藤原町で一番遺構が残るといわれる、藤原簡易駐車場近くにある、玉垣城跡(山口城跡)を散策する。 . . . 本文を読む
四日市市美里ヶ丘が造成されるまで、尾平町の里山であった、海軍と縁があった地、第二次世界大戦時、横須賀海軍が基地を構え、高射砲、探照灯が設置され、終戦まで軍が使用、三滝川左岸の高台で永井遺跡、永代寺山遺跡、上畑遺跡も近くにあり、古代から栄えた地と思われる。
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前日の積雪を心配ししたが、少し残るのみ、臼杵山をカットして、長坂ノ頭へ急登が続くがロープがあり助かる、かなり急峻である山頂より、鬼が牙へ展望が良い、下山は東峰から林道へ岩場と風とザレバ、緊張した一日。 . . . 本文を読む
百々ガ峰は長良川右岸の山並みの一つで岐阜市の最高峰、三等三角点(418m)が有る、山上を東海自然歩道が通るり、展望が良く楽しい散策ができた、あまりの暖かさのせいか少し春霞がかかり、白山の遠望は望めなかった。 . . . 本文を読む
野尻城跡
2006-03-09 | 城
野尻城跡
西野尻字南谷
城主 塩谷兵部
文治年中、輪田右馬允が居住し、のち白瀬庄司が城主となり、6代続く。
その後、日置大膳、その子日向、及び塩谷兵部等が居城した、
塩谷兵部は天正12年(1574)伊勢長島にて切腹
土塁、空掘、井戸跡が残る。
眼下に三岐鉄道、西野尻の、唯照寺が見える
比高50m、郭は2段あり、堀底道で結ばれている。
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治田城跡
2006-03-09 | 城
治田城跡
麓字バラ門43(城山)、
いなべ市北勢町麓
城主 治田山城豊前入道高明(永禄年間に楠正具 が居城した)
治田五兵衛が築城、その子 治田山城守が継いだ、治田山城守は付近の諸城を攻めて、かなりの勢力をもっていた、永禄10年(1567)滝川一益侵攻の際には落城せず、天正年中に織田信長に降伏した
摺鉢型の山を利用し三段になっている、東西130m南北150m 標高172m
山を城山と俗称し、その山麓を麓村と称している
北側尾根との間に溜めがあり、溜め入口に説明板、標識があり其の奥に祠が祭られている。
比高10m、空掘、井戸跡らしき面影のみあり
北側の尾根には寺山公園(桜がよさそう)、三等三角点、その下方に垣内遺跡がある。
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本当に通路の狭い世界遺産の町フェズの町を3時間にわたり歩く、人とロバが交錯する不思議な町である、何処をあるいたか迷路である、なめし皮の工場付近は臭いが強烈、鼻の穴にハーブを差込見学、バスで移動しメクネスの町へマンスールの美しい門を見学しカサブランカへ戻る . . . 本文を読む
早朝(4時)四輪駆動車に分乗しメルズーガ砂丘(片道65km)へ、砂丘の最高所へ登り、展望を楽しむ、ホテルに戻り、450kmのバス移動、モロッコ最長の35km続くジズ川オアシス、25mのトンネル、前日は通れなかったというザット峠を越え、世界自然遺産あるアトラス杉の森を見てフェズへ . . . 本文を読む