆっくりと眠っていただきたいと思いながら外の雨音に気持ちを馳せている。
また詳しくは別日に