半日やって誰も釣ることができなかった。時を同じくしてというか、夕方5時には下流で行なわれている釣り大会終了の花火があがった。やれやれという感じで那珂橋の傍のホテルにたどり着く。夕食は6時半。通された部屋は一昨年と同じタイプの部屋だった。ただし今回は社長と我々3人一緒だ。S木さん達も二人で一部屋とつつましいが部屋自体にはベッドが二つ付いているし和室には布団が四枚位敷けそうに広い間取りなのでこれで充分。
夕食の前に一風呂浴びる。残念ながら温泉ではないし湯船も小さい。あまり風呂に力をいれてないようだ。内風呂がそれぞれの部屋にあるしホテルだからこんなもんなのだろうか。
夕食を摂りにレストランに向かう途中、夜食用の別のレストランで仕込みをしているコックが偶然にもS木さんの古い馴染みだったらしくS木さんは少し話し込んでいた。レストランにはオイラ達の他は誰も客がいなくて給仕の女の人が二人がずっと付きっ切りだった。夏の行楽シーズンは終わったのだが、ゴルフとか鮎釣りの客も少ないのだろうか。
夕食のメニューはこの前とほぼ同じで鮎尽しだったが鮎の刺身は「鮎の洗い」に変わっていて砕いた氷の上にならべられた身を酢味噌でいただく。不味くはないがちょっと期待はずれというかそれほど美味いとは思えなかった。鮎の塩焼はかなり小ぶりだったがこれはとても美味しかった。マツタケの土瓶蒸しも美味かった。こういう時でもないと普段はまずお目にかかれないしろものだ。カボスみたいな柑橘系の半身の絞り汁を入れないほうがマツタケの味が良く味わえるような気がしたけど。
この後みんなで行ったカラオケでは他に二組の客がいた。聞くところによると食事とか部屋のレベルによって夕食のレストランが分けられているらしい。
ここのカラオケはカラオケボックス風ではなくだだっ広い宴会場みたいな所にカラオケ(すごいスピーカー)が一台だけあるというタイプでよほど歌に自信がないとちょっとやりにくい。
関西弁の4人組みはみんな結構上手くて中でも一人安全地帯の玉置を得意なレパートリーとするお兄ちゃんは抜群の歌唱力だった。一曲だけ音程が難しいゾと言う曲があって出だしをはずしてしまった。カラオケ係りのオネーさんに頼んでキーを上げ下げしてもらっていたが上手くあわない。結局半音ほどずれた調子っぱずれのすごい音痴で聞くに堪えないのだがホントはもっと上手く歌えるんだろうなと思わせる状態のまま三番までしっかり歌い終えたのはすごかった。こちらもひどく疲れた。
オイラも2曲ほど歌った。この一年近く殆んどカラオケに行ってなくて(ずっとカアチャンの誘いを断っている)声もでないし自信がなかったのだが2曲目はさすがに歌っていて自分で嫌になった。早く曲が終わらないかと思っていた。席にもどるとS木さん達に「歌の間に人生を語りあっちゃいましたよ」といわれ、自分でもうまい事言うなと妙に感心してしまった。
社長は今年最後と言う事で気合が入っているので朝の5時出発。社長は殆んど眠れなかったらしくやたら夜中にトイレに行っていた。4時半にモーニングコールがなった。寝ぼけマナコで受話器をとったが「ガー」という機械音がするだけだった。
ホテル近くのおとり鮎屋はまだやってなかった。これから向かう寒井(サブイ)のヤナの少し下流へ行く途中でやっとおとり鮎を買うことができた。県道から小さな脇道へ入る。途中から私道の看板がでている。誰かに教えてもらわないと、初めての人にはわからない釣り場だ。昨日の川原ほどではないが油断をすると車の底を擦りそうな道を川原に向かって降りて行く。
すごく広い川原だ水の流れているのは100メートルほどだが川原全体は300メートル近くありそう。200メートル位下流で山と山に挟まれた幅20メートルくらいの淵となり一気に川幅が狭まっている。7、8年前のこの辺の大水の時にはこの川原をあふれた水が向こう岸の土手を越えて民家に床上浸水したそうだ。
朝6時。釣り場の正面の川原。まだ霧がたちこめている。昔バイクで何度か来た時もこの辺というか栃木の日光などの山間とか山近くでは、早朝はいつも霧が濃くて路面が濡れていたような記憶がある。特に川には雨なのかと思うほど霧が立ち込めていたものだ。右に小さく写っているのがS木さん。
