野菜作り大好き、車も大好き、冬にはスキーを・・・何時も楽しく、面白く、ありがとうを忘れずに。

ラリー、ダートラ、ジムカーナの違い

少しずつではあるが、3種とも経験がある。
免許の取立ては、A52ギャランでジムカーナを始めた。車高を落とし軽量化をし、3点式のロールバーを付けサイドマフラーにして、さも、レーシングカーのようなふりをしていた。
三国峠を越えて、苗場スキー場の駐車場であったイベントによく通った。
今、考えると恥ずかしい限りであるが、当時は仲間たち(橘レーシング)とまじめ目に走ることを追求していた。
練習は、榛名山の有料道路(現在は無料)などで走っていた。

この頃は、ただただ走ることが好きだった、毎日走らないと気が狂いそうになった。二十歳の時に怪我をして40日入院したがこの時はすごかった。
最初のうちは術後で痛くて何も考えられないし、何をする気も起きない、ましてや車の運転などまったく考えられなかった。
少ししてから、ナナハン(ホンダ750CC)のプラモデルの製作をした。結構細かく小時間もかかった。完成した物は、入院していたお気に入りの女の子にあげた。
その後がすごい、何を考えたのか刺繍を始めたのだ。入院をしている方々は色々な事をやって時間をすごしていて、刺繍もその一つ、選んだ理由は、すっごい時間がかかりそうで暇つぶしには最高と思った。30年位前の物だけど、まだ実家に有る。
なぜかこの入院をきっかけにジムカーナをやめてしまった。
車をノーマル状態にして半年位乗っていたが、あるとき会社の先輩から誘われてラリーの練習に行った。衝撃的だった。上りでも下りでも全開のままドリフト走行なのだ。これはやるしかないと実感、早速ラリー用のサスペンションを組んだ。
タイヤもダート用を付けて、いざ練習会に・・・。
先輩を隣に乗せてスタート、二速全開で最初の右コーナー、車は曲がらずにアウト側へ脱輪状態。
先輩の弁「ハンドル切っただけでは曲がらないよ」だって。
その後狂ったように練習を重ね当時のハイアベの県シリーズでも常に上位入賞をできるようになった。ラリー最初のエントリーはゼッケン152だっかなぁ。
この頃は、150代位の参加は良くあった気がする、二年間でシングルゼッケン(シード選手)になった。
又、この頃からダートトライアルが始まり、らりーをゴールした後に当日エントリーでダートラも出場していた。
ダートラも上位入賞が続き遠征もするようになった。
ラリーとダートラ、365日車の生活、仕事もディーラーのメカニックだったので良かった。
日曜日 イベント
月曜日 洗車かたずけ
火曜日 車両メンテ
水曜日 練習(どこか壊れるまで)
木曜日 修理
金曜日 修理箇所の確認をしながらセッティング
土曜日 イベント
こんな感じで22歳から25歳までの3年間をすごす。
この間にウインターラリーにも備えて雪道の練習も良くした、雪があれば当然スキー。
スキーも熱中していた、車のスケジュールに加えてスキーの練習も全開でした。
12月末から5月の連休まで、冬はウインターラリーが1回と県シリーズのウインタートライアルが5戦あって全てエントリー、それ以外は全てスキー。シーズン30日位スキーをしていた。
あっ、題目から少し外れました。次回へ
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