若僧ひとりごと

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『学道用心集聞解』を読む#4 〜乾巻2〜

2020-03-25 02:42:52 | その他

 『学道用心集聞解』は道元禅師が35歳で書かれた『学道用心集』の注釈書で、面山瑞方禅師(以下面山さん)により書かれたものです。

 前回は「学道用心集」の字義についてが主なテーマとなりました。今回扱う部分ではこの学道用心集の十段がそれぞれどのような意味を持っているのかについての面山さんの解説から入っていきます。まず十段について確認します。

第一 可発菩提心事
第二 見聞正法必可修習事
第三 仏道必依行可証入事
第四 用有所得心不可修仏法事
第五 参禅学道可求正師事
第六 参禅可知事
第七 修行仏法欣求出離人須参禅事
第八 禅僧行履事
第九 可向道修行事
第十 直下承当事

 書き下しは以下のようになります。
第一 菩提心を発(おこ)すべき事
第二 正法を見聞して必ず修習すべき事
第三 仏道は必ず行に依りて証入すべき事
第四 有所得心を用って仏法を修すべからざる事
第五 参禅学道は正師を求むべき事
第六 参禅に知るべき事
第七 仏法を修行して出離を欣求する人は須く参禅すべき事
第八 禅僧行履の事
第九 道に向かって修行すべき事
第十 直下承当の事


 さて、まず十段あることの意義としては、「大海に入るごとく、次第次第に甚深なり」と説明されています。別々に立てられているものというよりは、読み進めていくうちに仏法の深い部分に親しんでいくことができるということです。ここからは十段それぞれがどのような役割を果たしているのか、どのような意義があるのかについて述べられていきます。

 まずは第一の「可発菩提心事(菩提心を発すべき事)」です。最初にこれが来ていることについては、発菩提心が「三世諸仏の成正覚の根本なるゆえ」であるとされます。三世諸仏というのは過去現在未来の仏のことです。成正覚はひとまず悟りのこととしておきます。この「可発菩提心事」は「この一段が無ければ後の九章も戯事なり」とされ、特に重要視していることが分かります。戯事は「ざれごと」とも読み、実を伴わない事であるということと受け取れます。もちろん、これは面山さんの解釈であり、道元禅師ご自身もそう考えられていたと短絡的に結びつけることはできないかもしれませんが、大いに参考になる部分です。

 私は福井にある曹洞宗の大本山永平寺にて安居(修行)していましたが、そこではこの「可発菩提心事」が「発菩提心」という題目で読誦されていたのですが、『学道用心集』という10章からなる著作の1章だけ切り取って読まれているのかが釈然としない思いがありました。しかしこの面山さんの「可発菩提心事」が無ければ他の章は詭弁にしかならないということが言われていることからも、修行全般の中で最も肝要な部分であるから取り上げられたのだろうと納得することができました。

 第二の「見聞正法必可修習事(正法を見聞して必ず修習すべき事)」については「菩提心を発してからは仏祖単伝の正師を尋ねて正法を見聞して修習するが菩提心の潤色ゆえ」とされています。潤色というのは「彩りを添えていくこと」といった意味がある言葉です。菩提心の彩りとして、正しい師匠を訪ねて正法を見聞きし、実践していくことが肝要であるということがここでは示されることになります。また、修習するとは行のこと、すなわち「坐禅三昧」のことであるといいます。

 「行ぜねば菩提心に証入することならぬゆえ」に第三の「仏道必依行可証入事(仏道は必ず行に依りて証入すべき事)」があるとされます。そしてその証入が「有所得の心」によって行われてしまってはならないことを示すため、第四の「用有所得心不可修仏法事(有所得心を用って仏法を修すべからざる事)」があると続きます。そして誤った師のもとでは有所得に堕してしまうことから、第五の「参禅学道可求正師事(参禅学道は正師を求むべき事)」を示されたとされます。

 第六は「参禅可知事(参禅に知るべき事)」で、「参禅と云うには古徳の先蹤があるを知ってその例とせねばならぬ(ゆえ)」、第七「修行仏法欣求出離人須参禅事(仏法を修行して出離を欣求する人は須く参禅すべき事)」「日本に自身初めて伝来せられしゆえに、今まで諸宗で仏法は娑婆を出離して浄土を欣求すると思う人もそれよりは参禅の自己に帰るほどはやみちはなきこと」

