正月新春明けに、超促成栽培の山形県産「(佐藤錦)さくらんぼ」が、市場に出まわるとの報道があった。
思い起こせば、20年ほど前からすると「出荷が、約一ヶ月ほども早くなったのかなァ。」と、促成栽培の技術進歩と当時の感慨に更ける。
1991(平成3)年2月初旬、ボスから「晋三さんのところに届けてくれ。話してあるから。」と・・・・。
安倍晋太郎元外相が、順天堂病院で闘病生活されていた頃である。
当時も桐箱入り市場価格で約15万円ほどの品だとされたから。
約50粒だから(桐箱包装含めれば)一粒3000円相当になる。
安倍会長の幾ばくかの病状回復に、賞味して貰えればと用意したものであった。
当時、晋三さん(現総理)は、原宿駅にほど近い表参道通りのマンションに住まいしていた。
お届けした時は、あいにく不在で管理事務所に預けてきた。
晋三さんを通じて(促成栽培のさくらんぼを)賞味して頂いたと思われるのだが、その甲斐も無く、5.15安倍会長は膵臓癌による死去となった。
早朝のニュース報道から家内の、「安倍先生が亡くなったわよ!。」との声に、急ぎ駆け付けたものだが、「来るものが来た!」の思いだった。
芝増上寺での葬儀には、清和会秘書会のメンバーとして手伝い、黙祷を捧げた。
1993.1.19、皇室会議で小和田雅子女史が徳仁親王妃に内定された。
同2月初旬、JA天童の組合長から、ご婚約記念に「(当地天童の促成栽培の)さくらんぼ」をお祝いにお届けしたいとの依頼が舞い込んだ。
T組合長が上京しての直訴である。
外務省次官室(当時、小和田外務次官)に、用件を問い合わせたところ、「(公務上でなく)小和田家に直接にと。」、電話番号を教えて頂いた。(※、当時ボスは閣僚だったのであって、普段に易く対応は出来ないと思われる)
今では(運よく)、ブログ子が小和田次官夫人と直接話す機会が訪れたわけであるが、「婚約発表以来、色々な方々からお祝いの送り物があり、メディアを通じて報じられることに宮内庁・外務省からも対応を懸念(宣伝利用)されている」ことから「ご遠慮したい」との答えが返ってきたのだが。
小和田邸を包囲する取材網の協定破りの時間帯を避けて、翌日の皇太子殿下とのデートに合わせて、2セットを届けた。(小和田家・皇太子家にと)
翌日、日本農業新聞だけには大手中央紙を侮ったスクープ記事となった。
超促成栽培の山形県産「さくらんぼ」、1991~93の頃の想起。
思い起こせば、20年ほど前からすると「出荷が、約一ヶ月ほども早くなったのかなァ。」と、促成栽培の技術進歩と当時の感慨に更ける。
1991(平成3)年2月初旬、ボスから「晋三さんのところに届けてくれ。話してあるから。」と・・・・。
安倍晋太郎元外相が、順天堂病院で闘病生活されていた頃である。
当時も桐箱入り市場価格で約15万円ほどの品だとされたから。
約50粒だから(桐箱包装含めれば)一粒3000円相当になる。
安倍会長の幾ばくかの病状回復に、賞味して貰えればと用意したものであった。
当時、晋三さん(現総理)は、原宿駅にほど近い表参道通りのマンションに住まいしていた。
お届けした時は、あいにく不在で管理事務所に預けてきた。
晋三さんを通じて(促成栽培のさくらんぼを)賞味して頂いたと思われるのだが、その甲斐も無く、5.15安倍会長は膵臓癌による死去となった。
早朝のニュース報道から家内の、「安倍先生が亡くなったわよ!。」との声に、急ぎ駆け付けたものだが、「来るものが来た!」の思いだった。
芝増上寺での葬儀には、清和会秘書会のメンバーとして手伝い、黙祷を捧げた。
1993.1.19、皇室会議で小和田雅子女史が徳仁親王妃に内定された。
同2月初旬、JA天童の組合長から、ご婚約記念に「(当地天童の促成栽培の)さくらんぼ」をお祝いにお届けしたいとの依頼が舞い込んだ。
T組合長が上京しての直訴である。
外務省次官室(当時、小和田外務次官)に、用件を問い合わせたところ、「(公務上でなく)小和田家に直接にと。」、電話番号を教えて頂いた。(※、当時ボスは閣僚だったのであって、普段に易く対応は出来ないと思われる)
今では(運よく)、ブログ子が小和田次官夫人と直接話す機会が訪れたわけであるが、「婚約発表以来、色々な方々からお祝いの送り物があり、メディアを通じて報じられることに宮内庁・外務省からも対応を懸念(宣伝利用)されている」ことから「ご遠慮したい」との答えが返ってきたのだが。
小和田邸を包囲する取材網の協定破りの時間帯を避けて、翌日の皇太子殿下とのデートに合わせて、2セットを届けた。(小和田家・皇太子家にと)
翌日、日本農業新聞だけには大手中央紙を侮ったスクープ記事となった。
超促成栽培の山形県産「さくらんぼ」、1991~93の頃の想起。
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