marieの日記帳

地上波「永遠の0」を見ました。

70年前の今日は、長崎に原爆が投下した日、
6日は広島に原爆が投下された日でした。
ポツダム宣言を受諾して15日が終戦記念日ですが
戦後70年、戦後生まれの私は、
何日に原爆が落とされたのかという記憶さえ危うくなっています。

7月31日に、金曜ロードSHOW!で 「永遠の0」が地上波初放送になり
録画取りをしていたので
誰もいない昼間、家でゆっくり観て泣きました。


特攻隊員として命を落とした宮部久蔵を岡田さんが熱演されていました。

天才的な技術を持ちながら“海軍一の臆病者”と呼ばれ、生還することにこだわっていたのに
なぜ、特攻隊として散っていったのか
最後まで気になりました。

少し前に、『日本のいちばん長い日』という映画を観せていただいて
太平洋戦争の降伏決定で阿南惟幾陸軍大臣が自害したシーンと重なりました。

特攻隊の教官になっても生還することにこだわり
若い兵士を特攻隊として戦闘に向わせることに異議をもっていたのに
多くの兵士を特攻隊として見送らねばならなかった宮部久蔵。
私には、特攻隊の教官である責任をとったように感じました。

もし私が教官なら、多くの若者を特攻隊として送り出し、
散って行ったのを目の当たりにしておきながら
敗戦になり、家族が大事だから帰ってきましたというわけにはいかなかっただろう
と思いました。

お国のためという言葉のもと、多くの若者が特攻隊で散っていた事実を知って
こういう悲劇が二度と起こらないことを願います。

戦争ではなく政治家の外交力に期待したいです。

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コメント一覧

marie
re
自分の父は、学徒動員で出兵しシベリアに抑留され、戦争が終わって帰国した時は、双子の弟は、病死していました。
夫の祖父は、軍人でしたので満州事変で戦死し祖母は、一人で3人の子供を育てたそうです。
普通に生きていくことが大変だった時代に生き抜いた人は、精神的にもたくましいように思います。
なぜ戦争が起きたのか、悲劇を繰り返さないためにも知っておくことは大切だと思いますが、戦後70年、戦争を知る人は身の回りでもずいぶん減りました。
miharu
私も録画しておいたのをひとり観ましたが
胸が苦しくて切ない気持ちですね。

戦争の事実についても、自ら探して見たり聞いたり調べたりすること、しないといけないなと思いました。
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