
私が私になる為に、



母との別れ
介護施設で働く僕の携帯が突然鳴った。それは姉からだった。
不吉な予感。
普段は連絡事項はLINEでしか来ないのに、、、
「もしもし」
「政明、チョコちゃんが危ないって。」
7日の昼頃に姉から母が血圧と脈拍が落ちて危険だと電話がありました。
僕は会社を早退して、主エルカンターレに状況を報告して、まだ寿命があるならば生かして下さい。最後に母と話したいとお願いしました。
病院に駆けつけたら嘘みたいに元気で
「お腹減った。お腹減った。」と言って、、、この時には僕は涙が自然に流れていました。
人工透析は3日前の金曜日の日に血圧が上がらず透析が半分しか出来てなく食事や水分が取れない状態が続いていました。
人工透析は3日出来ないとそれは即、死につながります。
「お袋よ。人工透析が出来ないと水も食事も出来ないんだよ。」
「それならアイスが食べたい。」と言って駄々っ子のように言う母。
担当医に聞いたらバニラアイスなら良いでしょうと言う事でスーパーカップのバニラを買って来て、僕はひと匙食べさせて上げては嬉しそうにする母を見て
「美味しいかい?」って聞くと
「美味しい」って言う母が可愛いくなりました。
少し食べては休んでひと眠り。
また少し食べては休んで、1時間でやっと3分の2くらいのアイスを食べて満足した様子。
でももともと体温が低いからアイスを食べたら、さらに寒く感じたらしく今度は寒い寒いと言い、身体を触ると手も背中も冷えてるのがわかります。
僕の手で摩擦して温めてあげると身体を起こそうと一生懸命になって、、
「お袋、身体を起こすと血圧が下がってしまうから横になって安静にするんだよ」
それでも必死に起き上がる。まるで生まれたばかりの子鹿のように。
最後の力を振り絞って起き上がろうとする。
でもそれはいつまでも続きません。
疲れて直ぐに眠ってしまいます。
この時には意識が混濁していたようです。
いつ帰れる?
小百合(4年前に病死の妹)が病室に来てたよっと言ったり。
また意識が遠のいたりの繰り返しでした。
もしかしたらまた明日になれば起き上がれるかもと思っていました。
「お袋また来るよ」と言って夕方6時くらいに病室を出ました。
でも既に心臓肥大と両肺は真っ白になっており母の身体は悲鳴を上げていました。
人工呼吸器で酸素を送っていましたので持って1日か2日。
いったんは自宅に帰りました。
翌朝6時半くらいに姉から電話がありました。
母の脈拍が急激に落ちて危ないと。
最後は脈拍が落ちて自然に眠るように息を引き取ったそうです。
母の顔は穏やかで本当に眠っているようでした。
主の元に母の魂が迷わずにたどり着けますように。合掌
令和3年6月8日 午前7時
母 チヨコ永眠 享年87才