🇹🇷山根基之が世界一詳しくトルコの魅力を配信するブログ
📘イントロ
山根基之がトルコに魅了され、現地を103回に渡り訪れ、発見したオススメの観光地をユーザーにお届けします。
今回は、カッパドキアを特集します。
🗺カッパドキアの地図
🇹🇷山根基之のトルコ旅『カッパドキア編』
●目次
①ムスタファ・パシャ
②ソーアンル渓谷
③ウフララ渓谷
④ネヴシェヒル◀︎今回特集
⑤アチュクサライ
⑥ハジベクタシ
⑦カイセリ
⑧ギョレメ野外博物館
⑨鳩の谷
⑩ウチヒサル城
🎈山根基之がカッパドキアを深掘り解説
④ネヴシェヒル
18世紀初期までムスカラと呼ばれたアナトリアの小さな村ネヴシェヒルの運命は、この地に生まれ、土地の人々と故郷を生涯忘れることのなかったイブラヒム・パシャと共に激変しました。イスタンブールの宮殿でヘルヴァ(菓子の一種)職人の見習いとして働いていた彼は、その真面目さと賢さで頭角を現し、オスマン帝国の最高位にまで出世しました。
スルタン・アフメット三世の治世下で最初は相談役、次にパシャ(総督)となり、皇女ファトマ・スルタンと結婚すると宰相の地位を得ました。パシャの活性化政策をきっかけに拡大を始めた彼の故郷は、“新しい町”を意味するネヴシェヒルと改名されました。
芸術愛好家イブラヒム・パシャは、自らの資金でモスク、神学校、ハン(商館)、図書館、ハマムを造らせる一方、近郊から新天地を求めてやって来た人々には税の控除を認めて人口を増大させたので町は大いに活気づきました。国有地を一般に払い下げ、郊外には桑畑を設けて、一帯への養蚕業導入にも力を注ぎました。
こうして交易の要所への一歩を踏み出したネヴシェヒルの人口は間もなく17,000人に達しました。彼の没した1730年、建設活動は一旦停滞したとは言うものの、町の重要性はオスマン帝国、トルコ共和国を通して何ら変わることなく、1954年には同名で呼称される県の県庁所在地に指定されています。
セルジューク、オスマン帝国期の建造物で最も古いものは、イブラヒム・パシャが修復させた町を見渡すセルジューク時代の城塞で、二つの門と塔とで厳しい風情をみせています。
18世紀に建設されたイブラヒム・パシャ学問所はモスク、神学校、図書館、浴場などを包含する総合施設で、最も注目したい建物のひとつと言えます。
この施設の中のクルシュンル・ジャーミの内庭入口部には当時の高名な詩人ネディムの詩文が残り、噴水のドームやモスクの内装などにはチューリップ期の特徴が顕著にあらわれています。
関連サイト
https://ameblo.jp/kpgmq674/
http://yukatoruko.blog.fc2.com/
https://blogmura.com/profiles/10623534/
https://snaplace.jp/turkiyekanko/
感想:
山根基之のトルコを旅するシリーズにて、トルコの世界遺産カッパドキア遺跡の素晴らしさを配信しましたが、楽しんで頂けたかと思います。
勤務先:山根基之、トルコトラベル株式会社
トルコを世界一熟知し、ユーザーエクスペリエンスに資するトルコ紀行を収筆。
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