 第八「禅僧行履事(禅僧行履の事)」「坐禅僧なればその日用の行履を識得する為」、第九「可向道修行事(道に向かって修行すべき事)」「行履の了然不生の所も修行ゆるくしてはならぬゆえに、刹那も油断せず菩提を目かれず見よ」
という教えを示すためであるとされます。また、ここでは修行とは坐禅と聞法であることもまた示されています。

そして第十段に入る前に、「発心とは四弘誓」であると述べられています。四弘誓とは、四弘誓願文のことです。「衆生無辺誓願度 煩悩無尽誓願断 法門無量誓願学 仏道無上誓願成」の四句からなるのがこの四弘誓願文です。
これについて、面山さんは次のように釈しています。

衆生無辺誓願度=「化他の為」
煩悩無尽誓願断=「自行の為」
法門無量誓願学=「聞法」
仏道無上誓願成=「正身端坐」

 仏教の中では自利利他という言葉がありますが、この利他が最初の「衆生無辺誓願度」、自利が「煩悩無尽誓願断」に当たるとされているのです。そして第九で示された、修行は「坐禅と聞法」というところが今度は「法門無量誓願学 仏道無上誓願成」に関わってきます。法門無量誓願学は聞法であり、仏道無上誓願成は坐禅であるのです。

 この正身端坐が「佛佛祖祖の直下承当」であるために第十「直下承当事(直下承当の事)」があるのだとされ、そして「第十の時に最初の発菩提心が円成する」とされます。最初に発菩提心が無ければ後の九段は全てが「戯事」であるとされていましたが、ここではその菩提心が第十をもって円成するとされているのです。円成するとは「仏行として満ち足りたものになる」と受け取っておきたいと思います。
菩提心を発し、正しい師を求め、教えを聞き、坐禅をし、誤った見解に落ちずにひたむきに精進を重ねていくことを懇ろに説かれているのでしょう。


ここまでお読みいただき誠にありがとうございます。学びの身ですでありますので、どうか誤った点などございましたらご指摘いただけると幸いに存じます。


次回からは実際に学道用心集の本文へと入っていきます。
またお会いできますよう。



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『学道用心集聞解』を読む#3 〜乾巻〜

2020-03-19 08:52:32 | 仏教・禅
 こんにちは。前回のところで序文が終わり、ようやく内容に入っていくことができます。今回と次回(おそらく次々回ぐらいまで)は、学道用心集の名称の由来や、その構造についての話が続いていくかと思われます。直接的な内容ではないかもしれませんが、重要な部分が示されていて、僕自身もとても興味深く拝読しています。

 ここからはカタカナでふりがながされているところになっていきますが、読みづらいので基本的にはひらがなに直し、そして送り仮名自体も現代の用法にします。例えば「當る」を「当たる」にするなどです。時折経典の引用は漢文そのものなので、そちらについては前回までと同じように原文と書き下しを載せる形にします。書き下してしまえば特別現代語訳をする必要は今のところ感じていません。むしろ使われている語句が仏教的にどのような意味を持っているのかというバックグラウンドを知る方がより大切かと思っています。

 それでは始めていきたいと思います。基本的には太字の部分が本文としています。

 まず出だしのところ。「永平初祖学道用心集聞解乾巻」とあります。全体が「乾(けん)巻」と「坤(こん)巻」に分かれているので、「乾巻」というのは上巻という意味でしょう。ちなみに乾坤というのは天地のことです。

 次の行には「永福老人演説」とあります。永福老人とは面山瑞方禅師のことです。面山さんは永福庵というお寺を現在の福井県小浜に建てたのですが、ここから取っているのでしょう。この行の下には「侍者 慧観 録」とあるので、ここからはいわば講義録のような形で記されたのだと思われます。この次の本文の最初には「老人云く」から始まることからもそれが示唆されます。

 次に『学道用心集』自体がいつ書かれたのかについて言及されます。「天福二年」で道元禅師が35歳の時だとされます。天福二年というのは1234年で、道元禅師が生まれたのが1200年。当時は数え年なので35歳という計算になります。
 数え年とは、生まれた時にすでに1歳としてカウントし、年を越すたびに1歳加えていくというものです。12月31日に生まれたとして、1月1日になったら生後2日だったとしても2歳になるので、現在の誕生日を基準とした年齢計算からは違和感があるかもしれません。ただ、当時の年齢を考えるには細かい月日を勘定に入れずに済むのでむしろシンプルなやり方だとも言えるでしょう。単純に「その年」ー「生まれた年」+1をすれば当時の年齢が算出できるわけですから。

