三澤 廣さん
モンゴルの言語危機と日本の英語教育(R2-9-4)
http://100prs.info/katudoukiroku/nakama/H30-6-15misawahirosi/ronnbunn/R2-9-5.htm
リベラルの人たちは、戦前の日本が朝鮮の人々の「民族の言語を奪おうとした」と非難しますが、中国の強硬政策にはどうして抗議しないのですか。
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さて、現在日本国内で、「民族の言語を奪おう」というプロジェクトが進んでいるのに気が付いていらっしゃるでしょうか。
被害者は我々日本人、加害者は文部科学省。その日本語抹殺計画の名は「小学校英語教育必修化」と言います。
小泉内閣の時に、遠山敦子さんという文部科学大臣がいました。この人があんまりなことを言ったので、私は吃驚したものです。インタネットで引いても出て来ないので、記憶に頼って書きますが、間違っていたら腹を切ってお詫びしましょう。
「日本の大学で、すべての授業を英語でやる所が一つもないのは恥ずかしい限りだ」とおっしゃったのです。
「すべての授業を英語で」とは正気の沙汰ではありません。源氏物語も英語で教えろと言うのでしょうか。
どんなに外国語に熟達しても、ほんの一握りの人を除いては、抽象的な思考は母語でなければできません。日本人がアジアの中で突出してノーベル賞受賞者が多いのは、日本語で学問をするからです。
アジアの他の国々では、大学の授業はほとんど全部英語で行われますが、それは母語が学問に適したレベルに達していないからです。母語ではないから、深く考えることができない。だから、理科系の学問でも、文字の解釈に追われて、内容を十分に咀嚼することができないのです。
日本では、明治の先達の努力によって、日本語が抽象的思考に堪える言語に作り替えられました。いや、千年以上の文化的背景を持つ日本だからこそ、始めからそのように成長して行く素養を持っていたのです。
中国語も日本語と並んで、アジアの言語の中では学問言語に成長する素質を持っていましたが、どういうわけか大学での理科系の授業は英語で行うようになってしまいました。残念なことです。
遠山さんに申し上げますが、英語で授業したって、何のいいこともありませんよ。英語で授業しないことを遠山さんは「恥ずかしさの限りだ」とおっしゃいましたが、私は逆に、日本語で学問することができるのは誇りにしていいと思うのです。
日本語を使って、せっかく世界の最先進学問国家になっているのに、何を好き好んでわざわざ元も子もなくすようなことをするのですか。
アジア・アフリカの発展途上国では、エリートの間では英語が母語のように話されます。その結果、本来の母語は軽んぜられ、劣等言語へと堕して行きます。小説でも、文学的価値の高いものは英語で書かれ、母語の小説はポルノまがいの低級なものばかりです。
エリートは英語、庶民は母語と分化して、階層社会を作り出す原因となったのです。いわば、英語教育は民主主義の敵だと言っても過言ではないほどです。
内モンゴルでは、中国語がエリート言語となり、母語のモンゴル語は貶められて行くことでしょう。
リベラルの方に伺いますが、中国が関係していなかったら、現地の言語を守れと大騒ぎをしたくなる所でしょう。現にオーストラリアの白人がアボリジニーの言語を滅亡に追い込もうとしていることには抗議しているではありませんか。どうして、中国語の侵略によってモンゴル語が滅亡して行くことには抗議しないのですか。どうして、英語の侵略によって日本語が滅亡(大袈裟な言い方ではありませんよ)して行くことには抗議しないのですか。
中国には逆らうことができないから、モンゴル語を守れという声が聞こえないのです。そして、日本ではマスコミの広める同調圧力によって、日本語を守れという声が没却されてしまうのです。マスコミとリベラルは日本と日本語が嫌いだから、日本語を潰してしまおうと思っているのです。
日教組の先生たちは、「学習負担をふやすな」を合言葉にしています。ゆとりの教育は文部科学省が始めたのですが、もともと日教組が言い出したことだそうです。
英語、小学校で必修化したら、信じがたいほどの学習負担になりますよ。
子供がかわいそうではないのですか。
その時間に国語教育をちゃんとやればいいのに。
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米ホワイトハウスの署名ページ
google翻訳: 内モンゴルにおける中国共産党の文化的虐殺を阻止する
Stop the CCP's cultural genocide in Inner Mongolia
https://petitions.whitehouse.gov/petition/stop-ccps-cultural-genocide-inner-mongolia