38年前、就職の関係で卒業式に出席できず、同じ高校の同窓生に卒業証書を預かってもらった。
10年前の同窓会の時、尋ねたときは持ってないということだった。
今回の同窓会で卒業証書が出てきたので、送ってくれることになり、本日ようやくやって来た次第。
卒業証書がやってきたという表現は正しくない。
ようやく、手にすることができたというだけである。
大学にはあまり通わなかったので、卒業できたという実感をずっと感じることがなかった。
が、実物を前にすると、万感の思いが湧いてくる。
親は必至で大学にやってくれたのに、裏切る形で勉強せず、無為の日々を過ごすだけだった。
まあ、4年で卒業しただけが、親孝行だった。
激動の時代を横目で、眺めながらのパチンコ・麻雀の毎日。
宮本輝の女抜きの道頓堀川か
人生が残り少なくなった今考えると、もったいない時代だった。

親にやってきた、親不孝の報いは今、子供たちから同じ形で喰らってはいるが、それが人生。
道頓堀川のパチンコ・麻雀はもういいので、やり残したあと一つのものにこれからの人生をかけてみよう。
心意気だけでも。灰になるまで。
10年前の同窓会の時、尋ねたときは持ってないということだった。
今回の同窓会で卒業証書が出てきたので、送ってくれることになり、本日ようやくやって来た次第。
卒業証書がやってきたという表現は正しくない。
ようやく、手にすることができたというだけである。
大学にはあまり通わなかったので、卒業できたという実感をずっと感じることがなかった。
が、実物を前にすると、万感の思いが湧いてくる。
親は必至で大学にやってくれたのに、裏切る形で勉強せず、無為の日々を過ごすだけだった。
まあ、4年で卒業しただけが、親孝行だった。
激動の時代を横目で、眺めながらのパチンコ・麻雀の毎日。
宮本輝の女抜きの道頓堀川か
人生が残り少なくなった今考えると、もったいない時代だった。

親にやってきた、親不孝の報いは今、子供たちから同じ形で喰らってはいるが、それが人生。
道頓堀川のパチンコ・麻雀はもういいので、やり残したあと一つのものにこれからの人生をかけてみよう。
心意気だけでも。灰になるまで。