 「興聖寺建立の年に当たる」となっていて、なるほど!と思っていたのですが、よくよく調べると興聖寺建立は1233年で天福元年。1年ずれているのですね。このずれはなぜ生じたのか…。これも課題です。そしてこの年には「奘祖始めて参侍せらる」とあり、懐奘禅師(永平寺二代目住職)が道元禅師の元に弟子入りしたことが言われています。これも1234年の出来事なので、天福二年ではないのです。

 「題号を安ぜられしはそれより十年過ぎて越に山居の後と見えたり」とあり、懐奘禅師によって10年後、永平寺にて10章を集めて1冊にしたと言われています。元々は1章ずつが独立していたことが示唆されます。学道用心集は10章(段)に分かれていますが、面山さんは十に分かれていることにも意味があり、それは「住向行地」の意味と同じだと言います。これ自体の用語について詳しくないのですが、おそらくは十地について述べているのだろうと思われます。十地は華厳経の「十地品」に代表されるもので、「大乗経典において説かれ最も代表的な菩薩の階位」だとされます。独立の経典として『十地経』ないし『十住経』というものもあります。この二つは同じものの異訳です。

 具体的な10段階としては、1 歓喜地、2 離垢地、3 発光地、4 焔慧地、5 難勝地、6 現前地、7 遠行地、8 不動地、9 善慧地、10 法雲地といったものが示されます。他のタイプの十段階もあるようです。具体的な意味として気になる方はwikipediaで恐縮ですが、リンクを貼っておきます。学びを深めた上で改めてお伝えできたらと思います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%9C%B0

 この十は「法定の数」であるとされています。この言葉自体は手元にある簡単な辞書には出てこないものなのですが、「法数」というものは耳にするところです。四諦八正道の四とか八、三毒、五蓋などに出てくる数字のことを指すようです。十という分類自体も仏の教えにならったものであることを示されているのでしょう。

 ここまでは学道用心集が十段に分かれている意義についてでしたが、次は学道用心集の字義についての説明に入ります。まず「学道」が他の経典にどのように用いられているのかについての紹介がされています。ここでは『四十二章経』という経典がまずは引き合いに出されます。具体的には以下の三つとなります。


学道之人不為性欲所惑
学道の人、性欲のために惑わされず


沙門学道応堅持其心
沙門の学道は応(まさ)に其の心を堅持すべし


学道之人去心垢浄
学道の人は心の垢浄を去る

 さて、個人的にはこの分類は、②を中心にした方が良いのではと思いました。心を堅持するということが中心にあり、その具体的内容として①と③があるという構造です。①では性欲というネガティブなものに振り回されることがないようにということを言っていて、③では垢というネガティブなものに執われないことはもちろん、浄という一見ポジティブなものにも執われないことが説かれています。③はつまりは、二項対立てきに世の中を見る姿勢を戒めているのです。ちなみに①のところで「性欲のために惑わされず」とあって、性欲を無くせと言っているわけではないというところは興味深いところです。

 続いて学道用心集の「用心」の部分を経典から引用してきます。

華厳経浄行品
文殊菩薩告智首菩薩言佛子云何用心能獲一切勝妙功徳
文殊菩薩智首菩薩に告げて言わく、佛子云何(いかに)用心して能く一切勝妙功徳を獲る

潙山警策
此宗難得其妙切須子細用心
此の宗は其妙得難く、切に須らく子細に用心すべし

 どちらの引用も「妙」を得るためには「用心」しなくてはならないという形で述べられています。妙というのは「仏の教えの真髄」と表現すれば良いでしょうか。横山紘一先生の『唯識仏教辞典』で「妙」を引いてみると、次のような説明が出てきます。
「たえなること。すぐれて美しいこと。すばらしいこと。最もすぐれていること」
具体的な用例としては「諸の菩薩の最初発心は妙なり極妙なり」「云何が妙なるや。謂く、仏法僧の宝を最微妙(みみょう)と名づく」などがあります。
『法華経』の名で親しまれているお経がありますが、正式名称は『妙法蓮華経』で、これも妙の名をその頭に持っていますね。

