月例にあったおもちゃを。
そんなセリフをよく子供チャレンジの広告で目にする。(名指し)
あたかも「子供チャレンジが一番」とでも言いたげ。
そうじゃなきゃ広告じゃないけどさ。
でも、それは当たりだ。
つくもは自分に難しいおもちゃを与えられると、
キレる
積み木も、星の形は星の形の穴に入れて・・・
とか、遊びが込み合ってくると、
ぶち切れて積み木をマージャン波にかき回し、手当たり次第にブン投げる。
ブン投げるの、彼、得意中の得意。
だからツクモは、
ぶんぶん振り回すマラカスが好きだし、
うちわとか長いものとか持つと、とにかくブンブンやる。

何度、頭や足に当てられ悶絶したことか。。
でも、いきいきと遊んでる姿はやはり可愛く、
叱り付けるなんてオーマイ無理無理ベイビーだよ。
そういえば彼は、いわゆる知育的なおもちゃはあんまり遊ばないの。
そのくせ、他の人の家に行くと、
そこんちの子供のおもちゃではよく遊んだりする。
やはり自宅では、おもちゃよりパパやママと触れ合って遊びたいのかもしれない。
公園なんか行くと、満面の笑みで走っていって、
ちょいちょい振り返って「うー!!」って叫んだり、
追っかけてきて抱きついたり。
公園にいくと実に楽しそうなのは、
家の中と違って私がつくもをずっとみているからかもしれない。

(だって石ころとか食べるんだもん)
物より思い出。
金より思い出。
愛より思い出。
人を育てるのは血の通ったふれあいと、
思い出なのだなぁ。
・・・どの辺から思い出にこだわりだしたっけ?
眠たくて文章が変になったから、
今日はアロマして寝よう。
そんなセリフをよく子供チャレンジの広告で目にする。(名指し)
あたかも「子供チャレンジが一番」とでも言いたげ。
そうじゃなきゃ広告じゃないけどさ。
でも、それは当たりだ。
つくもは自分に難しいおもちゃを与えられると、
キレる

積み木も、星の形は星の形の穴に入れて・・・
とか、遊びが込み合ってくると、
ぶち切れて積み木をマージャン波にかき回し、手当たり次第にブン投げる。
ブン投げるの、彼、得意中の得意。
だからツクモは、
ぶんぶん振り回すマラカスが好きだし、
うちわとか長いものとか持つと、とにかくブンブンやる。

何度、頭や足に当てられ悶絶したことか。。
でも、いきいきと遊んでる姿はやはり可愛く、
叱り付けるなんてオーマイ無理無理ベイビーだよ。
そういえば彼は、いわゆる知育的なおもちゃはあんまり遊ばないの。
そのくせ、他の人の家に行くと、
そこんちの子供のおもちゃではよく遊んだりする。
やはり自宅では、おもちゃよりパパやママと触れ合って遊びたいのかもしれない。
公園なんか行くと、満面の笑みで走っていって、
ちょいちょい振り返って「うー!!」って叫んだり、
追っかけてきて抱きついたり。
公園にいくと実に楽しそうなのは、
家の中と違って私がつくもをずっとみているからかもしれない。

(だって石ころとか食べるんだもん)
物より思い出。
金より思い出。
愛より思い出。
人を育てるのは血の通ったふれあいと、
思い出なのだなぁ。
・・・どの辺から思い出にこだわりだしたっけ?
眠たくて文章が変になったから、
今日はアロマして寝よう。

一人で家にいると怒涛の時間。
仕事して帰ってきたらその足で保育園。
家に着いたらテレビつけて、「ジューシュね」って麦茶渡す。
麦茶飲んでる間に切羽詰りながらフロにお湯入れて、
ごはんチンして、おかず作ってスープ作って、皿に盛る。
それらが冷める間にお風呂。
自分の服脱いでツクモの服脱がして抱っこしてお風呂はいってシャボン玉して水鉄砲してウケ狙いで変な顔して笑わせてつくも洗って自分洗って、つくもがお椀でお湯飲んでる間に自分の体拭いて服着てつくも拭いて「でるよ」って説得してパンツはかせてシャツ着せてまた麦茶。
んでご飯食べさせて手と顔洗ってあげてテレビ見ながら遊ぶ。
このくだりが一人だとてんてこまい。
今日はいないいないブー(ブーでブーという顔をする)を50回はした。
わらってた。
かわいい

