パラオ共和国
(パラオきょうわこく、パラオ語: Beluu ęr a Belau、英: Republic of Palau、漢字表記: 帛琉)
国旗のデザインは海を表す青地に月を表す黄色い丸が配置されている。
日本の国旗である日の丸が元となっている説もあるが、パラオの国旗の発案者のジョン・ブラウ・スキーボング(John Blau Skebong)は「私はもちろん日の丸を知っているが、特別にそれを意識してデザインしたわけではない」と否定している。
正式名称はパラオ語で Beluu er a Belau。
公式の英語表記は、Republic of Palau。
通称、Palau。
日本語の表記はパラオ共和国で、通称パラオ。
漢字による表記では、帛琉と書き、帛と略す。
また、現地ではベラウと呼ぶこともある。
国名の由来は、マレー語で「島」を意味する「Pulau」である。
中川 州男
(なかがわ くにお、1898年(明治31年)1月23日 - 1944年(昭和19年)11月24日)
日本の陸軍軍人。
陸士30期。
最終階級は陸軍中将。
太平洋戦争(大東亜戦争)のペリリューの戦いにおいて、歩兵第2連隊長としてペリリュー島守備隊(約1万2千名)を指揮し、同島を長くても3日で攻略できると楽観していたアメリカ海兵隊(約4万9千名)を相手に71日間に渡って組織的戦闘を続け、自軍の玉砕と引き換えにアメリカ海兵隊に多大な損害を与えた事で知られる。
パラオを構成する島は386であるが、実際に人が住んでいる島は9つのみである。
首都マルキョクやロマン・トメトゥチェル国際空港のあるバベルダオブ島と旧首都のあるコロール島とは橋で結ばれている。
コロール島とペリリュー島の間にあるロックアイランドは、2012年7月に世界遺産に登録された。
1990年代初頭の冷戦終結を受けて、アメリカにとってパラオの利用価値がなくなった後の1992年に行われた住民投票で、憲法内の非核条項をアメリカとの自由連合協定においてのみ凍結することが決まり、コンパクト承認のための住民投票の可決条件を緩和(75%から50%へ)する憲法改正のための住民投票が行われ、これが可決された。
また、同時に行われた大統領選挙でクニオ・ナカムラが当選した。
1993年には、緩和された可決条件の下、8回目の住民投票でアメリカ合衆国とのコンパクトが承認された。
これにより、1994年10月1日に、コンパクトによる自由連合盟約国として独立し、国連による信託統治が終了した。
同年に国際連合へも加盟した。
信託統治領としては最後の独立となる。
現在でもパラオ国会では日系の政治家が強い影響力を持つなど、日本と歴史的に密接な繋がりを持つ国である。
日本は、こんなにも親日の国をもっと大切にし、最低でも、大事な二国間経済協力協定や色々な条約を結ばなくていいのか?