 四十二章経と潙山警策という二つの経典が出てきましたが、これに遺教経を加え、「仏祖三経」という言い方がなされることもあります。特に遺教経と四十二章経は初学者にとっても親しみやすい内容が書かれていることもあり、禅宗で重んじられてきた経典です。
潙山警策は正式には経典というよりは語録になります。潙山霊祐という唐代の禅僧の言葉を集めたものです。

 最後に「学道用心集」の「集」という字について。これは特に経典は引用されませんが、次のように説明されます。

「集の字は、上は隹なり。下は木なり。木の上の隹は集まる。結集のこころなり」

 集の字を解体し、木の上に鳥が集まる様子だと説明し、「結集のこころ」であるとまとめています。結集は「けつじゅう」と読み、お釈迦様が亡くなった後、お弟子様たちがお釈迦様の教えを確かめ合うために開かれたのが最初の結集だと言われています。

 この部分の直後に「これまでは奘祖編集の尊意なるべし」ということが言われています。つまりこの「学道用心集」という名前をつけたのは懐奘禅師(永平寺2代住職)であるということです。「結集のこころ」ということは、お釈迦様の教えというよりは、道元禅師の教えをまとめあげたものであると受け取ることの方がより面山さんの理解に近いかもしれません。


今回はここまでで一区切りとします。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
もし誤りなどがありましたらご指摘頂けますと幸いです。

次回からは全10章がそれぞれどのような意義を持っているのかについての説明に入っていきます。
またお会いできますよう。


やまゆり園、植松被告の死刑判決に想う

2020-03-18 08:00:11 | ニュース
植松聖被告に対する判決が出た。死刑だ。
https://www.asahi.com/articles/ASN3J41DMN2YULOB00W.html

相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月、重度障害者19人を殺害した犯人が植松被告だ。
「障害者は世の中に不要」という旨の発言を再三繰り返し、被害者遺族だけでなく、それ以外の多くの関係者を傷つけ続けた。このような考えに対して徹底的なバッシングが行われるわけでもなく今日に至っていることに、違和感を覚えずにはいられない。

薬物の使用、偏った思想、独善的な態度、どれをとっても同情の余地はない。
この人の思想に共感する人が増えたら、それこそ世の中の安定を崩すことになってしまう。
大切な人がもし認知症になって、誰もわからなくなったら存在する価値が無くなるのか。急な交通事故で意識が戻らなくなったら、社会に迷惑をかけるだけの存在になるのか。

「いるだけで良い」という、全ての家族の思いを愚弄した事件だ。


この事件のあと、犯人の発言などをみるたびに、こういう人間はいなくなるべきだ、と思った。
そして出た死刑判決。

ふと思った。
もしかして、自分もこの被告とどこかで通じてしまったのではないか、と。
世の中に害だから死刑。
これでは植松被告の殺害動機となんら変わらないのではないか。

どんな人間にも生きる価値がある。それは無条件に。
そうした価値を矛盾なく持つには、死刑制度自体も見つめなおす必要があるようだ。

『学道用心集聞解』を読む#2 〜序文2〜

2020-03-16 14:52:23 | 仏教・禅
 前回は序文の途中で終わりました。このブログは更新頻度は確定させていませんが、大体週に2回ほどは更新していきたいと思っています。
 まず、前回の本文と書き下しを再掲しておきます。書き下しは少しふりがなを足してあります。

【本文】
竊以八萬四千之法蔵者係其機熟。一千七百公案亦導彼根利。至今機生根鈍。則恰同嬰童聞大雅焉。豈得辨別其曲折之妙哉。我祖学道用心也。苦口鄭重宜可導機生之凡嬰。丁寧告誡可暁根鈍之愚童。

【書き下し】
竊(せつ)に以(おもんみれ)ば八萬四千の法蔵は其の機熟に係る。一千七百の公案も亦彼の根利を導く。今に至って根の鈍きに生じるに至らば則ち恰(あたか)も嬰童(えいどう)の大雅を聞くに同じかな。豈に其曲折の妙を辨別(べんべつ)することを得んや。我が祖の学道用心や。苦口鄭重(くこうていちょう)宜しく機生の凡嬰を導くべく、丁寧告誡(ていねいこっかい)は根鈍(こんどん)の愚童に暁す可し。

 ここは道元禅師の述べているところではなく、面山瑞方さんの記述だというところは注意しなくてはなりません。初回はほぼ進んでおらず、今回は「一千七百公案〜」から進めていきます。