つかれてもつかれても、かわいい。
子供って不思議な存在だ。
生まれる直前まで、わたしは確かに
子供など対して好きじゃなかった。
そういう態度もとってきたし、
ベビーの入った自分のでかい腹も、かわいいと感じなかった。
思えば生まれたその日から、
彼はわたしの腕の中にずっといて、
当然みたいに頼ってきた。
はなれれば泣いて、
抱いてれば眠ってた。
動き出したらちょいちょい振り返っては私を見る。
それは今も変わらない。
いつか介護もしてくれるかな。
いや、笑わせてくれるだけでいいから。
どんな人になるか、
どんなおじさんになるか、
どんなおじいさんになるのかな。
長生きしたいな。
仕事して帰ってきたらその足で保育園。
家に着いたらテレビつけて、「ジューシュね」って麦茶渡す。
麦茶飲んでる間に切羽詰りながらフロにお湯入れて、
ごはんチンして、おかず作ってスープ作って、皿に盛る。
それらが冷める間にお風呂。
自分の服脱いでツクモの服脱がして抱っこしてお風呂はいってシャボン玉して水鉄砲してウケ狙いで変な顔して笑わせてつくも洗って自分洗って、つくもがお椀でお湯飲んでる間に自分の体拭いて服着てつくも拭いて「でるよ」って説得してパンツはかせてシャツ着せてまた麦茶。
んでご飯食べさせて手と顔洗ってあげてテレビ見ながら遊ぶ。
このくだりが一人だとてんてこまい。
今日はいないいないブー(ブーでブーという顔をする)を50回はした。
わらってた。
かわいい


つかれてもつかれても、かわいい。
子供って不思議な存在だ。
生まれる直前まで、わたしは確かに
子供など対して好きじゃなかった。
そういう態度もとってきたし、
ベビーの入った自分のでかい腹も、かわいいと感じなかった。
思えば生まれたその日から、
彼はわたしの腕の中にずっといて、
当然みたいに頼ってきた。
はなれれば泣いて、
抱いてれば眠ってた。
動き出したらちょいちょい振り返っては私を見る。
それは今も変わらない。
いつか介護もしてくれるかな。
いや、笑わせてくれるだけでいいから。
どんな人になるか、
どんなおじさんになるか、
どんなおじいさんになるのかな。
長生きしたいな。
保育園にいくと、すぐに風邪をひく。
妙な菌に感染して帰ってくる。(ロタとかアデノとか)
前日に保育士さんから、
「なんか今日つくもくんおとなしかったんです。」
といわれていたにもかかわらず、
次の朝、保育園に連れて行くと、
昼くらいに「つくもくん、お熱でぐったりなのでお迎えおねがいします」
なんて連絡がくる。
そういうときは物凄く反省するとともに、
気が付いて上げられない自分を責めてしまう。
(&保育士さんを尊敬する)
保育園に預けると、区役所の人ともかかわる。
区役所の人はすごく怖い。
「保育園にいけるかどうか、お前の運命牛耳ってんだぞ」
という、上から目線。
なんだか預けるのが悪いことで、
預かってもらってありがとうございます。はは~。(←ひれ伏す感じ)
となってくる。
怖い。

薬局のおもちゃで遊ぶ彼。
「すっげーちっちゃいけどこれはモシモシだな」と良回答。
立派です。
でも保育園は悪いことばかりじゃない。
風邪を沢山ひくと、抵抗力のある強い子になる。
栄養管理してもらえるから安心。
プロの手で沢山の遊びを教えてもらえるし、
童謡もいっぱい歌ってくれるし、
ちょっと積み木が出来ただけで、たっくさん誉めてくれる。
なによりも、
優しく信頼できる大人と触れ合えると言うのは、
子どもにはとてもいいこと。
親だけではなく、人を信じ、
自分に自信を持てる人になるのに大切なことだ。
それに、わたしも保育士さんに子育ての相談ができるし、
接し方や叱り方、いろんなことを教えてもらえる。
ほら、保育園ってすばらしい。
(区役所とのからみはあまり勉強にはならない。)
さーちゃんがいうには、
いまどきは共働きしない親もお金出して保育園に入れるんだって。
「社会性を身につけるため」
なんだって。
確かに社会性が身について、公園で他の子供と遊ぼうとするし、
たっぷり暴れて帰ってくるから、すごくわんぱくになった。

