の帰りに神社の駐車場を何げに見上げたら崖崩れにしか見えない
山肌を見つけました。
駐車場の3~5台分の敷地を潰し防護柵で囲まれ上の方は青の養生
シートで覆ってある。
隣のアパートであろう民家は大丈夫か?
横浜の地形はこういう平地からいきなり崖という場所が多いのだ。
小学生の頃やはり小学校は崖の途中を切り開いてたっており、山
側の裏手には防空壕があった。小学校の前の坂道は頂上まで行く
と大袈裟ではなく最後には手を伸ばすと道に手がつくくらいだ。
一時停止するとAT車でも坂道発進が恐い。だからここは坂の上を
走っている道路が一時停止で坂道をのぼってきた車が優先だ。
これれっきとした2車線の道。
で、その頃の遊び場は近くの崖がある山。ほとんどジャングルで
子供にとっては宝の山。確かライオン山っていってたはずだ。
これ、中区・南区の話で元町の横を流れている中村川の奥。
今でも遊べるのだろうか?今度いってみよう。
横浜の地形は平地からいきなり崖と書いたがその昔、江戸時代~
明治時代はその平地は海もしくは湿地帯だった。なので平地から
崖ではなくいきなり崖だったのだ。つい最近知ったのだが横浜市
内を流れている大きな川(中村川、大岡川とかね)で一級河川な
のは鶴見川だけなのだ。中村川と大岡川は埋め立てで出来たいわ
ゆる人造の川。この2つの川を辿っていくと1つの川になる。
この中村川、大岡川に挟まれている土地はほとんど埋め立てで出
来た土地で中区、南区、西区の大部分を占める。
鶴見川は太古の昔からある川で江戸時代東海道を下ってくると
一番最初に橋を渡る川なのだ。その手前の多摩川には江戸時代初
期に橋は流されそれ以来橋はかかっていないとの歴史がある。
東海道というと日本史で必ず習う「生麦事件」も旧東海道生麦村
今のキリンビールの工場の脇だ。
鶴見川はその昔からよく氾濫して昭和30年代までは鶴見川近辺は
床上どころか天井まで浸水したそうな。お~恐っ
今、ちょうど反対側の堤防の工事をしている。ここ最近の土曜の
朝はこの音で起こされる。これは別にすぐ氾濫するからという訳
ではなく整備工事だ。川水の増減は上流の新横浜あたりで調節で
きるようにしてあるらしい。だから、この前の台風でも問題がな
かったわけだ。ちなみに鶴見駅近辺は水浸しだったと聞いていま
す。同じく横浜駅西口あたりも。横浜って水に非常に弱いのだ。
学生の頃、松坂屋の中にあったロッ○リア伊勢佐木町店でバイト
していた時大きな台風の中、朝の仕込途中から伊勢佐木町通りが
だんだんと水に埋まっていき、ひざまできた時、店内にも水がは
いりこみ仕込どころではなく食材は棚の上に逃がすのが精一杯、
ばけつリレーも間に合わず機器が水浸し2~3日営業できなかった
ことがある。バケツリレーってやったことある人、手をあげて。
対面の有燐堂(最近都内に限らずあちこちに進出している本屋の
本店)の1階も地下もひどい有り様。次の日、通りに水に浸かった
本を山積みして安売orひどいのは勝手に持っていってどうぞ。
つい20年前の話だ。 もう大昔か。
通っていた小学校も大岡川の横にあったのでほぼ1年に1回は氾濫し
、休校になったりひどい時は朝は大丈夫だったのに2時限目あたり
からみるみる大岡川の水位があがり3時限目には危険なので帰宅。
でも、もうその頃には道はくるぶしくらいは水に浸かっていたのを
思い出します。(ちなみに中村川の近くに住んでたり大岡川の近く
に住んでたりしますが、私は小中で10回引越し5回も転校してるのだ)
鶴見川は下っていくと今の大黒町あたり大黒ふ頭の手前で海にでる
のだが、今でも堤防工事の終わっていないところがある。民家の庭
先みたいなところまで川の水がきているところがまだあるのだ。
ちょっと台風で絶対に浸水しているはずだ。0m地帯。
何かの障害があって工事できないのであろうがこの辺に横浜の今と
昔の事情が見えかくれする。
ながながと書いてしまったがなにが言いたいかというと、我が家は
ちゃんとした土地に建っているということ。
よかった、よかった。
姉○物件でもないし、ゆるいかもしれないが埋め立てじゃないし、
今では川も氾濫しないし、しても3階だからここまで水はこないし。
ある1級建築士さんに聞いたのだけどみなとみらいも当然埋め立て地
で、みなとみらいが出来た当時の建物でランドマークタワーのみ海
底の岩盤に基礎を打ち込んでいるらしいです。なのでその建築士さ
んは観覧車には絶対に乗らないそうです。高所恐怖症じゃなくて。
そういや今の会社は人工島だ。それもまだ30年も経ってない新しい
島。大黒ふ頭よりは古いが。ちなみに川崎方面から行くと道は1本し
かない。毎日その1本しかない海底トンネルをくぐって通勤してます。
朝と夕方はひどい慢性渋滞。10Km走るのに1時間はかかる。しかも、
これが何かで通行止めになると首都高湾岸線しか選択肢は無くなる
という生死に係わる不便なところだ。現在、本牧沖に第2本牧ふとう
なる埋め立て地を造成中だそうだ。要するに仕事をする場所は徐々に
海に進出しているわけだ。こんだけ面積がだんだん増えている都市は
ないのじゃないかと思う。今度調べてみよう。
たまにはこんな蘊蓄たれんのもいいんじゃないかと。
山肌を見つけました。
駐車場の3~5台分の敷地を潰し防護柵で囲まれ上の方は青の養生
シートで覆ってある。
隣のアパートであろう民家は大丈夫か?
