神野浦編 第2弾 です。
待ってました。
・・・・・・・一心に観音様を念じていると
【どうやら無事に神野浦に帰りつくことが出来た、
と見る間に今乗ってきたその枯木は「白馬」となって、
はるか南の山彼方に飛び去り行ってしまったので、
その馬の蹄の跡をたどってみると、そこに
そのときの枯木が残されていた。
そう太夫はその枯木で馬頭観音様を刻んでもらい
松尾寺に納めた。
その観音様が松尾寺の御本尊様だと伝えられている。
それは延喜12年(913)のことであったという。
神野浦の海岸には、今も「観音岩」と称して
馬の蹄のあとを残す大岩がある。】
この写真がその「観音岩」です。
ここから観音様が松尾寺に行かれたときの
基点として、ちょうど「観音岩」の合い向かいに
今も観音道として奉られています。
また、神野浦では昔から使われている
「夜のもん」と言う言葉があります。
この言葉に由来するお話も、若狭高浜 むかしばなしの本に
載ってます、一度読んでください。
面白いですよ。
それではいよいよ最終目的地 山中区です。
これでぐるっと内浦を回って来た事になります。
次の山中区をお楽しみに・・・・・。
じゃーね・・・・
よろしく
待ってました。
・・・・・・・一心に観音様を念じていると
【どうやら無事に神野浦に帰りつくことが出来た、
と見る間に今乗ってきたその枯木は「白馬」となって、
はるか南の山彼方に飛び去り行ってしまったので、
その馬の蹄の跡をたどってみると、そこに
そのときの枯木が残されていた。
そう太夫はその枯木で馬頭観音様を刻んでもらい
松尾寺に納めた。
その観音様が松尾寺の御本尊様だと伝えられている。
それは延喜12年(913)のことであったという。
神野浦の海岸には、今も「観音岩」と称して
馬の蹄のあとを残す大岩がある。】
この写真がその「観音岩」です。
ここから観音様が松尾寺に行かれたときの
基点として、ちょうど「観音岩」の合い向かいに
今も観音道として奉られています。
また、神野浦では昔から使われている
「夜のもん」と言う言葉があります。
この言葉に由来するお話も、若狭高浜 むかしばなしの本に
載ってます、一度読んでください。
面白いですよ。
それではいよいよ最終目的地 山中区です。
これでぐるっと内浦を回って来た事になります。
次の山中区をお楽しみに・・・・・。
じゃーね・・・・
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