ある日のおトイレ。
いつのまにかこうなる。
こどもは立派だ。(ヘンな結論になった)
妙な菌に感染して帰ってくる。(ロタとかアデノとか)
前日に保育士さんから、
「なんか今日つくもくんおとなしかったんです。」
といわれていたにもかかわらず、
次の朝、保育園に連れて行くと、
昼くらいに「つくもくん、お熱でぐったりなのでお迎えおねがいします」
なんて連絡がくる。
そういうときは物凄く反省するとともに、
気が付いて上げられない自分を責めてしまう。
(&保育士さんを尊敬する)
保育園に預けると、区役所の人ともかかわる。
区役所の人はすごく怖い。
「保育園にいけるかどうか、お前の運命牛耳ってんだぞ」
という、上から目線。
なんだか預けるのが悪いことで、
預かってもらってありがとうございます。はは~。(←ひれ伏す感じ)
となってくる。
怖い。

薬局のおもちゃで遊ぶ彼。
「すっげーちっちゃいけどこれはモシモシだな」と良回答。
立派です。
でも保育園は悪いことばかりじゃない。
風邪を沢山ひくと、抵抗力のある強い子になる。
栄養管理してもらえるから安心。
プロの手で沢山の遊びを教えてもらえるし、
童謡もいっぱい歌ってくれるし、
ちょっと積み木が出来ただけで、たっくさん誉めてくれる。
なによりも、
優しく信頼できる大人と触れ合えると言うのは、
子どもにはとてもいいこと。
親だけではなく、人を信じ、
自分に自信を持てる人になるのに大切なことだ。
それに、わたしも保育士さんに子育ての相談ができるし、
接し方や叱り方、いろんなことを教えてもらえる。
ほら、保育園ってすばらしい。
(区役所とのからみはあまり勉強にはならない。)
さーちゃんがいうには、
いまどきは共働きしない親もお金出して保育園に入れるんだって。
「社会性を身につけるため」
なんだって。
確かに社会性が身について、公園で他の子供と遊ぼうとするし、
たっぷり暴れて帰ってくるから、すごくわんぱくになった。

ある日のおトイレ。
いつのまにかこうなる。
こどもは立派だ。(ヘンな結論になった)
執着心の強い彼。
「駄目よ」
と言ってやめさせると、
他の事をしているフリをかまし、
こちらがよそを見る一瞬の隙をつき、
電光石火のごとき素早さで目標物を手に入れる。(マジ早い)
いま、しまう場所が無くて壁に山積みになってるCDは
危ないから触っちゃ駄目だけど触りたいものNo1。
わたしがちょっとお茶を入れてるそのすきに、
テーブルに昇りCDを物色する。

なぜかいつもミスチル。
さて、なんでじゃろ。
山盛りあるのになぜかミスチル。
そもそも執着心の強さを見せだしたのはいつからだったかな。
3ヶ月くらいのときに好きだった、
ティンカーベルの小さいウチワだったきもするし、
・・・やっぱりつぶつぶシーツかなぁ。
子どもが出来る前は、
自分の意思である程度思い通りに物事が進められたし、
理解できないことや不安なことは、
意識的にも、無意識下でも、避けて通ることで免れてた。
それでも困ったときには、
反省するなり価値観が合わないとか他人のせいにして、
自分なりに納得してきたし。
今思うと、そいうことも結局は自分の尺度の範囲内で、
気持ちよくやってたんだよな。
それが良くないって話じゃなくて、
それでいいし、それが当たり前なんだけど、
つくもと接してると、そうやって片付けられないことが山盛りある。
片付けられない、というか、片付けてはイケナイ、というか。
おそらく、そこで我を通すと、
いわゆるガミガミお母さんになってしまうのかもしれない。
「なんで出来ないの」
「はやくしなさい」
「恥ずかしいから泣くんじゃない」
もしガミガミお母さんになったと仮定しよう。
100回も駄目って言ってるCDを触った。
そんな折にはガミガミお母さんなら、
平手打ちも辞さないことになるだろう。
だって、駄目なんだもん。
だって、危ないんだもん。
ガミガミお母さんの言ってることは間違ってない。
現実であり、一つの通念の教育とも言えなくも無い。
でもそれは、産前のように自分に気持ちよく、
自分を正当化してしまうことになるだろう。
ツクツクには、わからないのだ。
「どうしてプーさんは触っていいのにCDは駄目なのか」
「どうして積み木はドンガラガッシャンしていいのに、
お味噌汁とおかゆはドンガラガッシャンしちゃ駄目なのか」
「どうしてママは僕をくすぐるのに、僕はママに噛み付いちゃだめなのか」
人が嫌がる気持ち。
あとで面倒になるという予測。
全てのものには用途があるという概念。
そういう繊細で高尚な人間の持つ概念という利器が、
彼にはまだ無い。
それを学べるまで、安全な環境で過ごさせてあげること。
それを学べるように、いつも安心して健やかな気持ちでいさせてあげること。
わたしがやるべきことは、叱る事ではないのよね。
駄目なことから教えるんじゃなくて、
必要なことを必要と気が付けるための、ココロの余裕を作ってあげることなのよ。
イラッと来るたび、この長い下りを頭ン中で旋回させてます
理性保つの大変なときもオフコースあります。
生まれたばっかりの頃、
なんで泣いてるのかわからなくて苦労したけど、
「オナラしたいときに泣くらしい」
と気が付いた生後2週間。
あのとき感じた愛おしさを、
かれがおじさんになるまで忘れないでいたい。

