戯言にございます。
さらりとスルーにてお願い致します。
旧交を温める
= 旧友と久しぶりに会って懇談する。
昔からの交際を再び始める。
それに是非も何もないのですが、一般的に良い意味で使われる
上記言葉について、考える機会がありました。
最近、何年も会っていなかった何人かの知人と、数年ぶりに会う機会がありました。
それぞれマンツーマンで食事(飲み)をしたり、お茶をしたり。
でも、大変失礼ではありますが、正直、会わない方が良かったのかなあと思う人が何人かいました。
会っている間、違和感を感じ、その違和感の原因はなんなんだろうと、考えるが分からず。
居心地が悪く、一緒にいることが不自然。
取り繕い、楽しさを装って話す。
要するに、あまりいい思いをしなかったのですが、
自分にとって確認作業と言うか、前に進むために避けては通れなかったことと位置づけ、
必要なことであったと思うようになりました。
そして、そういった場所に出かける際の共通点があります。
約束の場所に向かう際、思わず外出が躊躇われるような大雨に見舞われるのです。
まるで何かが、行くのは止めにしなさい、とでも言っているかのように。
(実際に、大雨を理由にリスケ(という名のキャンセル)を提案したものもありましたが、
決行することになった)
そして、足を、肩を腕を、鞄を、ことごとく酷く濡らした大雨は、
帰る際には、ピタリと止んでいるのです。
勿論、単なる偶然なのだろうけれど。
でも、単なる偶然、という言葉だけで片付けられないものもある気がします。
虫の知らせというか。
でも、実際会ってみたり、行動してみないと分からないことが多い。
気を付けていないと、本質が見え隠れしてしまいます。
そして、自身はそれに気が付いていない。
それは彼彼女が変わってしまったからか、
それとも、それを隠して振る舞っていたのか。
そのどちらもなのかもしれません。
私も変わったかもしれない。
それは、良い意味でかもしれないし、悪い意味でかもしれない。
自分は、良い意味で変われる人でありたいと思うけれど、本質はそう簡単に変えられないのでしょう。
本質は変わらないのかもしれません。これから変わるということは、
ただ、変わってしまった自分を、本質に戻す作業なのかもしれません。
(というと、まるで自分の本質が良いような印象を与えるかもしれませんが、
変化する前の本質の方がましなのでは、という、
あくまで相対的なものであります。言い訳が多くスミマセン
)
でも、戻す作業であるにしろ、そうでないにしろ、
良い方に変われるように、自分を訓練することができる人でありたいと思います。
そして、人が変わることに対して、寛容でありたいと思う。
ただ、この歳になると、不要な場所に出かけるのはもう遠慮してもよいのかな、とも思う。
無理をして旧交を温める必要はないし、
そもそもこういった場合は該当しないものなのでしょう。
教訓
君子危うきに近寄らず(勿論決して自分が君子と言うわけではございません)。
言動、立ち振る舞いに気を付ける。
そしてそれを、己の本質としていく。
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思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
- マザー・テレサ
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なんだかマジメになりました
心がモヤモヤして、モヤモヤの正体を明らかにして、
心をクリアにしたかったのです。
今は幾分クリアになりました。
良い意味で旧交を温める機会に恵まれた昨今でもありました。
小学校のときの担任の先生とも、年賀状だけでなく、電話でお話できたし。
禍福は糾える縄の如しであります。
旧交を温めるのは素晴らしいことであります。