一千七百公案亦導彼根利
 公案とは禅の問答や問題のことで、公府の案牘 (あんとく)という言葉が省略されたものです。公案集として有名なものは『碧巖録(へきがんろく)』や『無門関(むもんかん)』、曹洞宗では『従容録(しょうようろく)』がよく用いられます。正式にはこれらは評唱録と言われるものです。
 公案自体として有名なものは「狗子無仏性」と言われるもので、犬に仏性があるかどうか、というものです。これは趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)という唐代の禅僧とその弟子の問答だと伝えられています。こういった公案の数が1700あると言われていて、それがここでは「一千七百公案」という表現になっているのです。なぜ1700なのかはまた調べてみなくては定かなところではありません。
 公案が「彼の根利を導く」と言われています。根利は機熟と同様の意味になります。修行に向かう力量に優れているということです。禅の問答である公案はお釈迦様の教えと同じように、力量に優れた人を導くものとしてある、ということがこの二文で言われています。

至今
 「今に至って」で、そのままです。ここでは時間が変わっています。法蔵と公案のところでは対象が先人になっていた一方で、この「至今」ではその対象が面山さんの時代、つまり江戸の時代(1760年頃)に移ったとみるべきでしょう。

機生根鈍
機というのは前回もあったように機根の話です。仏教学では「鈍根」という表現はよくありますが、これをひっくり返した形で書かれているのがこの「根鈍」になります。

則恰同嬰童聞大雅焉
 嬰童とは幼子です。大雅というのは詩経の分類の一つのようですが、単純に気高いもの、という意味もあるようです。幼子が(詩経のような)気高いものを聞くのと同じようなことだ、とここでは言っています。
 ただ、嬰童にはポジティブな意味もあるようです。弘法大師空海の『十住心論』では「嬰童無畏住心」というものがあり、人間世界の苦しみから離れた状態のことを指しています。
 大雅の後に「焉」がありますが、文末に来る場合は「かな」という、感嘆の意味を示します。つまりは、幼子が詩経の一部を聞くようなもので、わかるはずもないというような意味に取れます。

我祖学道用心也
 我が祖とは道元禅師のことで、学道用心は『学道用心集』のことになります。

苦口鄭重宜可導機生之凡嬰
 苦口は辞書で引くと「にがくち」と訓読みされますが、ここでは音読みした方がリズムが良いと思われます。「くこうていちょう」ですね。苦口はそのまま「にがにがしい物の言い方」ですが、「にくまれぐち」と言った意味もあります。鄭重は丁重と同じです。注意が行き届いていて丁寧なことです。ちょっと矛盾しているようですが、教師が憎まれようとも大切なことを伝えていこうとする精神を思い浮かべれば納得がいくところでしょう。
 機生之凡嬰とは凡とは平凡な様であり、嬰とは先ほども出ましたが、子供のことです。これは根鈍と同じ意味に取れば良いところです。

丁寧告誡可暁根鈍之愚童
 丁寧はそのまま、告誡は戒めるという意味。根鈍之愚童も前出と同じです。

ここまでの小結
 公案や経典は機根の優れた者、修行の能力に秀でたものに向けられたものであり、それに対して道元禅師の『学道用心集』は修行の能力の低い、鈍根の者に向けられた懇切丁寧なものなのだ、という内容になります。

 ここまでが前回引用した部分。次からは新しいところです。
【本文】
古人謂禁童子之暴謔則師友之誡不如傳婢之指揮。止凡人之鬭䦧則尭舜之道不如寡妻誨諭。

【書き下し】
古人謂く童子の暴謔を禁ずるは則ち師友の誡も傳婢(でんぴ)の指揮に如かず。凡人の鬭䦧(とうげい)を止むるは則ち尭舜の道も寡妻の誨諭に如かず。

 この古人とは誰かをというのを調べたところ、顔之推(がんしすい)という人のようです。謂く以下に書かれているのはこの顔之推によって著された『顔氏家訓(がんしかくん)』です。2年前(2018年)に林田慎之助氏による訳が講談社学術文庫から出ているので、ここの訳文を参照したいと思います。
 
