世の中、人の死をダシにしてあざといことをする輩が多い。
この女性職員の行動は立派だったが、「道徳教材」というのはどうだろうか?
生徒に何を伝えるつもりで教材化したのか?
その意図が不明である。
木口小平
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E5%8F%A3%E5%B0%8F%E5%B9%B3
戦前の「修身」の教科書には死んでもラッパを離さなかった木口小平が出てくる。
これと比較するのはこの女性職員に対して失礼甚だしいが、「教材化した連中の意図は似たようなものだったのではないか?」とも受け取れる。
≪佐藤仁町長が津波被害の象徴として保存の意向を示したが≫
などと、遺族の意向を無視して「美談化」の工作も見受けられる。
「早く、早く高台に逃げて下さい!」 命懸けの避難呼び掛けで津波の犠牲になった女性職員、教材に…その要旨
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1327627460/-100
宮城県南三陸町の防災対策庁舎から防災無線で町民に避難を呼び掛け続け、津波の犠牲になった職員=当時(24)=が埼玉県の公立学校で4月から使われる道徳の教材に載ることが26日、分かった。公立の小中高約千二百五十校で使われる。
教材要旨 「天使の声」
≪誰にも気さくに接し、職場の仲間からは「未希さん」と慕われていた遠藤未希さん。その名には、未来に希望をもって生きてほしいと親の願いが込められていた。
未希さんは、地元で就職を望む両親の思いをくみ、四年前に今の職場に就いた。(昨年)九月には結婚式を挙げる予定であった。
突然、ドドーンという地響きとともに庁舎の天井が右に左に大きく揺れ始め、棚の書類が一斉に落ちた。
「地震だ!」
誰もが飛ばされまいと必死に机にしがみついた。かつて誰も経験したことのない強い揺れであった。未希さんは、「すぐ放送を」と思った。
はやる気持ちを抑え、未希さんは二階にある放送室に駆け込んだ。防災対策庁舎の危機管理課で防災無線を担当していた。
「大津波警報が発令されました。町民の皆さんは早く、早く高台に避難してください」。未希さんは、同僚の三浦さんと交代しながら祈る思いで放送をし続けた。
地震が発生して二十分、すでに屋上には三十人ほどの職員が上がっていた。すると突然かん高い声がした。
「潮が引き始めたぞぉー」
午後三時十五分、屋上から「津波が来たぞぉー」という叫び声が聞こえた。未希さんは両手でマイクを握りしめて立ち上がった。そして、必死の思いで言い続 けた。「大きい津波がきています。早く、早く、早く高台に逃げてください。早く高台に逃げてください」。重なり合う二人の声が絶叫の声と変わっていた。
津波はみるみるうちに黒くその姿を変え、グウォーンと不気味な音を立てながら、すさまじい勢いで防潮水門を軽々超えてきた。容赦なく町をのみ込んでいく。信じられない光景であった。
未希さんをはじめ、職員は一斉に席を立ち、屋上に続く外階段を駆け上がった。その時、「きたぞぉー、絶対に手を離すな」という野太い声が聞こえてきた。津波は、庁舎の屋上をも一気に襲いかかってきた。それは一瞬の出来事であった。
「おーい、大丈夫かぁー」「あぁー、あー…」。力のない声が聞こえた。三十人ほどいた職員の数は、わずか十人であった。しかしそこに未希さんの姿は消えていた。
それを伝え知った母親の美恵子さんは、いつ娘が帰ってきてもいいようにと未希さんの部屋を片づけ、待ち続けていた。
未希さんの遺体が見つかったのは、それから四十三日目の四月二十三日のことであった。
町民約一万七千七百人のうち、半数近くが避難して命拾いした。
五月四日、しめやかに葬儀が行われた。会場に駆けつけた町民は「あの時の女性の声で無我夢中で高台に逃げた。あの放送がなければ今ごろは自分は生きていなかっただろう」と、涙を流しながら写真に手を合わせた。
変わり果てた娘を前に両親は、無念さを押し殺しながら「生きていてほしかった。本当にご苦労様。ありがとう」とつぶやいた。
出棺の時、雨も降っていないのに、西の空にひとすじの虹が出た。未希さんの声は「天使の声」として町民の心に深く刻まれている。≫
「天使の声」というタイトルからしていやらしさを感じるのは私だけだろうか?
最初から子供を騙すつもりような悪意すら感じ取れる。
マスコミ報道は捏造が多いので、地元の中でどの程度が本当に「天使の声」と認識しているのかも疑わしい。
特に冒頭部分の文章は不快極まりない。「悲劇性」「犠牲」を強調するための安っぽい演出である。私がこの女性の遺族だったら、この記事の著者を殴りたくなるだろう。
尤も、教科書化する以上、いくらなんでも遺族の了解くらいは取ってあるとは思われるが…。
学校の先生はこんな教材で生徒に何を教えればいいのだろうか?
この女性職員は死を賭して最期まで職務に励んでいたわけではない。
勿論、津波警報が発令された段階で職務放棄して、全力で高台に避難していれば、生命は助かった可能性が高い。
逃げ遅れた原因は職務を遂行したからに他ならないが、死因はやはり「津波の規模を予見できなかった」ことに尽きるだろう。
常識的には「ビルの屋上に上れば津波は回避できる」と考える。
どこまで職務を遂行するかは常識との相談である。
こう考えると、この女性の一連の行動は全て常識の範囲内ということになる。
つまり、教師が生徒に「常識」の重要性を教えるには、この教材はふさわしくない。
まさか、自己犠牲の精神を生徒に強要する目的ではないだろう。
この文面によると、この女性職員全く同じ行動を取っていた女性職員が存在する。教材にはこの女性の安否については言及していないが、文面から推測しておそらく生存したのだろう。
そうすると、この二人の女性の違いは生死の差だけということになり、「行動」としては全く差がない。
死んだから「偉い」ということか?
「人から感謝される人間になりなさい」というのならば、「日本人の場合は死なないとなかなか感謝してくれない」という事実も伝えなければならなくなる。
私が教師だとしたら、この教材で何を教えればいいのか途方に暮れてしまう。
これにことよせて、洗脳教育の実態でも生徒に話してしまうことになりそうだ。
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