横浜の地形はこういう平地からいきなり崖という場所が多いのだ。
小学生の頃やはり小学校は崖の途中を切り開いてたっており、山
側の裏手には防空壕があった。小学校の前の坂道は頂上まで行く
と大袈裟ではなく最後には手を伸ばすと道に手がつくくらいだ。
一時停止するとAT車でも坂道発進が恐い。だからここは坂の上を
走っている道路が一時停止で坂道をのぼってきた車が優先だ。
これれっきとした2車線の道。
で、その頃の遊び場は近くの崖がある山。ほとんどジャングルで
子供にとっては宝の山。確かライオン山っていってたはずだ。
これ、中区・南区の話で元町の横を流れている中村川の奥。
今でも遊べるのだろうか?今度いってみよう。
横浜の地形は平地からいきなり崖と書いたがその昔、江戸時代~
明治時代はその平地は海もしくは湿地帯だった。なので平地から
崖ではなくいきなり崖だったのだ。つい最近知ったのだが横浜市
内を流れている大きな川(中村川、大岡川とかね)で一級河川な
のは鶴見川だけなのだ。中村川と大岡川は埋め立てで出来たいわ
ゆる人造の川。この2つの川を辿っていくと1つの川になる。
この中村川、大岡川に挟まれている土地はほとんど埋め立てで出
来た土地で中区、南区、西区の大部分を占める。
鶴見川は太古の昔からある川で江戸時代東海道を下ってくると
一番最初に橋を渡る川なのだ。その手前の多摩川には江戸時代初
期に橋は流されそれ以来橋はかかっていないとの歴史がある。
東海道というと日本史で必ず習う「生麦事件」も旧東海道生麦村
今のキリンビールの工場の脇だ。
鶴見川はその昔からよく氾濫して昭和30年代までは鶴見川近辺は
床上どころか天井まで浸水したそうな。お~恐っ
今、ちょうど反対側の堤防の工事をしている。ここ最近の土曜の
朝はこの音で起こされる。これは別にすぐ氾濫するからという訳
ではなく整備工事だ。川水の増減は上流の新横浜あたりで調節で
きるようにしてあるらしい。だから、この前の台風でも問題がな
かったわけだ。ちなみに鶴見駅近辺は水浸しだったと聞いていま
す。同じく横浜駅西口あたりも。横浜って水に非常に弱いのだ。
学生の頃、松坂屋の中にあったロッ○リア伊勢佐木町店でバイト
していた時大きな台風の中、朝の仕込途中から伊勢佐木町通りが
だんだんと水に埋まっていき、ひざまできた時、店内にも水がは
いりこみ仕込どころではなく食材は棚の上に逃がすのが精一杯、
ばけつリレーも間に合わず機器が水浸し2~3日営業できなかった
ことがある。バケツリレーってやったことある人、手をあげて。
対面の有燐堂(最近都内に限らずあちこちに進出している本屋の
本店)の1階も地下もひどい有り様。次の日、通りに水に浸かった
本を山積みして安売orひどいのは勝手に持っていってどうぞ。
つい20年前の話だ。 もう大昔か。
通っていた小学校も大岡川の横にあったのでほぼ1年に1回は氾濫し
、休校になったりひどい時は朝は大丈夫だったのに2時限目あたり
からみるみる大岡川の水位があがり3時限目には危険なので帰宅。
でも、もうその頃には道はくるぶしくらいは水に浸かっていたのを
思い出します。(ちなみに中村川の近くに住んでたり大岡川の近く
に住んでたりしますが、私は小中で10回引越し5回も転校してるのだ)
鶴見川は下っていくと今の大黒町あたり大黒ふ頭の手前で海にでる
のだが、今でも堤防工事の終わっていないところがある。民家の庭
先みたいなところまで川の水がきているところがまだあるのだ。
ちょっと台風で絶対に浸水しているはずだ。0m地帯。
何かの障害があって工事できないのであろうがこの辺に横浜の今と
昔の事情が見えかくれする。
ながながと書いてしまったがなにが言いたいかというと、我が家は
ちゃんとした土地に建っているということ。
よかった、よかった。
姉○物件でもないし、ゆるいかもしれないが埋め立てじゃないし、
今では川も氾濫しないし、しても3階だからここまで水はこないし。
ある1級建築士さんに聞いたのだけどみなとみらいも当然埋め立て地
で、みなとみらいが出来た当時の建物でランドマークタワーのみ海
底の岩盤に基礎を打ち込んでいるらしいです。なのでその建築士さ
んは観覧車には絶対に乗らないそうです。高所恐怖症じゃなくて。
そういや今の会社は人工島だ。それもまだ30年も経ってない新しい
島。大黒ふ頭よりは古いが。ちなみに川崎方面から行くと道は1本し
かない。毎日その1本しかない海底トンネルをくぐって通勤してます。
朝と夕方はひどい慢性渋滞。10Km走るのに1時間はかかる。しかも、
これが何かで通行止めになると首都高湾岸線しか選択肢は無くなる
という生死に係わる不便なところだ。現在、本牧沖に第2本牧ふとう
なる埋め立て地を造成中だそうだ。要するに仕事をする場所は徐々に
海に進出しているわけだ。こんだけ面積がだんだん増えている都市は
ないのじゃないかと思う。今度調べてみよう。
たまにはこんな蘊蓄たれんのもいいんじゃないかと。
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