女優・坂口良子の若い急死報道に合掌!。
特別な係わりはないのだが、30数年前、渋谷区笹塚に住んでいた折、早朝に甲州街道沿いに幡ヶ谷駅方向に歩いている坂口良子に出会ったことがある。
あの近くのマンションにでも住んでいたのだろう。
まだ独身時代のことだ。
ちょうどその頃、甲州街道を挟んで北側の六号坂通り商店街近くのアパートに、幼少期の橋下徹大阪市長が過ごしていたと報じられている。
ブログ子は新宿中村家工場の南側に住まいしていたので、京王線はほとんど笹塚駅を利用していた。
幡ヶ谷駅を利用するのはまれで、さらに街道沿いだったので坂口良子とのすれ違いもきわめて偶然のことであった。
ある時、幡ヶ谷駅南口から帰宅の途中で、青ヘル(反帝学評解放派)を拾ったことがある。
なんとなく持ち帰ってそのまま気にも止めることもなかったのだが。
引っ越し荷物の中に紛れて30数年、親父が見つけたらしく、学生運動の疑いを掛けられてしまった。
説明するまでもなく、疑いをもったまま昨年、旅立って逝った。
坂口良子の急死報道から想起した笹塚・幡ヶ谷での回顧談。ご冥福を祈る!。
特別な係わりはないのだが、30数年前、渋谷区笹塚に住んでいた折、早朝に甲州街道沿いに幡ヶ谷駅方向に歩いている坂口良子に出会ったことがある。
あの近くのマンションにでも住んでいたのだろう。
まだ独身時代のことだ。
ちょうどその頃、甲州街道を挟んで北側の六号坂通り商店街近くのアパートに、幼少期の橋下徹大阪市長が過ごしていたと報じられている。
ブログ子は新宿中村家工場の南側に住まいしていたので、京王線はほとんど笹塚駅を利用していた。
幡ヶ谷駅を利用するのはまれで、さらに街道沿いだったので坂口良子とのすれ違いもきわめて偶然のことであった。
ある時、幡ヶ谷駅南口から帰宅の途中で、青ヘル(反帝学評解放派)を拾ったことがある。
なんとなく持ち帰ってそのまま気にも止めることもなかったのだが。
引っ越し荷物の中に紛れて30数年、親父が見つけたらしく、学生運動の疑いを掛けられてしまった。
説明するまでもなく、疑いをもったまま昨年、旅立って逝った。
坂口良子の急死報道から想起した笹塚・幡ヶ谷での回顧談。ご冥福を祈る!。