上流方面。
下流方面。
車を止めるのにおあつらえ向きの場所がある。最初はオイラタチの車(右の3台)だけだったが陽が登り霧が晴れる頃にはだんだん車が増えてきた。対岸にも数人釣師が入って来た。
一番左の1ボックスカーは練馬ナンバー(東京)だった。乗っていたのは編み笠に作務衣のような厚手の生地の袢纏という川漁師みたいな本格的ないでたちのオジイチャンだった。このあたりは馴染みの場所らしい。
昨日、今日とダイワの釣り大会があるというのを知らなかったのだという。知っていたら来なかったのにと残念がっていた。何でも昨日の釣り大会は5人一組のエントリーで那珂橋の本部の周りだけでなく、この辺り一帯のかなり広い範囲に1500人くらいの釣師が川に入ったとかで「今日の鮎はそうとうスレているよ」と言っていた。
川面ではボラのように鮎がやたら跳ねていた。15~20センチ位の小さい鮎が殆んどだが昨日全部釣られてしまったというわけでもなさそう。魚影は大変濃い。でも釣れないのだ。
昨日の夕方オイラ達の所へやってきた話好きな地元のオジサンによると。鮎が遡上してきてこれはという自分のすみかを選び、そこを縄張りにするのに3日かかるという。最近は釣り人が多く鮎がすぐ釣られてしまうのでまだはっきりした縄張りを持たない鮎が多くて、そういう鮎は闘争心が弱く近くに違う鮎がやってきても追わないのだという。
10時頃になってやっとここでS木さんが続けて3匹かけたがそれっきりだった。他にはS木さんの同僚のIさんが何故か「鰍」を一匹かけただけ。後、社長の10万だか20万の竿が折れるというハプニングもあった。でも修理すれば使えるらしい。
下流の川幅が急に狭まっている所。
家に帰ってきたら隣の家のお兄ちゃん(年齢はオジサン)とばったり出会ってしまった。彼も時々渓流だか川釣りに出かけては何かとお土産をくれるのだ。オイラは今釣りから帰りましたとばかりにクーラーボックスとか担いでいたところだったのでバレバレ。何もお土産を用意していなかったので、オイラの分け前の鮎五匹(殆んどおとり鮎)をお土産かわりにあげることにした。ま、天然じゃないからそんなに惜しくないけど。
夕食の前に一風呂浴びる。残念ながら温泉ではないし湯船も小さい。あまり風呂に力をいれてないようだ。内風呂がそれぞれの部屋にあるしホテルだからこんなもんなのだろうか。
夕食を摂りにレストランに向かう途中、夜食用の別のレストランで仕込みをしているコックが偶然にもS木さんの古い馴染みだったらしくS木さんは少し話し込んでいた。レストランにはオイラ達の他は誰も客がいなくて給仕の女の人が二人がずっと付きっ切りだった。夏の行楽シーズンは終わったのだが、ゴルフとか鮎釣りの客も少ないのだろうか。
夕食のメニューはこの前とほぼ同じで鮎尽しだったが鮎の刺身は「鮎の洗い」に変わっていて砕いた氷の上にならべられた身を酢味噌でいただく。不味くはないがちょっと期待はずれというかそれほど美味いとは思えなかった。鮎の塩焼はかなり小ぶりだったがこれはとても美味しかった。マツタケの土瓶蒸しも美味かった。こういう時でもないと普段はまずお目にかかれないしろものだ。カボスみたいな柑橘系の半身の絞り汁を入れないほうがマツタケの味が良く味わえるような気がしたけど。
この後みんなで行ったカラオケでは他に二組の客がいた。聞くところによると食事とか部屋のレベルによって夕食のレストランが分けられているらしい。
ここのカラオケはカラオケボックス風ではなくだだっ広い宴会場みたいな所にカラオケ(すごいスピーカー)が一台だけあるというタイプでよほど歌に自信がないとちょっとやりにくい。
関西弁の4人組みはみんな結構上手くて中でも一人安全地帯の玉置を得意なレパートリーとするお兄ちゃんは抜群の歌唱力だった。一曲だけ音程が難しいゾと言う曲があって出だしをはずしてしまった。カラオケ係りのオネーさんに頼んでキーを上げ下げしてもらっていたが上手くあわない。結局半音ほどずれた調子っぱずれのすごい音痴で聞くに堪えないのだがホントはもっと上手く歌えるんだろうなと思わせる状態のまま三番までしっかり歌い終えたのはすごかった。こちらもひどく疲れた。
