昨日、ネット上の譲渡サイトで見つけた中古の棚を安く譲り受けることになった。
翌朝起きて、簡単に朝食を済ませた後、歯を磨き、髪を整え、ジーンズとTシャツに着替えて、サングラスをかけスニーカーを履いて家を出た。
すこぶる天気が良く、おまけにお陽様が眩しい。車にエンジンをかけ、忘れ物がないか素早く荷物をチェックしてから、ゆっくりと発進させた。
国道をしばらく走って内陸を抜け、海沿いの道を選んで目的地を目指した。時折り海岸に目をやると波が少しだけ立っていて、車内からでも白い波しぶきを見ることができた。私の自宅の前にあるヨットハーバーはまるで湖のようで、まったく波がないから波しぶきを楽しむなんて到底無理なのだ。
自宅のある街を出てから約一時間、のんびりと車を走らせたあと、ようやくナビが示す目的地に到着した。海岸沿いの公園の前にある明るくそしてちょっとだけくすんだ色の家だった。ガレージにはきれいに磨かれた大きな外車がすまし顔で停まっていた。
当のご夫婦はすでに本棚と一緒に家の前に出て私を待っていてくれていた。道路の脇に車を停めて、ご夫婦と簡単におざなりの挨拶をかわした後、色黒で体格の良いご主人に手伝ってもらって、車の後ろに本棚を積み込んだ。作業が済むと挨拶もほどほどに旦那さんはすぐに家に入ってしまったので、仕方なく私はあとに残ったきれいな奥さんにお金を払って、彼女に礼を言って別れを告げ車を発進させた。ほんのわずか数分間の出来事だった。
自宅への帰り道の途中、私は運転席で軽快な音楽を聴きながら、赤信号では時折り後ろを振り返り、サングラスを外して古いけど新しい仲間をちょっとだけ眺めたりもした。途中スーパーに寄って夕飯の買い物をしていこうかとも考えたが、早く本棚を設置したい気持ちがまさり、寄り道もせずにそのまま我が家に向かって車を走らせた。
途中、運転しながらふと右手前方を見てみると、臨時休業中していたはずのブックオフが開店しており、車が駐車場に次々と入場していくのが見えた。GW明けまで休業なのかと思っていたら、どうやら5月に入ってから営業を再開していたようだ。
店の前まで来ると私はハンドルを大きく右に切り、警備員の誘導に従って駐車場に車を停めた。
店内に入るといつもは空いている店内に、今日だけは割とお客さんが入っているのが分かる。見たところレジの前のも大勢人が並んでいるようだ。みんな両手に、またはレジかごに本や漫画をたくさん抱えているのが見えた。外出をしないよう要請された人々が、連休に入っていよいよすることがなく、本(或いは漫画)でも読むしかないと考えたのだろう。自分もそうなので、彼らの気持ちはよくわかる。
何週間もの休業の間に、店内の本のレイアウトの一部がガラッと変わっていた。いつもの場所にいつものジャンルの本がない。10分ほどかけて歩き回り、ようやく店内の状況を大体把握することができた。レイアウトの様子がわかったところで最近探していた本を探すことにし、文庫本の100円コーナーを探してみたのだが、お目当ての本は棚には並んでおらず、残念ながら見つけることはできなかった。それでも私は諦めきれずに今度は、棚の最下段にある、在庫をしまってある引き出しを開けて、中で2段に積み重なっている本を、少しづつずらしながら下の段まで一冊づつ全部の本をチェックしてみたところ、なんと下の段の最後の列に、それはあった。
突然目の前に現われた目当ての本を前にして、諦めかけていた私はびっくりして思わず『あった!』と叫んでしまった。と同時に辺りを見まわしたのだが、だれも私には関心を示さなかった。私はその文庫本を指でつまみ上げ、急いで破れなど不具合はないか中身を確認してみた。巻末を見てみると、発行は昭和63年1月とある。思えば63年は私が今の会社に入社した年だ。中を開いてみると紙は見事に茶色に変色し、それはあたかも32年の歳月を物語っているようだった。ひとくちに32年と言っても、人の人生はそんなに簡単には言い尽くせない。思い出してにっこり笑顔になる出来事もたくさんあれば、その反対の出来事もたくさんあった。その一つ一つが私の身に確かに起こったエピソードであり、そのすべてが今の私自身を作り上げているのだ、きっと。
私は本を閉じて、躊躇することなくレジに向かった。そして税込みで110円払い、店をでた。買ったのはわずか一冊だったが、それでも私は満足だった。
駐車場内では警備員が体全体を使ってジェスチャーしながら忙しそうに、駐車場に入る車そして、出ていく車を巧みに交互に誘導していた。
欲しかった本棚と本が同時に手に入り(それも両方安く)、私はとても満足だった。家に戻ってダイニングに入ると妻が一人で昼ご飯のパスタを食べていた。長女と長男の二人はまだそれぞれ自分たちの部屋で寝ているようだ。私はあまりおなかが空いていなかったので、昼食を断り部屋に戻って、もらってきた本棚を雑巾で磨き終えると窓の下に以前から置いてある白いカラーボックスの隣に据えてみた。
『うーん、悪くない。』心の中でそうつぶやいてから、本を並べたり、棚の上に花瓶を置いてみたりしていると、愛猫がどこからかやってきて不思議そうに、新しく現われた古い本棚をしばらくの間眺めたあと、大きな欠伸をして、のそのそと私の部屋から出ていった。
昼食を食べ終えた妻がリビングのある二階から降りてきて、私の横に並び本棚を眺めてこう言った。
『これをもらってきたの?写真で見るよりいい感じね。』
『だろっ、とても250円には見えないよね。』と私が言うと、
『250円?ずいぶんと半端な額なのね。』と妻が言った。
『500円だったんだよ、ほんとは。それをこっちから頼んで半額にしてもらったのさ。』と私は幾分自慢げに言い、笑いながらさらに続けた。
『あそこまで、ガソリン代を計算したら大体往復で300円だったんだ。それで半額の250円にまけてくれって言ったのさ。そうしたら気前よく下げてくれたんで助かったよ。おまけに奥さんは美人だったし。』
『あらっ、機嫌がよく見えるのはその奥さんのせいなの?』 妻はいくぶんいぶかしげに僕を見てそう言った。
『いやっ、違うよ。単純にこれが気に入ったからだよ、ほんとだよ。』 私はあわてて言い訳して話題を変えた。
『そういえば、ほらっ、この間譲渡サイトで見つけたダイニングに置くあのレンジボード。あれどうする?断る?』
『うーん、そうね。私はダイニングに置くんだったら、やっぱりキャスター付きのほうがいいと思うんだけど。』
妻は突然、私が話題を変えたことに幾分、違和感を感じているようだったが、それでも素直に答えてくれた。
『キャスター付きねー、やっぱりそっちのほうがいいのかな、ダイニングには。。。』
私はレンジボードのことを考えるふりをしながら、相変わらず頭の中ではやはり今日会った綺麗な奥さんのことを考えていた。
朝:シリアル、牛乳
遅い昼:かつ丼弁当半分、みそ汁
夜:ラタトゥイユ、鰤の塩焼き、鎌倉野菜の生サラダ、みそ汁、
おやつ:柏餅
2020.05.03