おいしいたまごやき

31歳大雑把だけど料理するのが大好きなOLの生活記録。
鈴虫寺の幸福地蔵様、私のところに早く来てくれるといいな。

言葉にできない

2005-11-27 02:12:56 | 恋をしてみた

「あなたに会えて本当によかった 」

おばさまの第一声はそれだった

私の嫌な予感は本当に当たってしまった…。

土曜日の昼下がり。
私は彼と別れてからずっと降りることが出来ずにいた彼の実家がある街の駅に降り立った。
25歳の秋に来て以来だったから…3年ぶりだったと思う。

この駅にあるホテルのロビーで彼のお母様と待ち合わせをしていた。
昔と変わらない笑顔で私を待っていてくれた。
でも3年前よりもおばさまが明らかに年をとったのが私は気になっていた。

ラウンジで席に着くと、おばさまが泣きながら話し始めた。

彼が今年病気をしたこと、最近手術したこと、そして…彼の命はもう長くはないこと。
そして…それを彼自身は知らないこと…。
聞かせれば私の重荷になることもわかっていたけど、彼が今でも私より大切に想う人はいないといっていたこと、私が幸せでいるかをとても気にしていたこと…。
そしておばさまは私が大好きで、私がお嫁にきてくれるのを楽しみにしていたと…。(病気した時に結婚反対したのは彼の父親とその親族)

彼は男の子2人兄弟の長男。
おばさまは息子がどんな子を連れてくるんだろうと思っていたけれど、自分が思っていたよりもずっとずっと素敵な子を連れてきてくれて嬉しかったと思っていたと…。

私は私で当時、本当に彼のお母様には娘のようにかわいがってもらっていた。
デートの帰りによく彼の家に寄って、お夕飯を御馳走になって。
彼のお母さんは本当に料理が上手で、お店で出てくるんじゃないの?ってくらいの腕前。
私は不器用で、当時まだまだ今も雑だけど、それよりももっと雑な作りをしていたからお夕飯時にお母さんに色々教えていただいて。
私が料理は目でも楽しむものだということを教えてもらったのは彼のお母さんから。
毎日こんなにおいしいものを食べている舌の肥えてる彼に納得してもらえるものを出すのは本当に大変で、うちで時々料理をして彼に食べさせると、作ったものにいちゃもんつけられて喧嘩になったこともよくあったっけ…。

婚約した24歳の冬はお正月に実家に帰らなかったこともあり、家族だけのお正月に混ぜてもらって、一緒におせち料理まで食べさせてもらって…。
「来年は一緒に作りましょうね」
と言ってもらって、とても嬉しかった覚えがある。

そして…あれから後にも先にも彼はあれから家に女の子を連れてきたことはなく、ずっと今でも私のことを大事に想っていること、そしておばさま自身も私がどうしているのかずっと気にかかっていたと聞かされた。

でも今となってはあの時、結婚話が壊れてよかったのかもしれないと。
28歳で未亡人にしてしまわなくて済んだからと…。

彼は私より5歳年上。現在33歳。
ねぇ、まだ逝くには早いよ…。
親より先に逝くことほど親不幸はないよ…。

私はおばさまになんて言ってあげたらいいのかわからなかった。 
ただおばさまに近況を聞かれて、ただただ今の自分は幸せだから心配いらない、あの頃と全く同じではないけれど、それなりに幸せで、そして今を精一杯頑張って生きていることを伝えることで精一杯だった。

神様はなんて残酷なんだろう。 今日ほど私はあなたを残酷だと思った日はないよ…。