オイラも2曲ほど歌った。この一年近く殆んどカラオケに行ってなくて(ずっとカアチャンの誘いを断っている)声もでないし自信がなかったのだが2曲目はさすがに歌っていて自分で嫌になった。早く曲が終わらないかと思っていた。席にもどるとS木さん達に「歌の間に人生を語りあっちゃいましたよ」といわれ、自分でもうまい事言うなと妙に感心してしまった。
社長は今年最後と言う事で気合が入っているので朝の5時出発。社長は殆んど眠れなかったらしくやたら夜中にトイレに行っていた。4時半にモーニングコールがなった。寝ぼけマナコで受話器をとったが「ガー」という機械音がするだけだった。
ホテル近くのおとり鮎屋はまだやってなかった。これから向かう寒井(サブイ)のヤナの少し下流へ行く途中でやっとおとり鮎を買うことができた。県道から小さな脇道へ入る。途中から私道の看板がでている。誰かに教えてもらわないと、初めての人にはわからない釣り場だ。昨日の川原ほどではないが油断をすると車の底を擦りそうな道を川原に向かって降りて行く。
すごく広い川原だ水の流れているのは100メートルほどだが川原全体は300メートル近くありそう。200メートル位下流で山と山に挟まれた幅20メートルくらいの淵となり一気に川幅が狭まっている。7、8年前のこの辺の大水の時にはこの川原をあふれた水が向こう岸の土手を越えて民家に床上浸水したそうだ。
朝6時。釣り場の正面の川原。まだ霧がたちこめている。昔バイクで何度か来た時もこの辺というか栃木の日光などの山間とか山近くでは、早朝はいつも霧が濃くて路面が濡れていたような記憶がある。特に川には雨なのかと思うほど霧が立ち込めていたものだ。右に小さく写っているのがS木さん。
上流方面。
下流方面。
車を止めるのにおあつらえ向きの場所がある。最初はオイラタチの車(右の3台)だけだったが陽が登り霧が晴れる頃にはだんだん車が増えてきた。対岸にも数人釣師が入って来た。
一番左の1ボックスカーは練馬ナンバー(東京)だった。乗っていたのは編み笠に作務衣のような厚手の生地の袢纏という川漁師みたいな本格的ないでたちのオジイチャンだった。このあたりは馴染みの場所らしい。
昨日、今日とダイワの釣り大会があるというのを知らなかったのだという。知っていたら来なかったのにと残念がっていた。何でも昨日の釣り大会は5人一組のエントリーで那珂橋の本部の周りだけでなく、この辺り一帯のかなり広い範囲に1500人くらいの釣師が川に入ったとかで「今日の鮎はそうとうスレているよ」と言っていた。
川面ではボラのように鮎がやたら跳ねていた。15~20センチ位の小さい鮎が殆んどだが昨日全部釣られてしまったというわけでもなさそう。魚影は大変濃い。でも釣れないのだ。
昨日の夕方オイラ達の所へやってきた話好きな地元のオジサンによると。鮎が遡上してきてこれはという自分のすみかを選び、そこを縄張りにするのに3日かかるという。最近は釣り人が多く鮎がすぐ釣られてしまうのでまだはっきりした縄張りを持たない鮎が多くて、そういう鮎は闘争心が弱く近くに違う鮎がやってきても追わないのだという。
10時頃になってやっとここでS木さんが続けて3匹かけたがそれっきりだった。他にはS木さんの同僚のIさんが何故か「鰍」を一匹かけただけ。後、社長の10万だか20万の竿が折れるというハプニングもあった。でも修理すれば使えるらしい。
下流の川幅が急に狭まっている所。
家に帰ってきたら隣の家のお兄ちゃん(年齢はオジサン)とばったり出会ってしまった。彼も時々渓流だか川釣りに出かけては何かとお土産をくれるのだ。オイラは今釣りから帰りましたとばかりにクーラーボックスとか担いでいたところだったのでバレバレ。何もお土産を用意していなかったので、オイラの分け前の鮎五匹(殆んどおとり鮎)をお土産かわりにあげることにした。ま、天然じゃないからそんなに惜しくないけど。