全員一斉休暇
1982年8月16日(月)
全員一斉休暇。午前テレビ:(NHKの新日本紀行、ジャッカルの日)
午後読書:オレンジ色の焔を追って
夜、Zの社宅に夕食に招待される。H氏、S氏ら他2名も一緒に。
イエメンスタイル。
テーブルはなく、絨毯の上に盛り沢山の皿のごちそう。
最初のスープがうまかった。盛り合わせなので遠くのものが取れず・・チキンが主体、レバーもあり
飲み物は withoutアルコールのビール。スイス製
車座みたいになりあぐらをかいて。
奥さん、子供らがちらりと見えたが席には顔を出さず。部屋の壁には何も飾っていない。
これはモスレムの宗教的理由からくるのであろう。しかし同じイエメン人でも人によるらしい。
我々の感覚からすると何か殺風景に感じる。
食事が終わって香港製のTV映画(ビデオ)、チャンバラ、活劇を見る。
料理を折角奥さんが作ってくれたのに沢山残して勿体なく、申し訳ないと思う。
帰りの夜の空気がひんやりと実に気持ち良かった。
8月17日(火)
休転。日本ではお盆が終わる。
今年は墓参りも出来なかった。
高校野球たけなわ。長野の丸子実、2対3で敗れた
円 265円台に・・・・。
以上新聞のNews より。
8月18日(水)
午後休転中の改造工事など日程打合わせ。
夕方Sanaaへ。
今日は一日肌寒き日。ドライバーのヘザンの言によると今日みたいに雨が少ししか降らないときは寒いんだと。日本では及びもつかぬ中近東でのかくなる寒さ。
Sanaa事務所へ着くとYさんが今夜日商のS氏と一緒に晩メシを食うことにしてあるという。
SHERATON HOTELで落ち合い。BARでビール、ジントニックを飲んだ後、ショーの舞台のあるレストランへ。
ブラデイーマリーを注文。フィレステーキは半分しか食わず。
舞台ではバンドに合わせ5人のフィリピン女性が歌う。最近メンバーが変わった。
彼女らは何を楽しみにかくなるところで歌っているのであろう?とふと思う。
昼はこんなところで何もすることはなかろう・・。結局は金であろう。
酔いがまわり、いささか気分が悪くなるほど。11時少し前HOTELを出る。
イエメンプロジェクト8-29に続く
これまでの経過