「さて同じことをいっても、信じてくれるのは近親の者の言葉であり、同じことを命じても、従ってくれるのは心服する者のいいつけである。だから子供のいたずらを禁ずるには、師友の忠告よりも、子守や女中の指図のほうが効果的である。凡人のいさかいをやめさせるには、尭や舜といった古代の聖人の説く教えよりも、女房の説教のほうがよほどこたえるというものである」(p15-16)
 この下線部分が『学道用心集聞解』に引用されている部分です。

 簡単に語釈も加えていきます。
暴謔
 暴謔は「いたずら」と訳されています。一般的に見る暴虐は暴力的なものですが、謔にはいたずらといった意味があります。

鬭䦧
 鬭䦧の鬭は「闘」の旧字体です。この漢字が旧字体とされる過程についてこんなブログがあったのでご参考までに。https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/%E7%AC%AC8%E5%9B%9E%E3%80%8C%E9%97%98%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E9%AC%AA%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E9%AC%AD%E3%80%8D
 「もんがまえ」だけでなく、「とうがまえ」もあったのですね。

傳婢
 この言葉ははっきりとはわからなかったのですが、祖傳婢がの一種であり、それが下人を指す言葉として使われていたようです。

尭舜之道
 尭も舜も中国の伝説的な君主を指します。道は文字通り道の意味もありますが、思想や学説、道理、規律といった意味でも使われ、動詞としては「語る」といった意味にも使われます。ここでは君主が語ったこと、その道理といった意味に取れば良いでしょう。

寡妻
 寡婦は未亡人の意味がありますが、寡妻は正夫人のこと。奥さんです。


 とっくに3000字も超えてしまっているのですが、せっかくなので残りの部分も書いておきたいと思います。

【本文】
今我以此集擬其傳婢之指揮、寡妻之誨諭云爾
【書き下し】
今我此の集を以って其の傳婢の指揮、寡妻の誨諭に擬する云爾(のみ)

 この『学道用心集聞解』を述べる面山さん自身が下人や妻のような親しい存在となって懇々と説いていこうという宣言が述べられているのです。またこの『学道用心集聞解』が書かれたのは明和三年、すなわち1766年であることがこの序文の終わりに示されています。

 次回はまだ学道用心集自体の本文にもはいることはできませんが、漢文では無く、漢字とカタカナによって書かれているので、直接原文を引く理由が無くなります。そのため、内容解説を中心にし、適宜本文の内容を示すという形にとどめていくこととします。

 ここまでご覧いただき、誠にありがとうございます。
 訂正や疑問などをご指摘をいただければ幸いに存じます。
 それではまた次回お会いできますよう。

『学道用心集聞解』を読む#1 〜序文〜

2020-03-12 16:34:18 | 仏教・禅
道元禅師が書かれたものに『学道用心集』というテキストがあります。これは禅師が35歳(数え年)の時に書かれたものです。全部で十則に分かれていて、それは以下のものになっています。
第一則 菩提心を発(おこ)すべき事
第二則 正法を見聞して必ず修習すべき事
第三則 仏道は必ず行に依りて証入すべき事
第四則 有所得心を用って仏法を修すべからざる事
第五則 参禅学道は正師を求むべき事
第六則 参禅に知るべき事
第七則 仏法を修行して出離を欣求する人は須く参禅すべき事
第八則 禅僧行履の事
第九則 道に向かって修行すべき事
第十則 直下承当の事
これらは本来は漢文の形で書いてあるので、送り仮名は本来ありません。

ちなみに第一則の「菩提心を発すべき事」は元の形では「可発菩提心事」となっていて、福井にある曹洞宗の大本山永平寺では「発菩提心」として読誦されています。意味が分からなくとも読んでいるだけで心が凛としていくような心持ちになる、修行中からとても好きな一節でした。改めて読んでみると音の調子だけではなく、内容としても素晴らしいことが言われていることに気づき、深く学んでみたいと思うようになりました。

「只管打坐」という言葉で矮小化されてしまいがちな曹洞禅の修行のあり方をこのテキストから見つめなおしてみたいと昨年から強く考えていたところ、ようやく読み進めていくことができるようになりました。ただ、テキストだけを読むのも自分の心もとない知識と経験に基づくのではあまりにも土台が弱いと感じ、注釈書を読んでいくこととしました。


