椿が 2010年01月29日 | 日記 忙しいのを理由に、ブログ更新がおろそかになってしまいました。 反省。 それに気がつけば、椿が・・・散り始めています。 そんなに花には興味はないけど、散るって今の季節でしたかね・・椿にも色んな種類があるのでしょうか。
そういえば 2010年01月21日 | 日記 最近はお参りも含めて、出かけるときは車ばかりになってしまい、スクーターは置いてけぼりばかり。 おかげでホコリまみれで玄関の前にあります。 雨が止んだら、洗ってあげてスクーターでお出かけしよう
今日は暖かい 2010年01月17日 | 日記 昼から暖かくなってきたので、お墓の掃除をしました。 だいぶ花びらが落ちてきました。 冬の時期は寒いからお墓掃除は嫌だけど、落ち葉が少ないので掃除が楽でいいですね。 夏の半分ぐらいかな。
寒かったですね~ 2010年01月13日 | 日記 和歌山市内でも雪が舞いましたですね。 さすがに積もりはしませんでしたが・・・ 今日は ご祈願と人生相談が入っていたので、雪が降っている間は本堂にいましたが、 暖房を入れても寒かったですね。大きいエアコンを入れてるんですが、どうしても天井が高いから仕方ないのかな。 だいぶ西の方の空は雲の間から夕日が冬って感じですね。もう降らないのかな。 水屋の水も朝は凍っていましたが、すっかり溶けてました。
小梅日記の川合小梅さんのお墓です。 2010年01月10日 | 日記 川合小梅さんは、徳川和歌山藩士川合鼎と妻辰子とのあいだに、文化元年(1804)12月23日、和歌山釘貫町2丁目の川合家で生まれました。 父の鼎は紀州藩学習館の助教で、向学の志強く京都に遊学しましたが、おしくも文化5年[1808]3月4日、31歳で病没してしまいました。 小梅さんは当時5歳で祖父の春川と母の辰子の養育を受けました。 小梅の祖父・春川は名を衡(こう)宇は丈平と称します。母の達子は本居太平の門人で、国学と和歌を学び特に和歌に精通していました。 小梅は16歳で梅所と結婚しました。梅所は、名を修、通称豹蔵と称し、春川の養子で紀州藩の儒者を務めました。 安政4年(1858)12月、学習館督学になり、40石を下されたが、明治4年(1871)12月、小梅は明治22年[1889]11月2日86歳の生涯を終え、妙宣寺に葬られております。