って言ってるそばからテレビの裏で携帯が鳴ってるよ!
また持ち去り&謎のゾーンへの遺棄だよ!
・・あのとき感じた愛おしさね。
忘れてたら誰か思い出させて
「駄目よ」
と言ってやめさせると、
他の事をしているフリをかまし、
こちらがよそを見る一瞬の隙をつき、
電光石火のごとき素早さで目標物を手に入れる。(マジ早い)
いま、しまう場所が無くて壁に山積みになってるCDは
危ないから触っちゃ駄目だけど触りたいものNo1。
わたしがちょっとお茶を入れてるそのすきに、
テーブルに昇りCDを物色する。

なぜかいつもミスチル。
さて、なんでじゃろ。
山盛りあるのになぜかミスチル。
そもそも執着心の強さを見せだしたのはいつからだったかな。
3ヶ月くらいのときに好きだった、
ティンカーベルの小さいウチワだったきもするし、
・・・やっぱりつぶつぶシーツかなぁ。
子どもが出来る前は、
自分の意思である程度思い通りに物事が進められたし、
理解できないことや不安なことは、
意識的にも、無意識下でも、避けて通ることで免れてた。
それでも困ったときには、
反省するなり価値観が合わないとか他人のせいにして、
自分なりに納得してきたし。
今思うと、そいうことも結局は自分の尺度の範囲内で、
気持ちよくやってたんだよな。
それが良くないって話じゃなくて、
それでいいし、それが当たり前なんだけど、
つくもと接してると、そうやって片付けられないことが山盛りある。
片付けられない、というか、片付けてはイケナイ、というか。
おそらく、そこで我を通すと、
いわゆるガミガミお母さんになってしまうのかもしれない。
「なんで出来ないの」
「はやくしなさい」
「恥ずかしいから泣くんじゃない」
もしガミガミお母さんになったと仮定しよう。
100回も駄目って言ってるCDを触った。
そんな折にはガミガミお母さんなら、
平手打ちも辞さないことになるだろう。
だって、駄目なんだもん。
だって、危ないんだもん。
ガミガミお母さんの言ってることは間違ってない。
現実であり、一つの通念の教育とも言えなくも無い。
でもそれは、産前のように自分に気持ちよく、
自分を正当化してしまうことになるだろう。
ツクツクには、わからないのだ。
「どうしてプーさんは触っていいのにCDは駄目なのか」
「どうして積み木はドンガラガッシャンしていいのに、
お味噌汁とおかゆはドンガラガッシャンしちゃ駄目なのか」
「どうしてママは僕をくすぐるのに、僕はママに噛み付いちゃだめなのか」
人が嫌がる気持ち。
あとで面倒になるという予測。
全てのものには用途があるという概念。
そういう繊細で高尚な人間の持つ概念という利器が、
彼にはまだ無い。
それを学べるまで、安全な環境で過ごさせてあげること。
それを学べるように、いつも安心して健やかな気持ちでいさせてあげること。
わたしがやるべきことは、叱る事ではないのよね。
駄目なことから教えるんじゃなくて、
必要なことを必要と気が付けるための、ココロの余裕を作ってあげることなのよ。
イラッと来るたび、この長い下りを頭ン中で旋回させてます

理性保つの大変なときもオフコースあります。
生まれたばっかりの頃、
なんで泣いてるのかわからなくて苦労したけど、
「オナラしたいときに泣くらしい」
と気が付いた生後2週間。
あのとき感じた愛おしさを、
かれがおじさんになるまで忘れないでいたい。

って言ってるそばからテレビの裏で携帯が鳴ってるよ!
また持ち去り&謎のゾーンへの遺棄だよ!
・・あのとき感じた愛おしさね。
忘れてたら誰か思い出させて