これから読んでいくのは『学道用心集聞解』という、江戸時代の曹洞宗の学僧である面山瑞方により書かれたものです。面山さんは当時乱れていた宗風を再び道元禅師の流れに戻したことで有名な方です。他にも『正法眼蔵』や『参同契』『宝鏡三昧』などの注釈書を書いています。後者二つは接する機会があったのですが、これは両方全て漢文で書かれており、なかなか難解です。注釈書の注釈書が欲しくなります。ただ、これらの本を沢木興道老師も勉強されていたということで、読んでみる価値のあることだと思います。今後余裕があったら取り組みたいと思います。いつになるかはわかりませんが…。もちろん面山さんの著作はこれらだけでなく、他にも沢山の著書を残されています。

さて、『学道用心集』に対する注釈書である『学道用心集聞解』は出だしの部分は漢文ではありますが、それ以降はカナ混じりで書いてあるので比較的読みやすくなっています。もっとも経典の引用は原文のまま引かれているので、定期的に漢文に遭遇することにはなりますが。それでも漢文は全て返り点や送り仮名などがあり、白文よりははるかに読みやすいです。送り仮名などが判読不能だったり、返り点が抜け落ちているような場合ももちろんあるので油断はできないのですけれど。



最後までいけるのかは、とても不安なところではありますが、なんとか続けていきたいと思っています。ちなみに本文中の漢字はなるべく原著の通りにしていきますが、中には表示できない異体字もあります。ご容赦ください。また、之を「の」と読む場合や、者を「は」と読むような場合はそれぞれ平仮名の状態で直します。
区切りの良いところと考えるときりがなくなりそうなので、原則2000字程度の更新としていこうと思います。唐突に終わるところもあるかもしれませんが、よろしくお願いします。

では内容に入っていきます。
まず最初の部分です。
表紙をめくると「学道用心集聞解序」と出てきて、序文が書かれています。ここが全て漢文になっているところですね。
【本文】
竊以八萬四千之法蔵者係其機熟。一千七百公案亦導彼根利。至今機生根鈍。則恰同嬰童聞大雅焉。豈得辨別其曲折之妙哉。我祖学道用心也。苦口鄭重宜可導機生之凡嬰。丁寧告誡可暁根鈍之愚童。

【書き下し】
竊(せつ)に以(おもんみれ)ば八萬四千の法蔵は其の機熟に係る。一千七百の公案も亦彼の根利を導く。今に至って根の鈍きに生じるに至らば則ち恰(あたか)も嬰童(えいどう)の大雅を聞くに同じかな。豈に其曲折の妙を辨別することを得んや。我が祖の学道用心や。苦口鄭重宜しく機生の凡嬰を導くべく、丁寧告誡は根鈍の愚童に暁す可し。

【解説】
竊以
竊というのは「窃」の旧字体のようです。現行の回向などでは「切に以ば」といったように「切」を使うことが多いのですが、本来は「窃」だったのがさらに略される形で根付いたのかもしれません。
「窃」は窃盗とか剽窃といった、比較的ネガティブな言葉に使われます。実際に「ぬすむ」という意味もあるのですが、他にも「ひそかに」という意味もあります。
「以」には考えるという意味があります。おもんみる、と読みます。

次のところ、「八萬四千之法蔵」に入ります。仏教の教えが膨大にあることを「八万四千の法門」という言い方をしますね。八万四千は別にこの数通りあるわけではなく、膨大であるということの比喩的表現です。限りないという表現の場合は「無量恒河沙数」といったものが使われる場合もあります。もっともこれは仏典の数を表現する時にはあまり使われないかもしれません。

法門の部分が法蔵で表現されているのもあるのだということをここで初めて知りました。蔵というと、三蔵が有名ですね。三蔵法師でも使われますが、経蔵・論蔵・律蔵がその内容となります。ここでの法蔵は「お釈迦様の教え」として言い換えて構わないでしょう。


「者」は助詞としての「は」と同じです。書き下される場合は平仮名になることが多いようです。

係其機熟
機とは、機根の意味ですね。『岩波仏教辞典』によると、「仏道の教えを聞いて修行しうる能力. さらに, 衆生各人の根性・性質を意味する」とあります。この機根が熟している状態、つまり修行に向かう能力が高いという状態、もしくはその人ということになるでしょう。お釈迦様の教えとは、熟した人に関わってくるのだ、というのがこの部分であると言えましょう。

本日はここまでとさせていただきます。次回は序文の続きから。

不足している点、誤っている点などがございましたら是非ご指摘賜りたいと存じます。身の程をわきまえずにこのような形で拝読を進めていくこと、どうぞご容赦ください。