4月26日、シャンソン歌手で推理作家の戸川昌子(85歳)が、胃がんのため静岡県内の病院で亡くなった。
特別なことではないが、戸川が、1967年に東京・渋谷二丁目に開いたシャンソンバー「青い部屋」に、二度ほど行ったことを思い出している。
青山学院にほど近い「六本木通り」沿いのビル地下、すぐ先で「246号」に合流となる位置にあった。
確かな時期、誰と御一緒したのかも、よく思い出せないのに・・・・。
だが、戸川昌子(オーナーママ)が、我々のテーブル席に付き、親しく会話が弾んだことは記憶にある。
タニマチ社長が、常連さんだったからであろう。
有名人を前にしての酒席であるから、気持ちよく過ごしたことは違いない。
三島由紀夫ら文人に愛されたお店であったそうだが、私が訪れたのは、三島が亡くなったずっと後なので、偶然にも触れることは出来なかったが、三島史観の感慨に耽ることは出来る。
戸川昌子の死去で、シャンソニエ「青い部屋」に行ったことを微かに懐古して見る。
華麗な内に逞しく生きた母性信仰の、戸川女史に合掌!。
特別なことではないが、戸川が、1967年に東京・渋谷二丁目に開いたシャンソンバー「青い部屋」に、二度ほど行ったことを思い出している。
青山学院にほど近い「六本木通り」沿いのビル地下、すぐ先で「246号」に合流となる位置にあった。
確かな時期、誰と御一緒したのかも、よく思い出せないのに・・・・。
だが、戸川昌子(オーナーママ)が、我々のテーブル席に付き、親しく会話が弾んだことは記憶にある。
タニマチ社長が、常連さんだったからであろう。
有名人を前にしての酒席であるから、気持ちよく過ごしたことは違いない。
三島由紀夫ら文人に愛されたお店であったそうだが、私が訪れたのは、三島が亡くなったずっと後なので、偶然にも触れることは出来なかったが、三島史観の感慨に耽ることは出来る。
戸川昌子の死去で、シャンソニエ「青い部屋」に行ったことを微かに懐古して見る。
華麗な内に逞しく生きた母性信仰の、戸川女史に合掌!。
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